イエス・キリストは一人なのに、たくさんの教会があるのはどうして?
本当の教会はあれば一つだけでしょう? その教会に行きたいな。
イエス・キリストの教会はひとつだけです。
そして二つでもあります。二つで一つの解き明かしをします。
日本人にとって、その答えは大きな意味をもちます。
イエス・キリストの教会は一つの意味
イエス・キリストは一人です。
その教えは一つです。
イエス・キリストの福音の教義に基づく教会は一つです。
世界はひとつで、神は一人です。
なのに二つって何でしょう。
二つの意味
聖約の民のイスラエルの民に福音は与えられました。
そして、イエスの死後に異邦人への伝道がはじまったのです。
そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。
新約聖書 口語訳 ヨハネの黙示録11章3−4節
世界がいったん終わる最後の1260日におこることです。
二本とは聖約の民と異邦人です。
燭台(しょくだい)は灯(ともしび)で光ですから、教会をあらわします。
二つあるのです。
エルサレムの教会
イエス・キリストはエルサレムのあたり(ベツレヘム)でお生まれになり、エジプトにしばらく逗留し、ナザレに住まわれました。
イエスによって、最初に設立された教会はエルサレムに拠点があります。
そこでの伝道は、「キリスト教」という新しい宗教の開祖としてではありません。
イエスは一人のとっておきの預言者として、律法の奥義である福音を伝えたのです。
ユダヤ教をバージョンアップしたんですね。
かつてモーセの時代に、福音はイスラエルの民に与えられようとしたのですが、民の不従順によって取り上げられ、奥義への準備としてモーセの律法が与えられたのでした。
だからイエスの目的はユダヤ教の回復にあったんですね。
ペテロがリーダー
イエスの死後に教会全体の頭として選ばれたのが十二使徒の筆頭であるペテロです。
彼が教会の大管長として教会全体の責任を果たしていきます。
聖約の民の救い
使徒たちの使命はエルサレムにいる人や、すでに世界中に散っているイスラエルの民に福音を伝えることでした。
するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。
新約聖書 口語訳 マタイの福音書15章24節
イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
新約聖書 口語訳 マタイの福音書10章5-7節
それでも例外的なできごとはありました。
カナン人がイエスに娘を癒してもらおうと叫んでつきまとう出来事がありました。
2すると、そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。
新約聖書 口語訳 マタイの福音書15章22-28節
このカナン人やエルサレムにいるローマ人へも奇跡を起こしていくのです。
異邦人への伝道は実はイエスみずから小さくはじめられたのです。
もともと福音は世界の人への救いとして開かれたものです。
しかし、まず聖約の民に伝えられると預言されていました。
異邦人に向けたアンテオケ(アンティオキア)の拠点
キリスト教という新しい宗教を異邦人に伝える使命は番外の使徒「パウロ」に与えられましたが、そのはじまりはイエスから小さくはじまり、ペテロがその入り口を大きく開きました。
世界宗教への糸口
ペテロが見た預言夢と、その成就が異邦人への伝道の道をひらきます。
そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
新約聖書 口語訳 使徒行伝10章34-35節
ペテロが異邦人に福音を伝える門戸を開く決定をしました。
パウロの最初は強烈な示現だった!
キリストの教会を迫害していたパウロが使徒として召されます。
それは啓示でしたが、かなりハデなものでした。
さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。
日本聖書協会 口語訳 使徒行伝9章1-9節
アンテオケに始まる教会の拠点
元気になったパウロはギリシャのアンテオケ(アンティオキア)に教会の拠点を置きます。
ここからギリシャやローマを視野に異邦人への伝道を行っていくのです。
ルカの福音書と使徒行伝について
ルカの福音書・使徒行伝はルカによって書かれた公文書として提出された記録です。
ルカは医者であり使徒でした。
これらの書の目的はパウロの伝道のいきさつから、その働きまでを記録し報告することでした。
ルカの福音書
ルカはイエスの死後に使徒となりました。
イエスと直接あっていません。
ルカの福音書は多くの記録をまとめたもので、全体が使徒行伝の前書きのようなのです。
使徒行伝
前書きとしてイエスの死後に、ペテロのこと-異邦人への伝道のはじまり-やパウロが召される経緯について書いてあります。
使徒行伝の本論はパウロの伝道の記録です。
これからはルカが経験したことです。
パウロがリーダー
これらの記録はローマでのキリスト教の正当性を説明するものとなりました。
パウロから、ひいてはペテロから受け継いだと主張できるからです。
ペテロが管理
異邦人への伝道はパウロが目立っていますが、イエス・キリストの教会の全体の管理の鍵をもっているのは、大管長であるペテロです。
ふたつに分かれたと見えても、一つの教義を教えるイエス・キリストの教会だったのです。
大背教と回復の業
イエス・キリストを信じる人たちはローマに迫害されたのです。使徒や有力な弟子たちは殺されたり、散らされたりします。権威は失われたのです。
そのローマによって教えは乗っ取られ、世界宗教としてキリスト教は布教されていきます。
大きく変質したまま。
これを大背教といいます。
はじめが違ったのですから、改革しても大事なところはそのままです。
それでは真理は失われたままですね。
だからこそ真理の回復が必要でした。
それはまず異邦人から始まります。
それが最初の示現という出来事です。
聖約の民の目覚めと日本人
心理の回復は預言どおりに、異邦人から始まり、聖約の民に伝えられます。
わたしはこれまでの研究から、聖約の民の大きな群れがこの日本に集結していると考えています。
本拠地です!
ただ、眠っています。
神はこういう時に目を覚まさせるイベントをされます。
聖書から歴史を見ると、そうなのですよ。
良くも悪くもです。
まず大掃除があると予想します。
この記事を読む方にお願いです。
聖典を読んでみてほしいです。
そこにある予言を見て今の状況と照らしてみてほしいです。
そして何かを感じたなら目覚めの兆候です。
その感じたことを大事にして、動いてほしいです。
大事なものを守るために!
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