死ぬのは怖いなあ。
でも、死ぬってどういうことなの?
よくわかってないのに怖がるのは変だよね?
神にとってこの世での人の死は区切りなんですけど、それほど重要ではありません。
人は死を超えて永続するものだからです。
その知識が不安を救ってくれます。
こんにちは! 皆さん、元気ですか?
元気な時もあれば、風邪をひいたりして元気の出ないときもありますよね?
また、人生には一度や二度は死ぬんじゃないかと思うような時もたまにあります。
私は数年前に脳の半分につながる血管が詰まりかけまして、少しあの世に行きかけました。
あれはいいですね。
痛くなかったです。
今でこそ、あのまま逝ければラッキーだったと思いますけどね。
当時は「えっ! えっ?」って、体の変調に戸惑ってしまいました。
神を知る前
私はクリスチャンとして数十年を生きてきました。たくさんのことを得てきました。でも、人生の試練は信仰があれば無くなるなんてことはなかったのです。それに対しての感じ方や対処の仕方は得てきましたけどね。
神様を知ってから、まずかったなと思ったのは人の死への態度でした。死について淡白になったというか、嘆き悲しむことがなくなりました。他人から見ると冷淡に見えてしまうようで、人並みに嘆くのが難しいのです。
淡白というのは自分の死についても同様です。それも私だけでなく信仰の仲間も同じようようで、自分の死については雑談でも普通に話しています。これは当たり前と思っていたわたしは、他の人との会話でも話してしまってました。その人の顔をみて「まずったな」と気づくのですが、タブーな話題のときが多いみたいですね。
だからといって、死に無関心だったわけではなありません。私は家族を早く、多く亡くしていますので死にたいするむなしさを感じて生きていました。だれでも死ぬんですよ? 当たり前ですけど、大事な人が亡くなると、置いて行かれる気分が半端じゃないです。
人を愛すると、一緒にいたいほど大切になると死というのは絶望なのですよ。自分が死ぬのも、どこか知らない場所にいくのか、無になるのかと思うと怖いじゃないですか?
神を知ったとき
そうしているうちにクリスチャンとなり、神を知りました。
それは、人がかつてどこにいて、何のために今を生きて、この世を去ったらどうなるのかを知ることでもあります。
死は通過点でしかないんだ
生きるとは死を含めて生きるということであり、通過点だということです。確かに現世で生きることは貴重な時間なのですが、生きていること自体にあまり意味はなく、果たすべき使命や何をしたかがもっと大切だということです。だから死というのも、それ自体は意味がなくどう迎えてどういう態度をとったのかが重要となります。
後悔し、泣き叫びつつこの人生を終わりたくないでしょう? ということです。喜び充実した人生を振り返りつつ幸せで満たされた気持ちで逝くためには、今の生き方が今の状態が反映されます。良心に責められることなく、日々を幸せに生きて周りの人に奉仕することです。お金はあの世に持っていけませんが、そういうかたちで自分の平安や充実を買うことはできますね。
イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
新約聖書 マタイの福音書19章21節
この世界の全ては霊をもっており、霊は永遠のものです。変化はしますが、無くなることはないのです。
私たちは肉体の死を迎えても、次の瞬間から生きていくのです。ただ、肉体を失い、この現世から出て次の世界に移ります。その世界は霊界と呼ばれます。そこに行けば、過去に亡くした大切な人達と再会できます。それが喜びか悲しみか良心の責めを受けるのかは現世での行いが影響を与えます。要するに、霊界とは現世の延長にあるのです。
あなたは世を超えた真理を知ることができる
臨死の際にベッドに横たわり、周りの人を見降ろしている自分を感じた人たちがいます。蘇生したときに、その経験を語ったり、本にしたりして見たり読んだりすることができますね。
ああ、そういうこともあるのかと思いますが、その先はあまり見ないですね。その先から帰ってきた人もいるかも知れませんが、あまり私は知りません。
私は聖典や教えの中から理解しましたけど、知ったわけではありません。知識として得ましたが真偽が定かではない情報でした。本当ならいいなと希望はありましたが、確証はありませんでした。
祈りはその知識と知ることの懸け橋になってくれます。何らかの形で神は応えてくださり、いつの間には当たり前に理解するようになっているのです。それを人に説明することが非常に難しいので、知りたければ自分のために求める必要があります。関心出てきた人はだまされたつもりで信じて祈ってみてほしいですね。すぐには応えないかも知れませんが、気付いたら理解していることに気付くことが多いです。
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