信じていることの違いから論争になるのは幸せなことではないです。
ましてや争いや戦争が起こるのはいやですよね。
互いに「信じることに寛容になればいい」のにと思います。
お互いのことを理解すれば友達にだってなれるかもしれない。
惜しいことです。
わたしは神秘主義を学んでいるうちに、「底流には、どちらにも通じる真理があるのではないか?」と思うようになりました。
非難の応酬ではなく、知りえたことを分かち合うことで、分かり合えることもあるでしょう。
「我が正しい」ではなくて、視野を広げてみるとお互いが見ているところが違うだけという事もあるしょう?
私は思います「真理は一つ」だと。
「信じる」だけではなく、見て聞いて「知る」ことができれば視野が大きく広がることで意識が変わることを知っています。
それを「悟り」といいます。
この記事を読むことで一神教と多神教の底部にある真理を知ることができます。
一神教の真実とは?
一神教は、「唯一の神を信仰する宗教」のことを指します。
この神は宇宙の創造主であり、全知全能とされることが多いです。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などが代表的な一神教であり、これらの宗教は神の意志や教えを啓示として受け取り、それに従うことを信徒に求めます。
一神教は、多くの文化や地域で発展し、世界の多くの人々に影響を与えてきています。
キリスト教では三位一体が一般とされますが、三位三体(神会)を信じるグループもいます。
限定された多神教ともいえるのかも知れません。
カバラ(ユダヤ密教)では三つの柱としての神が語られます。
密教(啓示)を通して心の奥に深くもぐることで分かる世界がある。
そこには別の世界があるようなんです。
多神教の真実とは?
多神教は、「複数の神々を信仰する宗教」のことを指します。
これらの神々は、自然現象、人間の感情、宇宙の秩序など、様々な側面を司る存在として崇拝されることが多いです。
多神教は、文化や地域の歴史、自然環境に深く根ざしており、祭りや儀式を通じて神々との繋がりを祝います。
古代エジプト、ギリシャ、ローマの宗教やヒンドゥー教などが代表的な例です。
啓示を通してみると、たくさんの神々がいるようでいて、それらを「束ねる神がおられる」ことが見えてきます。
仏教は宗教というより哲学に近い?
今回は仏教を取り上げませんでした。
多神教の代表的な宗教だと思われているのにです。
しかし、仏教は一神教や多神教のカテゴリには直接当てはまりません。
仏教の中心は「仏」という存在やその教えにあり、神々の存在や役割は主要な教義の中心ではありません。
以下、仏教の特徴を簡単に説明します。
仏教の中心は、釈迦(シャカ)が悟りを開いて「仏」となった後に説いた四諦や八正道などの教えにあります。
これは人々が苦しみから解放され、悟りを得るための道を示すものです。
仏教には多くの仏や菩薩が存在します。
これらは、高い悟りを得た存在や悟りを得るために修行を積んでいる存在として尊敬されます。
しかし、これらは「神」というよりは、悟りを開いた存在や悟りを目指す存在として理解されることが多いです。
仏教の教えの中には、天上界や他の異次元の存在として神々が登場することもあります。
しかし、これらの神々は、仏教の教義の中心ではありません。
また、仏教が広まった地域の先住の宗教や信仰と結びつきながら発展してきたため、その地域独自の神々が仏教の中に取り入れられることもありました。
仏教は、宇宙の創造主や全能の神を中心とする教義を持たないため、非神論的な宗教とも言えます。
哲学的なものに近い。
結論として、仏教は一神教や多神教のいずれのカテゴリにも完全には当てはまらず、独自の教義や信仰体系を持つ宗教です。
世界は神の霊が組織されて創られている。
わたしは思います。
「全ては神の一部でできている。」と。
だから「すべては100%神なんだ」と。
全ての物資は光で、空間でさえ光で満たされている。
「光とは神の栄光」のこと
「栄光とは神の霊」のこと
あなたが神の一部なら、あなたは100%神だ。
鏡に映るあなたは神そのものなのです。
わたしたちは神で満ち溢れた世界にいる。
しかし、われわれは完全な存在じゃない。
未完成な神です。
そういう意味では全体を司る神はわたしたちのために完全ではないということ。
神も完全の途上にあるといってもいい。
啓示を通して全体を俯瞰する
啓示は宗教の開祖の根幹にあるものです。
悟りの根源です。
あなたも真理の源泉から同じものを受けることができる。
啓示とは神と一体となること。
時には全てを神の視点で見ることができるときがあります。
それが示現です。
示現にはまりこむと世界に生まれ出た一人一人の髪の毛の本数さえわかる全知全能感がある。
示現とは、まるでそこにいるかのようなリアルな啓示です。
夢も示現のひとつかも知れません。
ただ、示元は夢のようで、覚めると霊と肉体の能力の差で啓示の内容の大半を失わせます。
啓示で憶えているのは印象の強いことのみです。
一神教の方も多神教の方も己の正しさを確認するわけですが、好奇心から他も見てしまう「へそまがり」の広い理解が世界を変える力を得るかも知れない。
タネも仕掛けもある世界の真実まで見てしまうこともあるからです。
カムイ(アイヌの神)の概念がとても参考になる
多神教について理解しようとするときにカムイ(神)の概念がとても参考になります。
神道的な神について説明ができる概念です。
例えば熊なら本当の姿は人で熊という身体でこの世に出てきているという。
それがカムイ(神)
生物だけでなく、パソコンやスマホなどの非生物にさえカムイが存在しているイメージです。
もう、全てが神の現れということで神でないものは存在しない。
この概念は日本の仏教や神道に影響を与えていると感じます。
また創造場面の記述から記紀神話にも影響を与えていると思われます。
互いに交わることはないと信じる方々へ
一神教と多神教は根本から異なるため交わることは決してないと思う方もおられるでしょうね。
わたしの立場は各宗教や信仰の独自性や深さを尊重しつつ、私の意見は異なる宗教間で共通する普遍的な真理や価値を探求する試みです。
私たちの視点や経験は異なるかもしれませんが、それぞれの信仰や考えを尊重する中で、対話と理解を深めていきたいと思っています。
真理はひとつしかない
全体をまとめる神は一人(ひとつ)
「神の一部でわたしたちは創られている」
神100%で創られた私たちは、たくさんの未完成の神の群れです。
「神としてふさわしくなる」それが大事な人生の目的です。
あなたの啓示を受けよう
まずは神仏について深く学んでみませんか?
この世の知識だけではもったいない。
瞑想と啓示で見えてくる世界があります。
まずは瞑想をはじめよう。
この世界(宇宙)との一体感を自分のものにしましょう。
【参考資料】
アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 (集英社新書)
中川 裕、 野田 サトル | 2019/3/15
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