諭吉はただの猫ではありませんでした。
彼は「デキる猫」として知られ、人語を理解し、家事を完璧にこなす特異な能力を持つすごい猫なのです。
この猫が、生活力のない飼い主・幸来をサポートする物語です。
こんなデキる諭吉が欲しいと思いますよね。
少しうるさ型だけど面倒見がいい家猫です。
家事もみんなお任せできる。
猫型ロボットよりも現実的で・・・
ひとりの淋しさをかかえた人にとってフィクションとはわかっていても、うらやましいのではないでしょうか?
その気持ち、よくわかります。
スパルタ型でも癒されますよねあの猫には・・・
あんなのが現実にいればなあって。
AIやロボットが発達すれば猫型ロボットは実現できそうですけどね。
あんな猫がいるわけない、と思っているあなた!
全くリアル諭吉が全く不可能というわけでもない。
AIやロボットでもなく、ある仕組みを利用できれば可能です。
それが「カムイ理論」です。
実はあなたのペットは人が猫の姿を被っているんです。
猫らしくふるまっていますが人なんです。
人というか天使や妖精の類。
神の世界の公務員といいましょうか・・・
神のごとき人なんです。
それが「カムイ理論」です。
この記事を読み、「カムイ理論」を理解することで世界の見え方が変わります。
ペットや物に向ける意識が変わります。
「デキる猫は今日も憂鬱」はこんな作品
「デキる猫は今日も憂鬱」を知らない人に作品のおおまかな解説です。
知ってる方は読み飛ばしてください。
おおまかな設定とストーリー
『デキる猫は今日も憂鬱』は、山田ヒツジによる日本の4コマ漫画作品です。
物語は、片付けられない系のOL・福澤幸来が、小さな黒毛の野良ネコを拾うところから始まります。
この子猫は諭吉と名付けられ、命を助けてもらった恩を返そうと決意します。
驚くべきことに、諭吉はやがてクマのように巨大な身体に成長し、喋れないものの人語を理解するようになります。
さらに、二足歩行し、スーパーでの買い物や炊事、洗濯、掃除など、あらゆる家事を完璧にこなす能力を持っています。
この物語は、ぶっきらぼうな性格の『デキる猫』諭吉が、生活力のない『ダメ人間』の飼い主・幸来を世話する日常を、ユーモラスに描いています。
こんな物語の設定は現実にはあり得るのか?
カムイ(神)は万物は動物や物などの現世の姿を装っているが、実体は人が現世に現れているという信仰というか考え方のことです。
熊のカムイ、スマホのカムイというように神(神の使い?)によって現世に存在して機能させてくれているわけ。
人知れず、この世界は神がかりのマンパワーで動いています。
人(カムイ)が出てしまう例が聖書にあります。
バラムはモアブの王バラクから、イスラエルの民を呪って欲しいとの依頼を受けました。
バラクはイスラエルの民が増えてきたことを恐れ、バラムの預言者としての力を頼りにしたのです。
初め神はバラムに行くなと言いましたが、後に行くことを許可しましたがバラムは神が求めたこととは異なる意図をもっていたようで・・・
明くる朝起きてバラムは、ろばにくらをおき、モアブのつかさたちと一緒に行った。
しかるに神は彼が行ったために怒りを発せられ、主の使は彼を妨げようとして、道に立ちふさがっていた。
バラムは、ろばに乗り、そのしもべふたりも彼と共にいたが、ろばは主の使が、手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見、道をそれて畑にはいったので、バラムは、ろばを打って道に返そうとした。
しかるに主の使はまたぶどう畑の間の狭い道に立ちふさがっていた。道の両側には石がきがあった。
ろばは主の使を見て、石がきにすり寄り、バラムの足を石がきに押しつけたので、バラムは、また、ろばを打った。
主の使はまた先に進んで、狭い所に立ちふさがっていた。
そこは右にも左にも、曲る道がなかったので、ろばは主の使を見てバラムの下に伏した。
そこでバラムは怒りを発し、つえでろばを打った。
すると、主が、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」。
バラムは、ろばに言った、「お前がわたしを侮ったからだ。わたしの手につるぎがあれば、いま、お前を殺してしまうのだが」。
ろばはまたバラムに言った、「わたしはあなたが、きょうまで長いあいだ乗られたろばではありませんか。わたしはいつでも、あなたにこのようにしたでしょうか」。
バラムは言った、「いや、しなかった」。
このとき主がバラムの目を開かれたので、彼は主の使が手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見て、頭を垂れてひれ伏した。
主の使は彼に言った、「なぜあなたは三度もろばを打ったのか。
あなたが誤って道を行くので、わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。
ろばはわたしを見て三度も身を巡らしてわたしを避けた。
もし、ろばが身を巡らしてわたしを避けなかったなら、わたしはきっと今あなたを殺して、ろばを生かしておいたであろう」。
旧約聖書 日本聖書協会 口語訳 民数記22章21-33節
ロバがしっかりと飼い主のバラムを遣り込めるところが面白いですね。
なんだか諭吉みたいなろばです。
なぜろばがしゃべるのか?
それはろばがカムイ(人であり神)だから・・・というのが根拠です。
だから猫のカムイもいるだろうさ
背後には人がいて、猫の身体でこの世に来ている。
あくまでも猫としてふるまう。
あなたのそばにいるのは、何千年も幾世代もの猫を繰り返しているカムイかもね。
「人=天使=妖精=神の力が宿る」なので、生き物は本来万能な存在です。
大元の神様の命令で黙っているだけ。
諭吉という猫カムイ
「ダメな人間をフォーローしてやらないと・・・」諭吉のカムイは動き出した。
子猫の諭吉を拾って助けてくれた恩を諭吉カムイは感謝したんだ。
カムイを司る大元の神(世界のルール)の許可があればできること。
そうならむしろ諭吉がしゃべらないのが不思議なくらい。
あなたの周りには諭吉だらけ
あなたも物や生き物を人(カムイ)と思って、大切に扱うと助けてくれたり恩返しをくれたりするかも。
誰もあなたを見ていないようで、カムイはあなたを見つめている。
そして忘れない。
恩も粗末な扱いも忘れないんだ。
いい関係を築いていたならいい報いを期待していいよ。
それが現世じゃなくて来世かも知れないけど。
神がいるなら来世で人としてのカムイに会えるかも。
動物も人間臭いふるまいをする時がある
そんなことは「信じない」という意見も尊重します。
わたしも即物的な人間だったので、わかります。
それでも・・・この世で喜びや悲しみ、愛や恐れなど様々な感情を経験します。
これらの感情や経験を通じて、何か大きな存在や力が私たちと共にいるのではないかと感じることがありました。
神の存在を確信して、わたしたちは見える以外の世界を含んでいる世界に生きていることを実感しましたし、神秘主義を知るようになってからは、むしろ見えない世界こそが世界のベースにあるんだと理解しています。
そう理解してみると、猫や犬のこの世ではない向こう側の意識の存在を感じることがあるのです。
それはとても人間臭さを感じさせる何かでした。
その意識はわたしの今の人生を豊かにしてくれています。
まずは一瞬の瞑想を体験してみよう。
瞑想でリアル諭吉をちょっとだけ体験
現実としてリアル諭吉には、あり得ないほどの奇跡が起きなければ出会えないとは思います。
それでも人間も動物や物体も心を通して共通語の「神語」を通して話しています。
猫に話しかけていて、それが届いていると思うと幸せな気持ちになるでしょう?
猫もあなたに伝えたいことがあるみたいです。
あなたのそばにいるカムイに話しかけてみませんか?
そして「瞑想」を通してカムイの周波数に合わせるようにして心の声を聞いてみましょう。
その経験はあなたの世界を広げてくれます。
その領域に近づくための手段として「瞑想」をお勧めします。
「デキる猫は今日も憂鬱」おすすめな理由
この魅力的な物語を読むと、諭吉の成長や彼と幸来の日常のドタバタをもっと詳しく知りたくなります。
また、アニメ化もされており、その動きや声、色彩を楽しむことができます。
どんなトラブルや笑いが2人を待ち受けているのか、ぜひ原作やアニメでその続きを楽しんでください。
【参考資料】
デキる猫は今日も憂鬱 (シリウスコミックス) 山田ヒツジ (著)
アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 (集英社新書)
中川 裕、 野田 サトル | 2019/3/15
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