復活が中心なのに、なぜクリスマスは消えなかったのか?

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春の野に立ち、イエスの誕生と復活の場面の間で「どちらが優先か」と困惑するキリスト教指導者を描いた幻想的なイラスト。
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復活が、いちばん重かった

教会が最初に語ったのは「復活」だった。
神はこのイエスをよみがえらせた――それが中心。

毎週の日曜日も、
春の大きな祭りも、
すべては復活を軸に回っている。

信仰の重さは、明らかに復活にある。

それでも、誕生を消せなかった

復活が決定的なら、
誕生は省いてもよさそうだ。

救いは十字架と復活で完成する。
理屈だけ言えば、それで足りる。

けれど――

神が人として来られた瞬間を、
どうしても素通りできなかった。

たぶん、仕方なかった

復活が頂点なのは変わらない。
でも頂点だけでは、物語にならない。

はじまりを祝うことが必要だった。

神が入り込んだ冬。
勝利が現れた春。

復活が中心。
それでもクリスマスは、消せなかった。

消さなかった、というより
消せなかったのかもしれない。

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春の野に立ち、イエスの誕生と復活の場面の間で「どちらが優先か」と困惑するキリスト教指導者を描いた幻想的なイラスト。

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