クリスチャンが読んだ『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』

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屈斜路湖の夕映え

ゴールデンカムイのアニメを見てます。
アイヌの神様ってカムイって言うんですってね?
たくさんの神様がいてにぎやかで楽しそう!
キリスト教の神様からみるとデタラメに見えるのかなあ?

ゴールデンカムイは面白いですよね?
クリスチャンから見た神と、アイヌの人たちからみたカムイは違って見えますが、見ているところが違っているだけだと思うなあ。
そういうところをお話してみますね。

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目次

「ゴールデンカムイ」ってどんな作品?

ゴールデンカムイは、週刊ヤングジャンプに連載されている大人気のコミックです。

アシリパというアイヌのかわいい女の子がいなければ、

暑苦しそうな、おっさんとか、

やけに元気すぎるご老体ばかりが出てきて進んでいくストーリーなんです。

今はストーリーも大詰めで、もうすぐ完結かなという感じですね。

わたしは「ゴールデンカムイ」をアニメを見て知りました。

この物語はアイヌの風俗が大事な伏線となって描写されていきます。

それがかなり詳しくて興味深い内容になっています。

アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」

人気のあるコミックやアニメの解説本はよく出ています。

ゴールデンカムイにもあるんですよ。

ゴールデンカムイが連載されている「集英社」からの新書版です。

『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』

著者はゴールデンカムイのアイヌ語監修の中川 裕氏

アイヌ語だけでなく、風俗や独特なアイヌ的考え方などもに精通されているようです。

挿絵もコミック作者の野田サトル氏のものでマンガからの引用という豪華さ。

コミックもアニメも見てなくても、アイヌについて広く知りたいなら最適だと思います。

「カムイ」って何?

行者にんにく

カムイはかみからきている、アイヌにとっての神のことです。

 カムイはアイヌの精神世界を知る上で不可欠の言葉で、これがわからないとアイヌ文化は何もわからないと言っても過言ではありません。よく「神」と訳されますが、「カミ」と「カムイ」はたしかによく似ています。カムイは言語的にも日本語の「神」と同じ言葉だと思われますし、日々お祈りを捧げる存在だと言えば、カムイ=「神」、よしわかった、ということになりそうです。

 しかし、ちょっと待ってください。アイヌの伝統的な考え方では、表を歩いている犬や猫、庭にやってくるスズメやカラスはみなカムイです。神様のお使いなどということでではなくて、その一匹一匹がみんなカムイなのです。そればかりではありません。道端に立っている木も、その下に生えている草も、その間を飛び回っている虫たちも、基本的にはみなカムイです。それどころか、家や舟や、鍋や茶碗などの食器類―—人間の作ったものもカムイですし、ガスコンロの火もカムイです。火がカムイというのは、火を司る神様がいて、それが人間に火をもたらしたという意味ではありません。そこで燃えている炎自体がカムイなのです。

アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 (集英社新書)  中川裕(著)野田サトル(イラスト、その他)

カムイは神の国においては人で、

この世の装いをして人の世に遊びに来ているのだそうで、

それは動物だったり植物だったり、あるいは道具や火なども

同じく人間の姿をした神のこの世での姿。

カムイは神威・神居と書きます。

当て字でしょうけどね。

それでもカムイの意味がつかめやすいような漢字があててありますね。

万物の奥には人のかたちをした神が居るのです。

キリスト教の神とは違う?

アイヌ仕様のハートのネックレス

なんでもかんでも神にしてしまう?

一神教のキリスト教よりも多神教である神道の考え方に近いと思われるかもしれません。

異質なものだと?

はたしてそうだろうか?

神の御霊が変化して

世界のすべては神の栄光でできていて、

それは神の霊であり、

神そのものです。

すべての物質はつまるところ「光」です。

霊も例外ではありません。

全ては神の一部、一部とは神そのもの

わたしたちの霊も肉体も例外ではなく、神そのものです。

神道でいうと「分け御霊」ですね。

神を人というなら、完全な人です。

我々は未成熟な神ともいえますね。

カムイはすべての事物にいる神を現しているのだと、わたしは考えます。

人の体は細胞でできているように

人もまたカムイなのかも知れない。

 なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、

わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。

このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、

奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、

勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。

新約聖書 ローマ人への手紙12章4-8節

キリストを教会として、その四肢を我々が受け持って

教会の役割を果たしていくという意味です。

わたしたちの肉体も、数えきれないほどの細胞があって、

それぞれの異なる働きによって生かされています。

その細胞をかたちづくる物質も分子でできていて、

原子などになっていきます。

それらもまた未知の素粒子になって「光」となります。

それらは神の栄光であり、神の霊そのものです。

この世界も神でできた天使が働くことによって成り立っているなら?

その個々の天使は神でもありますよね? 神でできているんですから!

多神教にみえるのは、霊感を受けた人が見ていた場所が異なっていたからだと感じています。

この感じは啓示を知る人なら、日々に感じていることではないかと思います。

カント オワ ヤ サク ノ アランケ シネ カ イサム
(天から役目なしに降ろされた物はひとつもない)

アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 (集英社新書)  中川裕(著)野田サトル(イラスト、その他)

カムイにそれぞれ環境の肢体としての働きがあるなら、

人もまた同じく役割があると考えます。

現代社会でのカムイ

鮭を干してる

テレビやパソコンだってカムイであるはず

あらゆる道具は、その道具の機嫌を損なわないように大事に使って、もう使えなくなったら感謝の気持ちを込めて、それをしかるべく処分する。食べ物の大部分は他の生物の命の賜物なので、その動物たち、さらには自分に代わってその動物たちを食べられる形にしてくれた人たちに感謝する。食料品を無駄に買い込んで、冷蔵庫の中で腐らせたりしない。水を出しっぱなしにする、洗剤を大量に使う、油をそのまま流しに流す――こういった行為はみな、水のカムイを怒らせる行為なのでやめる。このように、私たちが日常生活の中で自然に行っていることは、人間とカムイとの共存ということからすべて導き出されます。

アイヌの伝統的な価値観は、すでに失われた過去の遺物ではありません。現代の生活の中で十分に生かされる――というより、現代人にとって、とても必要で重要な考え方なのです。

アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 (集英社新書)  中川裕(著)野田サトル(イラスト、その他)

神を粗末に扱うなら反動があるのが当たり前だと感じますね。

神がおられるのなら、お怒りになることだってあるわけですから。

できるだけ神がにこやかにしておられる想像ができる世にしていきませんか?

昨今の異常気象や天変地異はメッセージかも知れませんよ?

ゴールデンカムイを楽しみつつ知るアイヌのこと

ハマナスの葉と実

物語は佳境で、あんなに元気なご老体も逝ってしまいそうです。

最後に強烈な輝きを放って!

ストーリーだけを追っていても手に汗にぎる展開がすごく面白いのですが、

背景にあるアイヌについて知るともっと面白くなってきますよ。

神秘主義の視点からみるとアイヌ民族にはルーツからの隠された物語があります。

イスラエルの散乱と集合に深くかかわる民族だと感じています。

そのヒントがほしくて、この本を手に取りました。

アイヌについてさらっと知りたい人にもおすすめできる本です。


日本の国とアイヌにかかわる不思議な話は別の記事にしていきます。

お楽しみに!

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