書評「イザベラ バードと侍ボーイ」文字を持たないアイヌが残したもの

当ページのリンクには広告が含まれています。

文字を持たないアメリカの先住民が分岐して日本に渡り着き東北人、果てはアイヌとなった。

先祖からの受け継ぎは人の慣習や人格の中に残されるはず。

その痕跡の一端をこの小説の中から見出そうという試みです。


良き日本人らしさが失われる現代社会は嘆かわしい?

そもそも心の美しさって本当にあったの?

日本人とは外国人に見栄を張って良くみせようとしていた人々だけでない。
貧しい大多数の庶民の中ではどうだったのか?

この点は同じ日本人によって記録された人々は少なすぎる。
これは見栄だけでなく日本が侮られ、侵略されないようにという意味があった。

当の日本人が本当の先祖の真実を知る手段がとても少ない。

イザベラ・バードのような外国人による普通の日本人の姿が貴重で興味深い。


かつて古代アメリカの先住民が他に流れていった経緯がわかる「モルモン書」という記録がある。

その記録では彼らがネイティブ・イスラエルでもあることもわかる。

そこを意識しつつ見聞してきて40年。
そこで得てきたものを元に公開します。


この本では古代の痕跡もまだ残っている、明治初期の東北人とアイヌの生々しい姿が活写されている。

東北人・アイヌ人の人の中に先祖から受け継がれてきた、心の遺産に間接的に触れることができる。

悲惨ともいえる貧しく苦しい生活の中で、好奇心旺盛な東北の民、律儀で情に厚い人々のことから見えてくるものがあった。


この本を読んでみて欲しい。
日本人でいることが嬉しくなるでしょう。

その次はイザベラ・バード著「日本奥地紀行」を読んで見るといい。

スポンサーリンク
目次

アイヌや東北地方の人々の先祖はアメリカから渡ってきた可能性がある

アイヌや東北地方の奥地で貧しい庶民の記録は数少ない。
アイヌは文字を持たない文化ゆえに―歴史的な記録が少ない

縄文人はみしとなり、今に至って東北人とアイヌ人となっている。

縄文人はアメリカの先住民から分岐して日本列島(東日本)に移り住んだ人々で、モルモン書ではレーマン人と呼ばれていた。

この本からアイヌ人とアメリカの先住民との共通点が見えてくるかも

アイヌ人は口頭伝承で文字を持たない。
―古代アメリカ先住民の先祖であるレーマン人の特徴でもある。

レーマン人とニーファイ人はひとつの家族がエルサレムからアメリカに渡ってきたことで始まった。

日本へと移り住む冒険を成し遂げたのは一握りの人々である可能性が大いにある。

また、レーマン人を日本へと率いてきたリーダーがいたはずで、ひとかどの人物だったに相違なく、彼らの子孫にも人格や人柄、習慣、態度などに受け継いでいる特質があるはず。

アイヌの歴史も記録がほとんどない。

東北人となった大和の民は朝廷に帰順した蝦夷で元はアイヌの人々。
同じく記録は少ない。

だからこそイザベラ・バードの記録が貴重になる。

この小説から痕跡を探してみたい。

本の文中から失われた民の痕跡を探す。

この小説の作者 うえまつ氏は「日本奥地紀行」や他の資料から小説としてまとめてくれている。

気になった箇所について挙げてみる。

庶民は想像を絶する好奇心の塊を持っている

イザベラは多くの外国人観光客のいく比較的、快適に整備された街道ではなく、彼らの目には触れてこなかった、街道から外れた奥地を目指した。

冬前に蝦夷地(北海道)を旅する行程は、梅雨時期の東北を行くことになった。

道はぬかるみ予想をはるかに超えた難儀な旅となった。

宿もまた悲惨だった。

鬼怒川沿いの小さな集落の宿は家の中に馬小屋あって、匂いがひどい。
また、客が廊下にたむろしてイザベラを遠慮会釈なく眺める。
蚤や虱の猛攻撃、雨漏りのない床がないなど。

宿の襖が外され廊下や庭から見物する人たちがいたり、隣の棟の屋根に上った集団に覗かれるなど。

他の宿でもイザベラは執拗な好奇の目に苦しめられ、気が休まる間がなかった。

イザベラはあきれ、うんざりしながらも彼らを前向きに評価する。

―とにかく日本人の新規のものを造る力には、頭が下がるわ。それだけ好奇心が強いからこそ、私のことを、じろじろ見るんでしょうねー

イザベラ・バードと侍ボーイ (集英社文庫) 文庫 – 2024/2/20 植松 三十里 (著)

好奇心は学ぶ動機でもあり知りたがりということでもある。

みつげるの野次馬根性の中にもこの日本人の特性を受け継いでいるのだろうか。

実直さと善良さは、現代日本人の心をえぐる

人力車の車夫がヤマツツジを山の中で探してイザベラに贈った。サヨナラ、グットバイ、サンキュー、アリガトを繰り返しながら彼らは去っていった。

人力車夫は過酷な道中で疲労困憊ななかでの、この行動はイザベラを思う気持ちは純粋で思いやりに満ちたものだった。

イザベラは伊藤に言った。

-とても素朴で善良な人たちに出会えて、日本のよさが、ひとつわかったわ。あんな人たちに会いたくて、私は旅をしているのよ-

イザベラ・バードと侍ボーイ (集英社文庫) 文庫 – 2024/2/20 植松 三十里 (著)

ある村では出会った、ひどく咳込む男の子を見かねて咳止めを飲ませて鎮めてやる。
宿には医者がいると村中で噂となり村中の人が治してもらおうと集まってしまった。

こんな貧しい僻地に医者はいないし来ない。
村人たちの状態は切実なものだった。

見兼ねたイザベラは集まっていた子供に、手持ちの虫かぶれの薬を塗ってやる。

翌朝、村人の群れがどこまでもついてくる。
伊藤は好奇心から村人がつきまとっているのだと思った。
実際はお礼と別れを惜しむために集まっていたのだった。

まっすぐで純真な民の思いが溢れている良い場面だ。

カムイ信仰とアメリカの先住民の信仰

アイヌのカムイ信仰は日本神道に通じ、彼らと同胞のアメリカの先住民の信仰にも通じている。

ーアイヌの人たちはね、あらゆるものに神が宿ると信じている。自然を尊んで、すべてのものに感謝する。それって素晴らしいと思わない? 男たちの木彫りも、女たちの刺繍も素晴らしい文化だと思う。そんな彼らを、私は哀れむ気持ちにはなれないわ―

イザベラ・バードと侍ボーイ (集英社文庫) 文庫 – 2024/2/20 植松 三十里 (著)

アイヌのカムイ信仰とアメリカ先住民の信仰との類似点は以下。

自然への敬意
両者とも自然を深く尊敬し、その中に神聖な存在を見出す点で共通しています。
自然を敬い、自然と調和して生きることが重要視されています。

儀式の重要性
感謝や祈願のために行う儀式が生活の中で重要な位置を占めている点も共通しています。
儀式は単なる形式ではなく、自然との関係を強化するための実践です。

精霊信仰
具体的な動植物や自然現象に特有の精霊が宿っていると考える点でも共通しています。
精霊はそれぞれの文化において重要な存在であり、人々の日常生活に密接に関わっています。

これらの類似点は、アイヌ人とアメリカの先住民が自然環境と深く結びついた生活を送っていること、そして自然との調和を大切にしていることを示しています。

通称先住民とはインディアンであり、レーマン人とも呼びます。
先祖が持っていたメシア信仰からすると背教であり、大事な真理が失われた状況ではありますが、これはこれで意義深いものがあります。

アイヌの生活習慣と偏見からくる誤解―鶴吉のアイヌへの印象の変化

鶴吉はアイヌについて、よくない噂しか耳にしなかった。

彼らは大酒呑みのうえに、働く気がない怠け者で、礼儀知らずだという。文字を持たないから、学校も寺子屋もない。

イザベラ・バードと侍ボーイ (集英社文庫) 文庫 – 2024/2/20 植松 三十里 (著)

伊藤鶴吉は山アイヌの村で実際に彼らと接して噂とは全く異なることを知る。

ベンリたちが噂とは異なり、礼儀正しいのが意外だった。
大勢で集まって見物したり、いつまでも凝視したりという無作法もない。

女たちはイザベラに笑顔で挨拶した後は、ごく当たり前のように自分たちの仕事に戻る。
機織りや料理など、せっせと働き続ける。

鶴吉は、どこが怠け者かと、聞いていた噂に首を傾げた。

イザベラ・バードと侍ボーイ (集英社文庫) 文庫 – 2024/2/20 植松 三十里 (著)

海に生きる海アイヌは和人の要求に応じて昆布を大量にとることで昆布が枯渇して出稼ぎに出るようになった。

山アイヌは大きな富をうむ経済活動とは無縁で、山や川から食べるものを手に入れる。

若干は売ってお金にして和人から主に鉄器の刃物などの必要なものを買う。

自然のものは取り尽くさずに先々のために残しておく堅実な生活をしている。

鶴吉は話を聞いて、和人がアイヌを怠け者と見なした理由に気づいた。
アイヌたちは自分たちが必要な量だけ取って、後は残しておく。

その欲のなさが、おそらく和人には「働く気がない」と見えてしまうのだ。

イザベラ・バードと侍ボーイ (集英社文庫) 文庫 – 2024/2/20 植松 三十里 (著)

山アイヌが持つ堅実さは良いイスラエル人の持つ特色といえる。

小説のテーマを語る場面|今の日本人に失われた大事なもの

ここでは登場人物の言動を通じて、作者の作品についてのテーマが提示されている。

わたしの各記事は予言等の解説をしているが、日本は一旦どん底まで落ちぶれていくことになる。

そんな日本の将来において、わたしたちがどんな人でいるべきかについて感じさせてくれるシーンとなっている。

ここでの伊藤の思いの変化は、その時にあなたに求められる変化かも知れない。


アイヌへの偏見が払しょくされ彼らに対して申し訳ない気持ちからくる後ろめたさがある伊藤。

貧しさや無学が人の価値を貶めるのではないとイザベラは伊藤に言う。

―それに、あなたは何度も言ったわ。貧しい日本を、本に書かれるのは恥ずかしいって。でも貧しさ自体は恥ではない。恥ずかしいのは、他人を見下す人がいることよ―

イザベラ・バードと侍ボーイ (集英社文庫) 文庫 – 2024/2/20 植松 三十里 (著)

彼女は、自国を誇ることは悪くないが、人を見下すことは間違っていると主張し、自身の著書を通じて「それぞれに文化があって、人は対等だ」というメッセージを伝えたいと強調する。

この言葉は鶴吉の心に深く響き、彼が他の雇い主や奉公先の宣教師から受けた奴隷的な扱いや仕打ちを受けた過去の経験と共鳴する。

この部分こそが著者が示したいテーマだったのではないだろうか。

イエス・キリストが築きたい未来はここにあると私は思う。

まとめ:失った日本人の魂を取り戻そう

この小説に登場した彼らはあなたの一部となっている。

西日本も古代アメリカの先住民からの別の流れを受け継いでいるので東だけのことではない。

本に登場する人々の生き方は、あなたが受け継いだ何かを教えてくれるかも知れない。
違いもあるが、共感できるところも多く共有しているはず。

この日本を生まれ変わらせる力はあなたの内にあることを力説したい。


イザベラ・バードと、この旅の詳細を知りたくなったら、「日本奥地紀行」を読むことをお勧めします。kindleでかなりお得に読むことができます。

また、みつげるの他の記事を読んでみてください。

XやFacebookにも投稿していますので、フォローをよろしくです。

スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次