主人公の「イザベラ・バード」って誰?
1831年(天保2年)10月15日:イギリス・ヨークシャー生まれ。
1878年(明治11年)6月~9月(47歳):通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉を供とし、東京を起点に日光から新潟県へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本の旅をしました。
1880年(明治13年)(49歳)「Unbeaten Tracks in Japan(日本奥地紀行)」全2巻にまとめます。
そのうちの第1巻にこの旅について書かれています。
それは近代化の中で恥として隠されてきた各地の文化を外国人の目でみた貴重な記録でした。
特に、アイヌの生活ぶりや風俗について、アイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況を紹介したほぼ唯一の文献です。
コミック「ふしぎの国のバード」|佐々大河 著
探検家イザベラ・バードと、通訳の伊藤鶴吉を軸に展開されていくストーリーです。
もちろんコミックとして楽しめるように演出がされています。
演出のひとつとして、イザベラ・バードは若くて美人に描かれています。
彼女は当時47歳のはずで、実際はかなりのおばさんだったと思われます。
戊辰戦争の終結から10年ぐらいで、その余波もストーリーに影を落としています。
政治的な思惑が飛び交い、自然の脅威などで困難な旅が続く、波乱万丈の物語になっています。
東北は未開地といっていいルートを行きます。
そこに登場する人々は近代化とはほど遠い人たちなのですが、生き生きとした人々の生き方が活写されていきます。
なぜ読みたくなったのか?
東日本はもともとアイヌ(蝦夷)の地域でした。
東北地方はアイヌの人々が日本人となって溶け込んでいる地域です。
また、コーカソイド(白人種)的な美人さんが多い地域です。
わたしはアイヌ人が古代アメリカから日本に移り住んだ人々だと考えています。
そういった文化や風俗が垣間見れるものに触れられるのではないかと思いました。
今の所、そういうのはあまりなかったのですが、第1巻からストーリーに引き込まれました。
また、近代化されていない明治初期の東日本の旅行記にも興味がありました。
そこは期待通りの面白さです。
9巻で函館に到着です。次巻からは蝦夷地での探検です。楽しみだなー
第9巻 碇ヶ関→黒石→津軽海峡→函館
碇ヶ関:大ピンチ! 豪雨による土砂崩れで足止めと滞在する集落が孤立します。
黒石:戊辰戦争で心に大きな傷を負った青年たちがイエス・キリストを信じることで心に大きな変化を起こします。
津軽海峡:海を渡るだけですが、ここは海の難所でもあるんですね。
函館:やっと蝦夷地についたかと思えば伊藤がピンチです。詳細は次巻に持ち越し。
神しか救えない苦悩
あなたの神を求めなさい
戊辰戦争に従事して深く心に傷を負った青年が英学校にいます。
「あなたの神を求めなさい」
宣教師でもあるのかな? その英学校の教師から告げられた言葉です。
「自意識を投影して、自分に都合のいい神を創ってしまうのではないか?」
そう思いました。
聖書には「アブラハム、イサク、ヤコブの神」とあります。
アブラハムにとってヤハウエは「わたしの神」なのです。
イサクにとってもヤハウエは「わたしの神」です。
親子といえど見ている神は一律ではない。
真理を探して祈り求めるときに、心の深いところで神と結ぶことがあります。
それを啓示といいます。
キリスト教ならイエス・キリストを軸として集まることで教会になります。
同じ名の神を信じて集まり、足りない部分を補い合うことで連帯がうまれていきます。
神道、仏教やイスラム教なども、そうして集まります。
わたしはこれらの交わらないと思われている宗派の軸が交わっていくことが、これから起きることだと感じています。
信仰生活とは真理の源へとさかのぼって行く旅だと思うのです。
神にしか救えない苦悩
聖書は道徳そのもの
福音を広めることが
世界を救うと信じているわ
イエスを知らない善良な人々に出会う度
信念が揺らぐのを感じる
それでも
神にしか救えない苦悩もある
ふしぎの国のバード 9巻 (HARTA COMIX) 佐々 大河 著
「隣人を自分のように愛しなさい」
「あなたの敵を愛せよ」
さっきまで戦っていた人には「なんてキレイごとな言葉だ!」と思えるのでしょう。
でも、「惹かれて気になってしょうがない」
人の心にある神性が心の中で新たな苦悩を生むのです。
そこから離れてしまえばいいのに、離れられない。
この苦悩の向こうに何かがあることだけはわかるから。
新たな命を得るための最初は「疑い」にあるのですね。
バードの旅の大きなテーマ|アイヌとの接触
バードは、旅の前のリサーチでチャールズ・ダーウインと面談をします。
そこで得たテーマが「アイヌは太古の白人種ではないか?」という
もの。
それが日本の蝦夷地(北海道)まで行く、探検の大きな目的の一つとなりました。
そこでのバードとダーウインの会話を少し再現します。
<ダーウインは2つの人の頭骨を出す>
右が白人種(コーカソイド)。左が黄色人種(モンゴロイド)の人骨だ。
側面から比べると 彫りの深さや後頭部の長さが違うだろう?
・・・中略・・・
アイヌは太古の白人種ではないか?
シーボルトはそう主張している。
骨格が他の黄色人種と異なり 我々と同じ深い彫りと二重まぶた 濃い体毛を持つからだ。
アイヌ(蝦夷)はレーマン人
モルモン書にはエルサレムからアメリカへ移住した一家からニーファイ人、レーマン人という民が生じていく過程が書かれています。
彼らはイスラエルの一族で主にヨセフの子孫です。
主にというのは、ユダ王国のゼデキアの親族の一行が彼らと合流しています。
ユダ王国とはユダの氏族となりますので、ユダの血統も混ざり込んでいることになるからです。
実際には他にも記録にないだけで別の種族が合流している可能性もありますね。
それでもヨセフの存在が濃い民族であることは確かです。
アメリカの先住民となって今に至ります。
それだけではなく、モルモン書には船を仕立てて海に乗り出し、行方不明となったことが記録されています。
また、モルモン書以降の時期にもアメリカ大陸を出ていった民がいるようです。
その一端が日本へと至り、アイヌ人(縄文人・蝦夷)や琉球人(弥生人・邪馬台国人)となります。
彼らは東日本や西日本の日本人の血統的なベースになっていると私は考えています。
ヨセフの子孫とは
ヨセフの息子のエフライムとマナセは新たな支族としてイスラエルに属しています。
エフライムとマナセはセム系(黄色人種)とヤペテ系(白人種)のハイブリッドなのです。
ヨセフの事情
パロはヨセフの名をザフナテ・パネアと呼び、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻として彼に与えた。ヨセフはエジプトの国を巡った。
・・・中略・・・
ヨセフは長子の名をマナセと名づけて言った、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。
また次の子の名をエフライムと名づけて言った、「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」
旧約聖書 創世記41章45、50-52節
当時はイスラエル人としてエジプトにいるのはヨセフだけでした。
当時のイスラエルは一族というよりも、ヤコブ一家というレベルです。
またエジプトには近い血統の同族もいなかったのです。
かといって、パロの一族(カナン人:黒人種)との婚姻は神から禁じられていましたので、できません。
なので、祭祀の一族というのは白人種(ヤペテ)で、祭司の娘とは白人系の女性ということになります。
イスラエル人は聖約の民の一族です。
なのでヨセフの子供のエフライムと、マナセは聖約の民であり、異邦人でもあります。
かれらの血統が世界中に広がることで異邦人がイスラエルとみなされ聖約の民と数えられるようになります。
ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は、かきねを越えるであろう。
旧約聖書 創世記49章22節
枝は子孫の血の流れで、かきねとは大山脈や大海などのことです。
かれらの受け継ぎは地球規模になるという予言です。
それは主に、エフライムとマナセによっておこります。
彼らの子孫はアメリカ、オーストラリアをはじめとしたオセアニア。
台湾や沖縄、西日本にあり、そして東日本と北海道、樺太に広がったアイヌたち。
環太平洋文明とも呼べる結びつきをもつようになりました。
アイヌに白人種の特徴があるのはそういう背景があることがわかります。
シーボルトやダーウィンの推論は当たっているけど外れということになりますね。
日本|人々の中に隠された、聖書の国
わたしは日本の古くからの神道、仏教、儒教には原始キリスト教が溶け込んでいるように感じてきました。
また、日本の習慣や風俗の中に「先祖はイスラエルの民ではなかったのか?」とも思えるものが多々あります。
私はこれを「計画された背教」と呼んでいます。
「なぜ? なんのために?」
イエス・キリストの再臨の時に働くために隠され植えられた聖約の民だからです。
神の民として目覚めるためには大波乱があると思われますが、
神によって光り輝く民として復活することを確信しています。
天岩戸の伝説の預言の成就により、神国日本の主は誰なのかが明らかになるでしょう。
次巻は蝦夷地(北海道)編に突入です!
次の10巻は、バード、鶴吉ペアは蝦夷地(北海道)での旅になります。
アイヌとの出会いがどうなるのか楽しみです。
ゴールデン・カムイもクライマックスのようで両方とも目が離せません!
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