孫とまだ遊んでいたい|死にかけて怖くなった、あなたに伝えたいこと

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病気に囲まれて死にそうな人

丈夫で長持ちで自慢のあたしがねぇ、脳の血管がつまりかけて、あっさり死にそうになったのよ。
運よく後遺症もなくて助かったのだけど、死ぬとこだったのかと思うと怖くてねー。
治療も真面目にしているよ。でも怖いのよ。
どうすりゃいいの、この気持ち!

わかります、その気持ち。
消え去りたくない、生きてる者の本能ですよね?
「死」について、科学では説明できない、人智を超えた知恵が必要です。あなたに「知恵」の見つけ方を教えます。
知ることで怖さはなくなりませんが、かなり楽になれますよ。

一般的に死とは肉体の死です。

人生はそこで終わるわけではないんです。

そこを知ることが肝です。

この記事を読むことで、自分から答えを見いだす方法を知ることができますよ。

ただ日々を過ごしても見えてこない、むこうの世界を知ってみませんか?

怖さはなくならないかもしれませんが、すごく楽になります。

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目次

「死んだら終わり」が怖いあなたが望むのは何?

目の前で死にそうな経験をすると、死ぬことが怖くなるのは自然なことです。

「生きていたい」「死にたくない」「消えてしまいたくない」

それは人の本能だから。

健康には無関心で過ごしてきておいて、急に健康志向になって、

ダイエットや糖質制限をはじめたり、

あれだけやめられなかったタバコがあっさりやめられたり、

薬も忘れずに飲んでいたりと家族に驚かれたりしてませんか?

いいことなんですが、ハッキリしていることは、

そうしていても、人は必ず死ぬんだよね。

死にかけたりすると、現実のものになってしまうから。

怖さは無くならない、仕方ない。

でも、その気持ちのまま生きるのは辛いですよ。

「死」の怖さを引きずって毎日を過ごすのはうんざりだ

死は怖い、それは本能だよね。

消え去りたくない。

それでも死はさけれない。

人はいつか死ぬ。

100%です。

わたしは数年前に脳につながる血管が詰まりかけて、死にそうになりました。

簡単な言葉が出てこない、本の文字の意味は分かるのに発音できない。

目の前の風景が虹色でグルグル回っていました。

少し時間が経って落ち着いたので

「疲れているのかな」

休んでしまいました。

そんな症状は出ませんでしたが、

怖い体験だったので、

病院へ行きました。

MRIの結果、首にある脳の左にいく血管が詰まりかけていたことが判明します。

死ななかったのは、意識があって動き回っていたために、詰まりが解消されたのだろうとのこと。

ついでに、左脳の中にも詰まりかけが発見され、糖尿病の診断もされました。

「あれは痛くも、苦しくもなかった」

あのまま死ぬなら、それでもよかったかなーと思うくらいでした。

でも、心の奥底の本能は「死にたくない」だったんですねぇ。

医師や友人から教わった「糖質制限」をしました。

大幅なダイエットと数カ月で糖尿病を脱しました。

それでも、血管が治ったわけではなく、いつかはそれで死んでしまうんだろうなあと思います。

いつか死ぬという現実が消えたわけではないです。

死を意識すると日々の暮らしに影を落としてしまいます。

この怖い気持ちをどうにかしたいですよね?

死を理解することは、生を理解すること

「人の「死」は通過点で、人生はそこで終わりではない」

科学的には人生は「死」によって肉体は、死体という物体になって終わりです。

あなたは消え去ってしまいます。

そう思うことが怖さの正体です。

スピリチュアルな答えに人の「死」は存在しない。

死後の世界を教義に持たない宗教は存在しないです。

クリスチャンの立場からの答えは、

人は肉と霊の体を持っています。

肉は有限ですが、霊は無限です。

人の霊はもともと不滅にできていて、

一般的に死とは「肉体の死」のことです。

臨死体験というものがあります。

死に瀕して、走馬灯のように過去や未来を見ることです。

また、身体を離れた状態で、三途の川やお花畑にいたり。

深い山々を巡っていたりします。

そのまま行けば別世界に行くのでしょうが・・・

そこから意識が肉体に戻ってくるという体験です。

そこからわかるのは、死を超えた向こうに人生の次のステージがあるということ。

肉体の死の向こう側を知れば、死への恐れから救われます。

あなたに「死はない」という真理。

これを確信できれば、あなたは最強です。

本物のスピリチュアルは人を救うもの

あなたに「死はない」に確信を持ちましょう。

なぜなら「知ること」が怖さをなくす方法の全てです。

クリスチャン仲間では、近い死を宣告された方を見てきました。

自暴自棄になって信仰も教えも吹っ飛ぶ方もいます。

最初はオロオロしていますが、時間と共に死と落ち着いて向き合う方が多かったです。

信仰が感情を越えていくのです。

死期を知る戸惑い怖がるのは仕方ない。

生死観がしっかりしていると死を受けいれる速さが違ってきます。

クリスチャンなら死後の存在復活の教義は外せないものです。

これが確信となって死が克服されていくのです。

その確信を先取りするのが霊感であって啓示です。

自己流でいいので、瞑想をしてみませんか?

「わたしは死んで消えてしまうのでしょうか?」問いたずねるのです。

あなたの心の奥底から答えはやってくるでしょう。

死が怖い人だけに限定

死んだら終わりと信じることも自由です。

怖くないなら問題はないですね。

いつか答えは必ず出ることなので保留でもいいでしょう。

信じることは自由に選べます。

結果は選べないんですけどね。

できるものなら先の答えを得ている方がお得ではありませんか?

今すぐに向こうの世界へアプローチ開始―瞑想へのお誘い

あなたの心の奥深くで神に出会えるという経験は得難いものです。

一瞬で永遠の観点をもつことができます。

その経験は始まりにしかすぎません。

さらなる瞑想で神の意識をあなたのものにしてしまいましょう。

全ての知恵の入り口にあなたは立っているのです。

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