歴史が示している未来は予言そのもの|演出された出来事に注目

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わたしは歴史上の出来事自体が未来に起こることの予言となっていることに気づきました。
歴史は繰り返す、だから未来は予測できる。

私は預言を学んで40年の経験があります。
歴史と預言の真実を公開することで、多くの人々に新たな視点を提供したいと考えています。

この記事を通じて、我々が知る歴史の記録が預言となるように演出されていることに気づくでしょう。
捏造もあるかもしれませんし、創作を通して伝えたいメッセージが隠されている可能性もあります。
歴史を謎学として学ぶ楽しさを感じ、自分の生命を拾う可能性も見つけることができるでしょう。

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目次

歴史は物語として創られる。|真相より筋書き

我々が知っている史実は、誰かが記録したものです。

記録者は神秘主義者が関与している場合があり、
神秘主義者は、神道関係者やがらすとその配下にいる歴史家などが含まれる。

もっとも脚色しなくても神の摂理により、記録したものが予言となってしまっている例もある。

もし記録者が預言者であったり、その仲間が含まれている場合、神話的になるような改変が行われることもある。

そして、その改変された内容が後世に史実として伝わることもあると考えます。

世界の原作者は神|人の動きにも神の個性(パターン)が出る。

聖典は歴史の記録でありながら、その本質は預言書です。
聖典においては神の意向が優先される。
創作物には創作者の個性が現れるように、聖典にも作者である神のパターンが反映される。

歴史が繰り返すのは、神の計画のストーリーパターンがあるからです。
人の行いもまた神の一部なので、人々の動きの中にもパターンがある。
そのため、似たような物語が大小問わずさまざまな場所で生まれる。

このようにして、歴史記録は未来で起こることの予兆となることがある。
しかし、時にはその記録が史実を捻じ曲げることもあります。

意外過ぎる隠された預言を紹介します

これはヨハネの福音書の最後の言葉です。

イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。

新約聖書 日本聖書協会 口語訳 ヨハネの福音書21章25節

この世の全てはイエス・キリストを指し示している。

これがクリスチャン的な神秘主義者の思考です。

文書も意図せずともそうなってしまう。
中には狙いすまして仕掛けられたものもあります。

今回は、その中から以下の三点を取り上げてみたい。

  • イザヤ書に隠された秘密|ひとつの預言に出来事が重複している
  • 神会と織田信長、豊臣秀吉、徳川家康|ホトトギスの言葉から
  • モルモン書のストーリーに重なる日本の戦後とこれからのこと

イザヤ書に隠された秘密|ひとつの預言に出来事が重複している

イザヤ書は一つの文章で複数の預言を含む「平行預言」の代表例です。

イザヤ書の預言は、直近の成就、後年の成就、そして末日の世界での成就といった異なる時期にわたって成就します。

「一粒で三度おいしい」ですね。

以下に、イザヤ書9章6-7節の預言から一例を紹介します。

これは新約聖書マタイ書にも引用されているのでご存じかも知れませんね。

ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。

そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。

旧約聖書 日本聖書協会 口語訳 イザヤ書9章6-7節 

一次的成就:
イザヤの時代において、この預言は当時の王や指導者に関するものとして理解された。
具体的には、イザヤが活動していた時代のユダの王ヒゼキヤがこの預言の一つの成就とされている。ヒゼキヤは宗教改革を行い、偶像崇拝を排除し、ユダ王国を強化した。
彼の治世は平和と繁栄をもたらし、公平と正義をもって国を治めた。

二次的成就:メシアであるイエス・キリストの到来として新約聖書で引用される。

三次的成就:イエス・キリストの再降臨後の統治についても及んでいる。

神会と織田信長、豊臣秀吉、徳川家康|ホトトギスの言葉から

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に関する有名なホトトギスの言葉は、三者の性格や戦略の違いを象徴しています。これらの言葉は以下の通りです。

織田信長:「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
信長の決断力と冷酷さを象徴しています。

豊臣秀吉:「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
秀吉の柔軟性と機知に富んだ性格を示しています。

徳川家康:「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
家康の忍耐力と長期的な視野を反映しています。

これらの言葉は、歴史上の三英傑それぞれの統治スタイルや個性を端的に表現しており、日本の歴史や文化を理解する上で重要なものとなっています。

これらのホトトギスの言葉の正確な作者は不明であり、一般的には後世の人々が三英傑の性格や行動様式を端的に表現するために作ったとされています。

具体的な文献や歴史的証拠に基づいたものではなく、口承や俗説として広まったものであり、誰が最初にこれらの言葉を述べたのかは確定されていません。

このような言葉は、日本の歴史や文化において、偉人たちの特質をわかりやすく伝えるための寓話や教訓として受け継がれてきました。

私は仕掛け人がいて、神会を意識して記録が演出されたのではないかと考えています。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の関係は、キリスト教の天父、イエス・キリスト、聖霊の特性や関係に似ていると感じているのです。

聖霊:織田信長(峻厳の柱)
イエス・キリスト:豊臣秀吉(慈愛の柱)
天父:徳川家康(均衡の柱)

ただし、これはキリスト教ではなく、カバラ(ユダヤ密教)の観点からの解釈です。

このような表現を創り出し広めた者の存在を感じます。

モルモン書のストーリーに重なる日本の戦後とこれからのこと

モルモン書の歴史記録は日本に関連する予言とも重なるようになっていて、平行預言の形をとっているのではと感じています。

モルモン書に記録された出来事をなぞるように、日本は移り変わっていくのか・・・大注目しています。

その中から一部を紹介しましょう。

モルモン書とはアメリカ先住民の記録

モルモン書は、アメリカの先住民の記録であり、霊的なメッセージが主目的です。

しかし、その内容には多くのもめごとや戦争の記録が含まれており、一見すると争いごとが中心のように見えます。

私はこれらの出来事は、彼らの未来に起こることと重なるように記録されていると考えています。

記録した人たちは目の前のことを記録したり、数多くの記録をまとることに集中して、神の意図など想定していなかったかもしれません。

しかし、そうなってしまったのです。

モルモン書には、旅立ち行方不明となった同胞たちが記録されています。
散り散りになった彼らは環太平洋文明を起こし、日本にも到達しました。

ならば、モルモン書には、日本で成就する預言も含むかもしれません。

さらに、モルモン書の記述は、日本の戦中、戦後の出来事と重なるととれる部分があり、その後の展開も描かれているようです。

レーマン人の平和の誓い|日本国憲法9条

日本国憲法(通称:平和憲法)は押しつけ憲法かも知れませんが、モルモン書には重なるエピソードが存在します。

アルマ書24章には、イエス・キリストの福音に帰依したレーマン人のグループであるアンタイ・ニーファイ・リーハイ人が登場します。

さて,わたしの同胞よ,たとえ同胞が我らを殺そうとしても,見よ,我らは剣を隠してしまおう。それを決して使わなかったという証拠として,終わりの日に輝きを保っているように,それを地中深く埋めてしまおう。そうすれば,たとえ同胞に殺されても,見よ,我らは神のみもとへ行き,救われることであろう。」
さて,王がこのように語り終えると,民は皆集まり,自分たちの剣と,かつて人の血を流すのに使ったあらゆる武器を取って来て,それを地中深く埋めてしまった。

末日聖徒イエス・キリスト教会 モルモン書 アルマ書24章16-17節

彼らは過去の暴力行為から完全に離れることを決意しました。

アンタイ・ニーファイ・リーハイ人の王は、暴力を捨てることが信仰の証であり、神に対する献身を示す行動であると説きました。

改心の証として、彼らは武器を地中深く埋めることで二度と暴力を使わないことを誓いました。

この行動は、平和への強い意志と、神に対する絶対的な信頼を表しています。

たとえ同胞によって殺されるとしても、彼らはその信念を守り通し、神の救いを信じていました。

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この行動は、日本の憲法第9条の理念不戦と共通するものがあります。

避難と協力|日米安全保障条約

日本は学生運動での大規模な抵抗があったもののアメリカとの間に「日米安全保障条約」が結ばれます。

これもまた似通うところがモルモン書には出てきます。

アルマ書27章では、アンタイ・ニーファイ・リーハイ人が迫害から逃れるため、ニーファイ人の土地に避難する場面が描かれています。

そして,民の声は次のとおりであった。「見よ,我々は,東の方の海のそばにあり,バウンティフルの地の南方にあって,バウンティフルの地と境を接しているジェルションの地を譲ろう。このジェルションの地を受け継ぎの地として同胞に譲ろう。
見よ,我々は,ジェルションの地とニーファイの地の間に軍隊を配備して,ジェルションの地の同胞を守る。彼らが同胞に対して武器を取ることにより罪を犯すことになるのを恐れるからである。彼らがこのことをひどく恐れるのは,彼らがかつて多くの殺人と恐ろしい悪事を行ってきたことについて,つらい悔い改めをしたからである。
さて見よ,我々は同胞のためにこのようにして,彼らがジェルションの地を受け継ぐことができるようにしよう。また,彼らが物資の一部を提供して,我々の軍隊を維持できるように援助するという条件の下に,我々は軍隊をもって彼らをその敵から守ろう。」

末日聖徒イエス・キリスト教会 モルモン書 アルマ書27章22-24節

ニーファイ人はこの改宗したレーマン人に対して慈悲深く接し、東の海の近くにあるジェルションの地を彼らに提供しました。

ニーファイ人は、アンタイ・ニーファイ・リーハイ人がかつての暴力行為から完全に離れたため、彼らが再び武器を取ることを望まないと理解していました。

そのため、ニーファイ人は軍隊をジェルションの地とニーファイの地の間に配置し、アンタイ・ニーファイ・リーハイ人を守ることを約束しました。

さらに、ニーファイ人は、アンタイ・ニーファイ・リーハイ人が生活物資の一部を提供することを条件に、軍隊を維持し彼らを守ることに同意しました。

この合意は、互いの利益と安全を保障するものであり、日米安全保障条約に類似した協力関係を示しています。

米軍基地の存在思いやり予算などは協力関係を彷彿とさせますね。

誓いの再考|再軍備と憲法9条の変更

機運はありますが、まだ成就していません。

憲法の変更集団的自衛権などにつながる動きがある中で気になるところなのです。

アルマ書53章では、アンタイ・ニーファイ・リーハイ人がニーファイ人のために戦いたいと考えた場面が描かれています。

しかし,彼らは自分たちのためにニーファイ人が危険に遭い,多くの苦難と艱難を負っているのを見て申し訳なく思い,自分たちの国を守るために武器を取りたいと願った。
しかし見よ,彼らはまさに武器を取ろうとしたときに,ヒラマンやその同僚たちの説得を受けて心を翻した。このようにヒラマンたちが彼らを説得したのは,彼らが以前に立てた誓いをまさに破ろうとしていたからである。
ヒラマンは,彼らがそうすることによって滅びることになりはしないかと懸念したのである。このようにして,以前にこの誓いを立てたすべての人は,当時の危うい状況の中で彼らの同胞が何とか苦難を切り抜けるのを見ているほかなかった。
しかし見よ,彼らには多くの息子たちがおり,その息子たちは武器を取って敵を防ぐことはしないという誓いをまだ立てていなかった。そこで,彼らの中で武器を取ることのできる者は皆このときに集まり,自分たちをニーファイ人と呼んだ。

末日聖徒イエス・キリスト教会 モルモン書 アルマ書53章13-16節

彼らは、ニーファイ人が自分たちを守るために多くの苦難を経験していることに心を痛め、自分たちの誓いを破り武器を取ろうとしました。

しかし、ヒラマンとその同僚たちが彼らを説得し、「武器を取らない」という誓いを守るように促しました。誓いを破ることは彼らにとって危険であり、滅びる可能性があるとヒラマンは懸念していたのです。

それでも、彼らの多くの息子たちはこの誓いを立てていなかったため、武器を取ることができました。こうして、息子たちは武器を取り、自分たちをニーファイ人と呼び、ニーファイ人と共に戦うことを決意しました。

この場面は、再軍備と誓いの再考を象徴し、特定の状況に応じた規則の変更を示しています。

現在の日本では憲法9条を変える議論がされています。
このままだと将来はそうなってしまいそうです。

戦うのはその子供たちですよね?
いや、孫ぐらいの年齢層が戦うことになりそうです。

歴史と預言のもつパターンを見出せば未来が見えてくる。

日本の破滅から輝かしい復興へ

日本の歴史には、破滅的な出来事からの復興というテーマが繰り返し見られます。

例えば、第二次世界大戦後の日本の復興はその代表的な例です。

戦後の焼け野原から立ち上がり、経済的に奇跡的な復興を遂げ、世界の一大経済大国となりました。

世界の大破壊と生まれ変わり

歴史を見渡すと、大破壊の後には必ず新しい秩序や社会が生まれるというパターンが見られます。

大破壊は痛みを伴うものの、それによって新しい時代が切り開かれるのです。

このパターンは、世界が大変革を迎える際にも同様です。

生き残るための備え

大変革に備えるためには、まずは楽しみながら学ぶことから始めるのが良いでしょう。

遊び心を持って予言と歴史のパターンを探り、その面白さを発見することが大切です。

予言と成就のパターンを見つける

歴史には予言があり、それが成就している事例が多く存在します。このパターンを見つけることは、予言と歴史の研究の面白さを倍増させます。

過去の出来事と現在を比較し、その後のいきさつを通して将来を推察することができます。

神パターンを見つける

創作された歴史の真相と結末は、しばしば予言のパターンの中に隠されています。

歴史の中に神の計画や意図を見出し、それを理解することで、未来を予測する手がかりとなります。


このように、日本の歴史や世界の歴史から予言のパターンを見つけることは、単なる学びではなく、未来を見通すための重要な鍵となります。

楽しみながら研究を進めることで、その面白さと深さを実感できるでしょう。

歴史を調べて将来を予測する遊びをしてみないか?

神パターンの知識があなたを救う

結論として、歴史を通して未来を見ていくことが重要です。

歴史そのものが予言であり、預言者が関わっている場合、そこには一定のパターンが存在します。

これらのパターンを見つけることで、未来の出来事を予測し、理解する手がかりとなります。

楽しく学んで、これからに備えよう

一般的な歴史を学ぶことで、過去の出来事やパターンを理解し、未来に対する洞察力を養うことができます。

また、聖典を楽しんで読み、その中に含まれる予言やメッセージを探りましょう。
聖典には霊的な指導や未来に関する洞察が詰まっています。

天災や人災の両方に備えることが重要です。
大災害に備えるためには、適切な準備と知識が必要です。
原因を見極め、適切に対応する力を身につけましょう。

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