人はつい、心や魂だけが大切で、肉体は仮の器に過ぎないと思いがちだ。
しかし日月神示は、それとは少し違うことを語っている。
神が言う「心」は人間が普段考えている心ではなく、「身魂」もまた一般に言われる魂とは違うという。
なぜ私たちは霊として存在するだけでなく、わざわざ肉体を持って地上に生まれてきたのか。
上つ巻第14帖は、その意味を解き明かす重要な神示である。
この神示よく読みてくれよ、読めば読むほど何もかもわかりて来るぞ、心とは神民の申す心でないぞ。
ミタマとは神民の申す身魂でないぞ、ミタマとは身と魂と一つになっているもの言うぞ、
の臣民、身と魂のわけ隔てないぞ、身は魂、魂は身ぞ。
外国は身ばかりの所あり、魂ばかりの所あり、
は身魂の別ないぞ、このことわかりたら
の仕組がぼつぼつわかるぞ。
身魂の洗濯と御心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけてくれよ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第14帖
の申すこと違わんぞよ。
神は「身魂」を一つのものとして見ている
私たちはしばしば、肉体と魂を別々のものとして考える。
だが神示は「身は魂、魂は身ぞ」と語る。
霊だけが大切なのでもなく、肉体だけが大切なのでもない。
神が見ているのは、その両方が結びついた存在としての「身魂」である。
この視点を理解した時、信仰や修行、そして現世で生きる意味そのものが違って見えてくる。
逐次解説|身魂とは何か
読めば読むほどわかる心とは何か
この神示よく読みてくれよ、読めば読むほど何もかもわかりて来るぞ、心とは神民の申す心でないぞ。
霊感される媒体というものは、繰り返し触れているうちに霊的な刺激を与えてくる。
最初は意味がわからなくても、何度も読むうちに突然腑に落ちる経験をした人もいるだろう。
それは単なる知識の蓄積ではない。
神示が語る「心」とは、私たちが普段使っている感情や思考のことではなく、もっと深い場所にある本来の自分の意識に近い。
その深い心によって読むようになると、霊感を通して真意が見えてくる。
そして理解が深まるほど、人の意識は神の意識と少しずつ同期していくのである。
身魂とは霊だけではなく肉体も含んだ存在
ミタマとは神民の申す身魂でないぞ、ミタマとは身と魂と一つになっているもの言うぞ、
の臣民、身と魂のわけ隔てないぞ、身は魂、魂は身ぞ。
霊的な世界を語る時、多くの人は「肉体はない方が純粋なのではないか」と考える。
しかしこの帖はそうではないと告げている。
身魂とは霊的な影響力だけを指しているのではない。
現世に肉体を持って生きることそのものが重要なのである。
まことに見よ、あなたに降ってあなたの心の中にとどまる聖霊によって、わたしはあなたの思いとあなたの心に告げよう。
末日聖徒イエス・キリスト教会 教義と聖約8章2節
ここでは「思い」と「心」という言葉が使い分けられている。
思いは表層の知性や感情への働きかけであり、心はより深い神に近い領域と見ることもできる。
聖霊はその両方に働きかけることで、人にバランスの取れた理解を与える。
つまり現世では好き勝手に生き、死後にだけ救われたいという願いは叶いにくい。
霊的な導きを受けたなら、なるべく早く受け入れる方がよい。
時間が経つと表層意識が合理化を始め、「気のせいだった」と打ち消そうとするからだ。
そうなると感受性は鈍り、まるで夢から覚めたように導きを感じられなくなる。
信仰と行いは本来一つである
外国は身ばかりの所あり、魂ばかりの所あり、
は身魂の別ないぞ、このことわかりたら
の仕組がぼつぼつわかるぞ。
「信じることによって救われるのか」「行いによって救われるのか」。
これは古くから論じられてきた問いである。
しかしこの神示が語る答えは、どちらか一方ではない。
両方である。
霊だけで十分なら、私たちは肉体を得て地上に生まれる必要はなかった。
わざわざ肉体を持ったのは、喜びや悲しみ、葛藤や決断、実践や忍耐といった現世でしか得られない経験を積むためである。
肉体を持つことで、霊はより大きな成長の機会を得る。
現世の日々は、霊にとって二度とない貴重な学びの場なのである。
身魂の洗濯とは肉体も含めた浄化
身魂の洗濯と御心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけてくれよ。
日月神示は「身魂磨き」や「洗濯」を繰り返し語る。
だがそれは魂だけを清めることではない。
肉体もまた洗濯の対象なのである。
例えば姦淫や放縦な生活は、肉体だけでなく霊的な感受性にも大きな影響を与える。
その状態が常態化すると、霊が肉体を導くのではなく、肉体の欲望が霊を引きずり回すようになる。
そこでは霊的な導きを受け取る力が弱くなってしまう。
またクリスチャンなら、神との聖約として受けるバプテスマにも大きな意味がある。
聖霊によって新しく生まれる感覚は、肉体を持つ現世だからこそ体験できる祝福なのである。
神は現世での体験を通して語りかける
の申すこと違わんぞよ。
神’は聖霊を通して、人の思いと心に働きかける。
その感覚は現世に生きる今だからこそ味わえる。
肉体を持つことは重荷のようにも見えるが、それは神の声を感じ、学び、成長するために与えられた貴重な機会でもある。
霊だけでは体験できない学びが、この世界には用意されているのである。
身魂磨きとは「霊と肉体」を一致させること
上つ巻第14帖は、身魂を霊だけの問題として捉えてはならないと語る。
神が見ているのは魂だけでも肉体だけでもない。
両者が調和した「身魂」である。
信仰も行いも、心も肉体も、現世も来世も、本来は切り離されたものではない。
神の仕組みを理解する第一歩は、身と魂を別物として見る考え方から離れることなのかもしれない。
原典から学ぶ|『日月神示』を手元に置く
日月神示は、一度読んで終わる書ではない。
読む時期や置かれた状況によって、同じ文章からまったく違う気づきが与えられる。
特に上つ巻は、その後に続く神示全体の基礎となる内容が多く含まれている。
手元に原典を置き、折に触れて読み返してみてほしい。


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