人は岩戸開きという言葉はよく知っている。
だが日月神示は、岩戸を開く者だけでなく「岩戸を閉める者」もいると語る。
真実を明らかにする働きがあるなら、その真実を隠し守る働きもある。
神の計画の中では、そのどちらも必要な役目なのかもしれない。
今回の上つ巻第18帖では、岩戸開きと岩戸閉め、そして来たるべき激変の前に求められる「身魂磨き」について語られている。
岩戸開く役と岩戸閉める役とあるぞ。
いったん世界は言うに言われんことが出来るぞ、しっかり身魂磨いておいてくれよ、身魂みがき第一ぞ。
この道開けて来ると、世の中の偉い人が出て来るから、どんな偉い人でもわからん
の道ざから、よくこの神示読んでおいてどんな事でも教えてやれよ。
何でもわからんこと無いように、この神示で知らしておくから、この神示よく読めと申すのぞ。
この道はスメラが道ざ、スメル御民の道ぞ。
禊せよ、祓せよ、臣民早くせねば間に合わんぞ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第18帖の一部
岩戸はなぜ閉じられ、なぜ再び開かれるのか
第18帖は岩戸開きだけでなく、岩戸閉めについても触れている。
神はなぜ真実を隠し、そして再び明らかにするのだろうか。
日本の成り立ちと神の計画という視点から読み解いてみたい。
逐次解説|岩戸開きの前に起きていること
岩戸を閉じた者たち、そして開く者たち
岩戸開く役と岩戸閉める役とあるぞ。
日本はイスラエル人が各地から時期も系統も異なる形で流れ集まり形成された国だと私は考えている。
彼らはそれぞれ信仰も習俗も異なり、すでに本来の伝承を多く失っていた。
伝統的な律法の痕跡は残していても、その全体像は失われていたのである。
さらに秦の時代には徐福一団が日本へ流入したと考えられる。
彼らは単なる移民ではなく、律法を知る者たちであり、神秘思想や呪術的知識を持つ集団でもあったのではないだろうか。
彼らは古神道の中へ律法を埋め込みながら、背教と真実との微妙な均衡を保った。
そしてイスラエルの痕跡そのものを隠した。
そこには預言者の存在と神の命令があったと推察している。
また日本には古来のシャーマニズム的信仰も存在し、それらが混在することになる。
さらに後の時代、秦氏などイエス・キリストを信じる系統のイスラエル人が流入した。
彼らは律法を知りつつ、同時にキリストを信じる者たちでもあった。
彼らは神道という器の中に律法や福音を埋め込みながら、それを見えなくしていった。
仏教や儒教までも神道的解釈を加えて取り込み、さらに男神を天照大御神という女神の姿に置き換えた。
習俗や祭祀、生活文化の中には痕跡を残しながらも、真相は見えなくしていったのである。
こうして計画的な背教によって、日本という独特の姿が完成した。
これが岩戸閉じだったのではないかと考えている。
そして今度は逆に岩戸が開かれる。
クリスチャンの立場から見るなら、岩戸開きの役目は預言者や使徒、そして彼らに連なる宣教師たちである。
彼らはイエス・キリストとその福音を宣言する。
受け入れる人にとって岩戸は開かれるのである。
やがてその知識が否定できなくなる時代が来る。
真実は最終的に神ご自身によって明らかにされるからだ。
一方で、岩戸閉めの第二段階もある。
それは神々の一人というべきか、天使というべきか、人々の額に印をつける存在である。
誰を残し、誰を残さないか。
その印から外れた者にとって、岩戸は最後まで閉ざされたままとなるのである。
身魂磨きが間に合うのは今だけかもしれない
いったん世界は言うに言われんことが出来るぞ、しっかり身魂磨いておいてくれよ、身魂みがき第一ぞ。
もし今の時代がまだ平穏に感じられるなら、それは神が印をつけている期間なのかもしれない。
だが事が始まれば、言葉では表現できない出来事が地上に起こる。
まず日本から始まる可能性もある。
聖書で表現するなら、殺戮の天使が四方から地をならしていくような光景である。
まるで進撃の巨人の地鳴らしを連想させるような世界になるかもしれない。
だからこそ神示は繰り返し語る。
「身魂みがき第一ぞ」と。
まだ間に合う。今のうちなら。
偉い人ほど神示を求める時代が来る
この道開けて来ると、世の中の偉い人が出て来るから、どんな偉い人でもわからん
の道ざから、よくこの神示読んでおいてどんな事でも教えてやれよ。
事が起こり始めると、人々は慌てる。
今まで嘲笑われていた預言が、目の前で現実になっていくからである。
その時になって間に合うかどうかは分からない。
だが永遠という尺度で見れば、そこから身魂磨きを始めることにも意味はある。
神示の意味を知りたい人々は、解き明かしを知るわずかな人々のもとへ集まるだろう。
それは一般人だけではない。
政治家も学者も経営者も、肩書きを持つ人々もやって来る。
偉い人が他人を押しのけてでも知ろうとする時代になる。
だから神示は言う。
知りたいと言うなら、惜しまず教えてやれ、と。
今読んでいる者には意味がある
何でもわからんこと無いように、この神示で知らしておくから、この神示よく読めと申すのぞ。
早い段階から神示を読み続けている者は、事が起こる頃にはかなり理解が進んでいるはずである。
そして現実が神示の記述と重なり始めるほど、理解はさらに深まる。
だから今読む意味がある。
だから今学ぶ意味がある。
というわけで、ミツゲも今は儲かりもしないのに、せっせと解読を続けているのである。
スメラの道とはキリストの道である
この道はスメラが道ざ、スメル御民の道ぞ。
スメラとは皇(すめらぎ)である。
私にはそれは白き衣をまとった特別な預言者であり、天使であり、そして神の御子イエス・キリストを指しているように思える。
道とは福音である。
その道を歩むのがスメル御民である。
彼らは神を第一に掲げ、その御心を求めながら歩む者たちである。
神の道とは制度でも組織でもない。
生けるイエス・キリストへ従う道なのである。
禊と祓は天国への入口
禊せよ、祓せよ、臣民早くせねば間に合わんぞ。
私の理解では、禊は水のバプテスマ、祓は火のバプテスマを意味している。
それは天国への門をくぐるための入口である。
まだ改心が完全でなくてもよい。
まだ理解が十分でなくてもよい。
だが神へ向かう覚悟を示すなら、儀式を通して神の守りが先に与えられることがある。
護りが先渡しされるのである。
もちろん、そこに偽りがあるなら神は見抜いている。
人は欺けても神は欺けない。
その結果もまた自ら受けることになるだろう。
岩戸が開く前に準備する者たちへ
第18帖は未来の出来事を語っているようでいて、実際には「今何をするか」を問う神示である。
岩戸が開く時を待つのではない。
その時に備えて身魂を磨けと語っている。
神示を読み、祈り、悔い改め、神に向かう。
その積み重ねこそが、来たるべき時代を生き抜く備えになるのかもしれない。
今のうちに原典へ触れておく
日月神示は断片的な引用だけでは全体像が見えない。
岡本天明によって記された原文を通して読むことで、各帖がどのようにつながっているのかが見えてくる。
今回の第18帖も、前後の帖と合わせて読むことで理解が深まる内容である。
これから日月神示を学びたい方は、原典をまとめた書籍を手元に置いて読み進めることをおすすめする。


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