「善いことが悪く見え、悪いことが善く見える。」
日月神示は、その原因を社会制度や教育ではなく、人の心の鏡の歪みにあると語る。
神を映すべき鏡が歪めば、真理もまた歪んで映る。
だから人は、自ら悪を選んでいることにも気づかず、「なぜ責められるのか」と首をかしげる。
今回の神示は、末法の世に起こる価値観の逆転と、その世界を神がどのように正していくのかを語る重要な一節である。
臣民の心の鏡くぼんでいるから、善きこと悪く映り、悪きこと善く映るぞ。
今の上に立つ人、一つも真の善いこと致してはおらん、これで世が治まると思うてか、あまりと申せばあまりぞ。
は今まで見て見んふりしていたが、これからは厳しくどしどしと
の道に照らして
の世に致すぞ、そのつもりでいてくれよ。
の申すこと、ちっともちがわんぞ。
今の世に落ちている臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでいるのざ。
早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第18帖の一部
心の鏡が歪めば世界も歪んで映る
私たちは、自分の価値観は正しいと思って生きている。
しかし日月神示は、その価値観そのものが歪んでいる可能性を指摘する。
善悪が逆転した世界では、正しいことが攻撃され、欲望が自由として称賛される。
だから神示は、まず社会を変える前に身魂を洗濯せよと繰り返し語るのである。
逐次解説|歪んだ価値観を神は正される
心の鏡が歪めば、善悪まで逆転する
臣民の心の鏡くぼんでいるから、善きこと悪く映り、悪きこと善く映るぞ。
心の鏡が歪んでいるから、神の姿が正しく映らないのである。
その歪みは、肉体的な満足を追い求める生き方から生まれる。
永遠の神の視点ではなく、この世だけの利益や欲望を満たす価値観が、人の心を少しずつ曲げていく。
その結果、本来善いものが悪く見え、悪いものが善く見えるようになる。
しかも本人には悪いという認識がない。
だから指摘されても、「何で?」という反応になるのである。
神に従わない支配は、必ず社会を壊していく
今の上に立つ人、一つも真の善いこと致してはおらん、これで世が治まると思うてか、あまりと申せばあまりぞ。
神に従う道は、最終的にはすべての人にとって善い結果を生み出す。
一方で肉欲は、自分だけを満足させる方向へ進みやすい。
富や権力を独占し、格差を広げ、人はその立場を誇るようになる。
民もまた、その格差を羨み、妬み、足を引っ張る方向へ向かう。
困窮が続けば、人々の価値観まで歪み始める。
そして、その価値観で固まった社会そのものが、神にとっては淘汰されるべき対象となるのである。
神が動く時、人の力では止められない
は今まで見て見んふりしていたが、これからは厳しくどしどしと
の道に照らして
の世に致すぞ、そのつもりでいてくれよ。
これは、これから起こる神の実力行使への警告だと感じている。
その時、この国を治める者たちが右往左往する姿も見えてくる。
飢え、困窮した民の反抗ほど恐ろしいものはない。
今は黙って増税や負担を受け入れているように見える国民も、限界を超えれば一気に激昂する国民性でもある。
もし本当に国の頭たちが腐敗しているなら、武力による政権交代さえ現実味を帯びてくる。
神の価値観と実行力を備えた人物が臣民の願いを拾い上げるなら、その流れはさらに加速するだろう。
商の時代から武の時代への移行という日月神示の流れとも重なり、さらに地の時代から風の時代への移行とも重なる。
だから動く時は、一瞬なのではないかと考えている。
神の言葉は、人の都合では変わらない
の申すこと、ちっともちがわんぞ。
聖書をはじめ、多くの聖典やノストラダムスの預言詩にも、終末の動乱は描かれている。
しかし、その多くは関係している地域を対象としており、日本について直接語るものは少ない。
一方で日月神示は、近代日本を対象として語られている。
これらが神が岡本天明という人物を選んで下した啓示であるなら、その内容は必ず成就することになる。
私(ミツゲ)は、日月神示も聖書も同じ源から与えられているという印象を強く持っている。
だからこそ、一つ一つ丁寧に解読を続けている。
クリスチャンの立場から読むと、独特な言葉遣いに戸惑うこともある。しかし、神秘主義の世界まで視野を広げると不思議なくらい一つの真理へと収束していく。
神は常に義しい。誤誘導を生む原因は人の中にある雑音である。
そして、その最大の雑音こそが肉欲なのである。
肉ばかり育てると、霊は飢えていく
今の世に落ちている臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでいるのざ。
ここでいう「土(アダマ)」とは、肉体を表していると考えている。
高い所へ土を積むとは、肉欲の価値観ばかりを積み上げる人生のことである。
その反面、霊(身魂)は痩せ細り、飢えていく。
しかし本人は、そのことに気付いていない。
現代社会は肉欲を刺激するものに満ちている。
人生を楽しんでいるように見えても、その心の奥では言いようのない悲しみや苦しみを抱えている人は少なくない。
当然である。
肉欲は、その瞬間を消費するだけで、その先に永遠がない。
あなたの心は、そのことを知っている。
だから意識のすぐ下から、悲しみが漏れ出してくるのである。
霊は神に近い存在であり、深い真理を理解している。
だから意識との矛盾に苦しみ、ときに心を病むのである。
身魂を洗えば、神がはっきり映り始める
早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。
まず神を見出そう。
そして祈りや瞑想を通して、霊と意識を少しずつ一致させていこう。
必要なら、その歩みを助けてくれる共同体や導きを見つけてもよい。
そうしていくうちに、失われていた心の平安が戻ってくる。
あなたの心の鏡に、神が映り始めるのである。
神のみたまとの一致が深まれば、何が真実で何が偽りなのかが自然と見えてくる。
そして、これから何を選ぶべきかも導かれるようになるだろう。
身魂を磨くことが、世界を正しく見る第一歩
世界を変えようとする前に、まず自分の心の鏡を磨く。
それが日月神示が何度も繰り返して語る第一歩である。
価値観が逆転した時代だからこそ、自分の心が何を映しているのかを見つめ直す必要がある。
身魂が洗われれば、神ははっきりと映り始める。
そして、その光が周囲へ広がることで、神の世への道もまた開かれていくのである。
日月神示を原文から読みたい方へ
日月神示は、一部だけを切り取って読むよりも、原文全体の流れの中で読むことで理解が深まる。
独特の言い回しや象徴表現も多いが、繰り返し読むことで神示同士がつながり始める。
私も原文を何度も読み返しながら、一帖ずつ解読を続けている。
興味を持たれた方は、ぜひ原本を手元に置き、本文とあわせて読み進めていただきたい。


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