【日月神示】上つ巻 第19帖|「まつろう」とは何か? 神に従う本当の意味と心を掃除する理由

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富士山を望み祈る人物と神社、土に育つ若木を描き、神・土・人にまつろう心を象徴した日月神示上つ巻第19帖のイメージ

「祀る(まつる)」とは、神棚に手を合わせることだけを意味するのだろうか。

上つ巻第19帖では、「神にまつろう」「土にまつろう」「人にまつろう」と繰り返し語られる。

現代ではあまり使われなくなった「まつろう」という古語には、単なる服従とは異なる深い意味が隠されていた。

心を掃除し、自ら神’の御心に合わせて歩むとき、人も国も喜びに満ちた世界へと変えられていく。

今回は第19帖を一節ずつ読み解きながら、「まつろう」という言葉が示す本当の意味を考えてみたい。

神の意味を持つ図形かみの国神の意味を持つ図形の山に神の意味を持つ図形祀りてくれよ、まつるとは神の意味を持つ図形にまつろうことぞ、

土にまつろうことぞ、

人にまつろうことぞ、

祀り祀りて嬉し嬉しの世となるのぞ、

まつるには、まず掃除せねばならんぞ、

掃除すれば誰にでも神の意味を持つ図形かかるように、日本の臣民なりておるぞ、

神州清潔の民とは、掃除してキレイになった臣民のことぞ。

[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第19帖
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目次

「まつろう」が示す神の国の生き方

第19帖は、「祀る」という一語の意味を掘り下げている。

神’を祀るとは儀式をすることではない。

人生の中心に神’を置き、神’の御心に自らを合わせて歩むことである。

さらに、その姿勢は神’だけではなく、土にも、人にも向けられていく。

その出発点となるのが「心の掃除」である。

逐次解説|「まつろう」が教える七つの教え

神’を人生の中心に置くということ

神の意味を持つ図形かみの国神の意味を持つ図形の山に神の意味を持つ図形祀りてくれよ、まつるとは神の意味を持つ図形にまつろうことぞ、

神’の国、神’の山とくれば、まず霊感されるのは富士山である。

これまでの上つ巻でも触れてきたように、「富士」は不死なる神’、永遠の命を象徴する存在として読むことができる。

ここでいう「祀る」とは、自分の人生の中心に神’を置くことだ。

しかし、私(ミツゲ)にとって長らく謎だったのが「まつろう」という言葉である。

何となく意味は分かる。

だが別の言葉で説明しようとすると説明できない。

つまり、本当には理解していなかった。

改めて調べてみると、「まつろう」は単なる服従ではなく、神’の御心に自らを合わせることという意味に近いことが分かった。

誰かに命じられて従うことではなく、神意を知り、自発的に従う姿勢なのである。

これは主イエスが教えられた祈り、

御国がきますように。みこころがわれるとおり、にもわれますように。

新約聖書 日本聖書協会 口語訳 マタイの福音書6章10節

とも重なる。

さらにゲツセマネでイエス・キリストは、

よ、みこころならば、どうぞ、このをわたしからりのけてください。しかし、わたしのいではなく、みこころがるようにしてください」。

新約聖書 日本聖書協会 口語訳 ルカによる福音書22章42節

と祈られた。

この姿勢こそ、「まつろう」の精神ではないだろうか。

現代人が受ける「支配への服従」という印象とはかなり違う。

中心となるものへ、自ら心を合わせていくこと。

それが「まつろう」であり、「祀る」なのである。

ちなみに「祀る」「祭る」「奉る」は似た意味を持つが、それぞれ少しずつ役割が異なる言葉である。

苦難に追い込まれて仕方なく神’に従う姿ではなく、自ら感じ、自らへりくだって神’に歩み寄る姿勢こそ、この言葉の本来の意味なのだろう。

神’の創造を愛するということ

土にまつろうことぞ、

土とは国土であり、私たちの身体でもある。

神’が創られた世界を愛し、与えられた土地を大切にし、神’から授かった肉体を慈しむ。

神’を敬う者は、神’の創造そのものも大切にするのである。

人を神’の子として敬うということ

人にまつろうことぞ、

神’を愛する者は、人をも大切にする。

人は神’のかたちに創られた存在だからである。

もちろん現実には難しい相手もいる。

それでも、できる限り相手を尊び、敬って接したい。

神’にまつろう者は、人にもまつろう者なのである。

喜びは巡って広がっていく

祀り祀りて嬉し嬉しの世となるのぞ、

神’を中心に置き、土を大切にし、人を敬う。

その歩みは巡り巡って社会へ広がっていく。

争いより調和が、憎しみより愛が、疑いより信頼が増えていく。

その先にある世界が「嬉し嬉しの世」なのだろう。

心の掃除からすべては始まる

まつるには、まず掃除せねばならんぞ、

しかし、その第一歩は掃除である。

第19帖でも最初に求められるのは、やはり心の掃除だった。

執着や高慢、怒りや妬みで満たされた心では、神’を人生の中心に置くことはできない。

だからまず、自分自身の心を見つめ、日々少しずつ掃除を続けることが大切なのである。

掃除された心には神’が映る

掃除すれば誰にでも神の意味を持つ図形かかるように、日本の臣民なりておるぞ、

掃除された心は鏡となる。

その鏡に神’が映る。

これまでの帖でも繰り返し語られてきたように、神’が映る心は自然と神’に似た生き方へ導かれていく。

あなたも神’の如くに生きるようになるということだ。

それこそが、本来の神国日本臣民のまことの姿なのである。

神’は特別な人だけに宿るのではない。

心を掃除した者には、誰にでも映るのである。

神州清潔の民とは何か

神州清潔の民とは、掃除してキレイになった臣民のことぞ。

神州清潔の民とは、身なりのきれいな人のことではない。

もちろん身ぎれいにすることも大切だが、心ならずも泥にまみれ、汗にまみれて働いていたとしても、心だけは晴れ晴れと澄んでいたいものである。

神’は臣民を決して悪いようにはなさらない。

試しには必ず意味があり、その試しには応える甲斐がある。

だからこそ私たちは、どのような日々の中でも希望を持って歩み続けることができるのである。

「まつろう」とは神’へ心を合わせることである

第19帖は、「祀る」という言葉の本当の意味を教えてくれる帖である。

祀るとは、神棚や祭壇の前で儀式を行うことだけではない。

神’を人生の中心に置き、土を愛し、人を敬い、自ら喜んで神’の御心へ心を合わせて歩むことなのである。

その歩みは、まず心の掃除から始まる。

掃除された心には神’が映り、その人自身が神’の姿を映す存在へと変えられていく。

「まつろう」という古語には、日本人が古くから大切にしてきた神’との関わり方が込められているのではないだろうか。

原典『日月神示』を手元で読む

『日月神示』は、一度読んだだけでは理解し尽くせない書だ。

繰り返し読むたびに新たな気づきが与えられ、同じ言葉でも違った意味が心に響いてくる。

原典を手元に置き、解読記事と照らし合わせながら読み進めることで、日月神示の世界をより深く味わうことができるだろう。

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