人に知られない善行は、本当に意味があるのだろうか。
努力しても評価されず、欲深い者ほど得をしているように見える。
そんな現実に疑問を抱いたことはないだろうか。
上つ巻二帖の第2弾には、神の目から見た「報いの法則」が語られている。
人の評価を求める生き方と、神の評価を求める生き方。
その違いは、やがて大きな差となって現れるというのである。
手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんように、人のため国のため働けよ、それがまことの
の臣民ぞ。
酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢できない臣民沢山ある。
早く
の神の申す通りにせねば、世界を泥で海にせねばならぬから、早う
神心になりてくれよ、神頼むぞよ。
盲が盲を手を引いて、何処へ行くつもりやら、気のついた人から、まことの神の容れものになりてくれよ。
悪の楽しみは先に行くほど苦しくなるから、初めは辛いなれど、先を楽しみに辛抱してくれよ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第2帖から
この神示には、人が見ている世界と神が見ている世界の違いが描かれている。
目先の利益や評価ではなく、もっと長い時間軸で見たときに何が残るのか。
善と悪の行き着く先はどこなのか。
神示はその答えを静かに語っている。
見えている報酬と、見えていない報酬
人は結果を急ぐ。
だから目の前で成功している人を見ると羨ましくなり、正しく生きている人が損をしているように見えることもある。
しかし神示は、目先の結果だけで人生を判断するなと語る。
今受け取る報酬と、後で受け取る報酬は違う。
そして善悪の差は、時間が経つほど大きく開いていくのである。
逐次解読|人の評価より神の評価を選べ
人知れぬ善行は千倍万倍の実りとなる
手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんように、人のため国のため働けよ、それがまことの
の臣民ぞ。
自分の誉れのために神に従い働くと、その誉れそのものが報酬になってしまう。
人から褒められ、認められ、感謝される。
それで報いを受け取ったことになるのである。
だから神示は、人に知られないように働けと語る。
人に知られず神に貸しをつくるくらいのつもりで働く。
その積み重ねは天に宝を蓄えるだけでなく、現世でも恵みとして返ってくる。
イエスもまた同じことを教えている。
あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
新約聖書 日本聖書協会 口語訳 マタイの福音書6章3-4節
また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
新約聖書 日本聖書協会 口語訳 マタイの福音書6章5-6節
人に見せるための信仰は、その時点で報酬を受け取っているからである。
神示と福音書は、同じ真理を別の表現で語っているように見える。
統制の時代の向こうに待つ自由な世界
酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢できない臣民沢山ある。
この神示が下された当時は、さまざまな統制が行われていた時代だった。
今でも嗜好品には専売や免許制度が残っている。
神示は、その先に訪れる自由な時代を語っている。
しかしその前には、むしろ逆の流れが来るようにも読める。
物資が乏しくなれば、配給や統制はさらに強まる。
その兆候はすでに現れ始めている。
さらに現代社会では、製造や流通の段階に悪意が入り込む危険も増している。
神示が描く福千年の世界では、人を管理するための仕組みそのものが不要になる。
だからこそ今は、その時代を楽しみに待ちながら希望を失わないことが大切なのである。
またこの一節には、偽造や不正によって規制をかいくぐろうとする者への警告も感じられる。
神が人類に向かって発した切実な願い
早く
の神の申す通りにせねば、世界を泥で海にせねばならぬから、早う
神心になりてくれよ、神頼むぞよ。
ここでは神が非常に強い言葉を使っている。
神々を束ねる神の計画に従わなければ、人類文明を終わらせるしかなくなる。
それほど深刻な状況であることが示されている。
しかし同時に注目したいのは最後の言葉である。
「神頼むぞよ」
神は人に命令しているのではない。
懇願しているのである。
神にとっても、この世界を失うことは大きな損失なのだろう。
だからこそ人間が神の心を受け取り、それに従って動くことを切実に願っているのである。
盲人が盲人を導く時代の危うさ
盲が盲を手を引いて、何処へ行くつもりやら、気のついた人から、まことの神の容れものになりてくれよ。
この世の指導者が見えていないまま、自らの欲望や利益を追いながら人々を導いている。
その結果として社会全体がおかしな方向へ進んでいく。
もちろん気づいている人もいる。
だが影響力が弱く、大きな流れを変えるほどには至っていない。
だから神示は、気づいた人から神の器になれと呼びかける。
知識を増やすだけでは足りない。
神の御心を自分の中に受け入れ、それに従って行動できる人が必要なのである。
楽な道ほど最後は苦しくなる
悪の楽しみは先に行くほど苦しくなるから、初めは辛いなれど、先を楽しみに辛抱してくれよ。
悪の楽しみは目先だけを見ると魅力的である。
楽に利益を得られる。
責任も負わなくて済む。
しかし嘘や欲で築いたものは、やがて矛盾が積み重なっていく。
そして最後には自分自身でも収拾がつかなくなる。
今の日本社会にも、そのような構図が見え隠れしている。
一方で神の道は最初が大変である。
我慢も必要になる。
遠回りにも見える。
しかし真理の上に積み重ねられたものは崩れにくい。
未来への見通しも立つ。
さらに神は人の福利を願って働かれる。
だから最終的には豊かさや幸福へとつながっていくのである。
今の楽と未来の実り、どちらを選ぶのか
上つ巻二帖の後半は、どちらの道を選ぶのかを問いかけている。
人の評価を求めるのか。
神の評価を求めるのか。
今の快楽を取るのか。
未来の実りを取るのか。
神示が語るのは単なる道徳ではない。
世界の法則そのものについての話である。
目先では損に見えることが、実は最も大きな利益につながる。
だからこそ神示は、先を見て歩めと語りかけているのである。
原典に触れることで見えてくる全体像
日月神示は一節だけ読んでも深いが、前後の流れの中で読むとさらに多くの発見がある。
特に上つ巻は、その後に続く神示全体の土台となる重要な巻である。
逐次解読と合わせて原典を読むことで、新たな気づきが得られるだろう。
日月神示をこれから読み進めたい方は、ぜひ原本にも触れてみてほしい。


コメント