神’は、人間には見えないところまで見通して導いているという。
その導きは、その時には理解できなくても、後になって「あれでよかった」と分かることが少なくない。
上つ巻第21帖後半では、神’の計画に身を委ねること、そして改心を先延ばしにしないことの大切さが繰り返し説かれている。
今回は、その意味を一つずつ読み解いていく。
洗濯できた臣民から手柄立てさして嬉し嬉しの世に致すから、
が臣民にお礼申すから、一切ゴモク捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。
因縁の身魂はどうしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、遅い改心なかなか難しいぞ。
神は帳面につけるように何事も見通しざから、神の帳面間違いないから、
の申す通りに、わからんことも
の申す通りに従いてくれよ。
初めつらいなれど、だんだんわかりて来るから、よく言うこと聞いてくれよ、
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第21帖の一部
神’の計画は、理解してから従うものではない
人は理解できたことだけを信じようとする。
しかし神’の導きは、多くの場合、理解よりも先に従順を求める。
その歩みの中で少しずつ景色が変わり、神’が何を見せようとしていたのかが分かってくる。
今回の神示は、その過程を順を追って教えている。
逐次解説|神’の導きに従う者へ与えられる約束
洗濯された者から神’の御用へ導かれる
洗濯できた臣民から手柄立てさして嬉し嬉しの世に致すから、
が臣民にお礼申すから、一切ゴモク捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。
心の洗濯ができると、価値観を同じくする仲間とも合流し、あるいは天使とも接触しながら、神’の業を行う準備が整っていく。
そのためには、自分の願望や思い込みをひとまず脇へ置き、神’から与えられる啓示や、仲間を通して伝えられる言葉を理解しようとする姿勢が必要になる。
また、この神示や他の聖典を通して学び続けることで、より深い知識と理解が与えられていく。
そうして歩み続けるうちに、その先にどれほど大きな喜びが待っているのかも、少しずつ見えるようになってくるのである。
改心は「いつか」ではなく、心が動いた今
因縁の身魂はどうしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、遅い改心なかなか難しいぞ。
縁のある人は、必ず神’に導かれることになる。
どうせ導かれるのであれば、自ら進んで心を改めた方がよい。
人は心が動いた瞬間に行動しなければ、その後から肉の思いや理屈が次々と現れ、「今でなくてもいい」という言い訳を作り始める。
しかし、その結果は結局、より苦しんだあげく心の洗濯をすることになる場合が多い。
だから神’は、「早う改心せよ」と繰り返し呼びかけているのである。
神’の帳面に狂いはない
神は帳面につけるように何事も見通しざから、神の帳面間違いないから、
の申す通りに、わからんことも
の申す通りに従いてくれよ。
神’の計画は、始まりだけでなく結末まで緻密に組み立てられている。
人には偶然に見える出来事も、神’の帳面にはすべて記されているかのように狂いがない。
だからこそ、自分ですべてを理解しようと焦るよりも、神’の駒として素直に動く方が、結果として最も良い道になる。
安心してよい。
神’の計画の中には、あなた自身の本当の願いも、すでに組み込まれているのである。
神’に従い続ける者に絶望はない
初めつらいなれど、だんだんわかりて来るから、よく言うこと聞いてくれよ、
神’から与えられるチャレンジは、決して楽なものではない。
まだ平時に近い今でさえ難しく感じるのだから、本当に時代が大きく動き始めたときには、さらに厳しい局面も訪れるだろう。
それでも信仰と霊感によって、「大丈夫だ」という確信が与えられる。
神’は必要な指示だけでなく、その意味までも少しずつ理解できるよう導いてくださる。
さらに、その先にどのような未来が待っているのかも、ビジョンとして思い描けるようになっていく。
神’に仕える者にとって、絶望はあり得ない。
神’は従う者を決して見捨てない
第21帖後半は、「理解してから従う」のではなく、「従うから理解できる」という神’の導きの原則を教えている。
神’の帳面に狂いはない。
だから、自分の思いや願望だけを握りしめるのではなく、一切のゴモクを捨て、素直に神’の導きを受け入れることが大切なのである。
そうする者から神’の御用へと導かれ、やがて「嬉し嬉しの世」を共に築く者となっていくのだろう。
日月神示を原文から読みたい方へ
日月神示は、一文一文に非常に多くの意味が込められている。
現代語だけでは伝わりにくい独特の表現も多いため、原文と照らし合わせながら読むことで、新たな気づきが得られる。
本記事で興味を持たれた方は、日月神示原典を収録した書籍をぜひ手元に置き、繰り返し読んでみてほしい。


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