神は人類をどこへ導こうとしているのか。
多くの人は、その答えを知りたいと願う。しかし日月神示は、驚くべきことを語る。
それは、人間だけでなく神々でさえ神の計画の全貌を知らないということである。
今回の上つ巻二十一帖では、「知らされない理由」と「神の計画は必ず成就する」という安心、そして身魂を磨くことの意味が語られている。
世の元の神の仕組というものは、神々にもわからん仕組であるぞ、
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第21帖の一部
この仕組わかりてはならず、わからねばならず、なかなかに難しい仕組であるぞ、
知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。
外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ギリギリになりたらの元の
の神力出して、岩戸開いて一つの王で治める
の真の世に致すのであるから、
は心配ないとなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除してくれと申すのぞ、
掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すようしてくれよ。
今度は永遠に変らぬ世に致すのざから、世の元の神でないとわからん仕組ざ。
神の計画は知らされないからこそ信仰が試される
この帖では、「知らされないこと」に深い意味があることが繰り返し語られている。
神は決して何も教えないのではない。
必要なことは教えられる。しかし、全貌は最後まで伏せられる。
だからこそ、人は知識ではなく、神への信頼によって歩むことになる。
そして最後には、神の計画は必ず完成することも約束されている。
私たちは未来の詳細を知ることではなく、今日示された光に従うことが求められているのである。
逐次解説|神々さえ知らない神の仕組
神々でさえ神の計画の全貌は知らない
世の元の神の仕組というものは、神々にもわからん仕組であるぞ、
再臨のタイミングなどは、イエス・キリストさえ知らないと言われている。
救いの計画についても、大切な部分は教えられているものの、その仕組みの詳細までは明らかになっていない。
私たちは神の業について十分理解しているように思いがちである。
しかし、よく振り返ってみれば、実はわからないことばかりではないだろうか。
この神示からわかるのは、神のために働く神々、すなわち天使と呼ばれる存在でさえ、計画の詳細は知らされていないということである。
彼らもまた、神への信頼と、その時々に与えられる指示によって働いている。
私たちも同じである。
すべてを知ることではなく、神を信頼し、自分に与えられた役割を忠実に果たすことこそが求められているのだろう。
わかってはならず、わからねばならない理由
この仕組わかりてはならず、わからねばならず、なかなかに難しい仕組であるぞ、
教えは言葉として共有できる。
しかし、その意味や深さは、人それぞれ理解の仕方も深さも異なる。
同じ職場でも、隣にいる同僚が何を担当しているのか詳しく知らないことは珍しくない。
神の計画も、それによく似ている。
一人ひとりは、巨大なジグソーパズルの一片を任されているようなものだ。
自分が担う役割は見えていても、完成した全体像までは見えていない。
だから「知らないこと」が問題なのではない。
与えられた持ち場を忠実に果たすことこそが重要なのである。
神は教えたい。しかし教えられない
知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。
神は本来、すべてを教えてやりたいと思っておられる。
しかし、この世は信仰を試す試験場でもある。
最初からすべてが見えていたなら、人は信仰ではなく結果だけを見て行動するようになるだろう。
また、すべてを知ることが、今の私たちのためになるとも限らない。
だから神は、その時その人に必要な分だけを示される。
この「知らされないこと」もまた、神の愛なのである。
岩戸開きの時、最後に神の力が現れる
外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ギリギリになりたら
の元の
の神力出して、岩戸開いて一つの王で治める
の真の世に致すのであるから、
現在、日本はGDS(グローバル・ディープ・ステート:Global Deep State)による様々な影響を受け、陰から攻め込まれている状況にあると私は考えている。
また、宗教の面でも長い年月をかけて骨抜きにする働きが続いてきたはずである。
しかし、それでも敵は決定的な成果を挙げてはいないようにも見える。
むしろ、あまりにも骨抜きがうまく進みすぎて、敵自身も呆然としているのではないかと思うほどである。
ここで神示がいう「世界の神々」とは、背教や強欲な拝金主義という尻尾を持った存在を指しているように私には感じられる。
尻尾とは、その存在をたどっていった先に見えてくる本質である。
現代社会には、拝金主義という尻尾が深く刷り込まれている。
一方で、背教的な宗教についてはどうだろうか。
日本の宗教事情は、敵による骨抜きだけでは説明できない面もある。
日本の習俗や習慣、独自の宗教文化そのものが、かつて計画された背教の流れの中にありながら、それでも大切な部分を保持して今日まで続いてきたように思える。
だから、日本における骨抜きも、ある意味では計画の中に組み込まれていたとも考えられる。
それでも私は、拝金主義という尻尾があまりにも人々に深く食い込みすぎていることには、正直あきれてしまう。
岩戸が開くその時には、正しい判断ができるよう心から願っている。
ただ、その時に正しく立てる人は決して多くないだろうとも感じている。
神は心配していない。心配すべきは私たちである
は心配ないとなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除してくれと申すのぞ、
神の救いの計画が失敗することはない。
神’の御業は、必ず成就する。
だから神’は心配していないのである。
しかし、それを自分自身に当てはめる話となれば別問題である。
神’の国は完成する。しかし、その時に自分がその中にいるかどうかは、自分自身の選択と歩みに関わってくる。
身魂の掃除に応じて、見えるものも変わってくる。
「信じる」という行為だけで神’は私たちを放置されるお方ではない。
神’を信じるとは、神’を信じるにふさわしい選択をし、神’を信じるにふさわしい行動を積み重ねることである。
身魂の掃除とは、その積み重ねそのものなのだと思う。
身魂を磨けば必要なことは見えてくる
掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すようしてくれよ。
神’は全てを開示しているわけではない。
そして、おそらく最後まで全貌を示されることもない。
しかし、必要なことについては、必ず啓示を通して示してくださるという確信がある。
神’の導きには、いつも過不足がない。
必要以上に与えず、不足もさせない。
だから私たちに必要なのは、「もっと情報を」と求め続けることではなく、「神’が示してくださることを受け取れる身魂になること」である。
強く求め続ければ、神’は必ず応えてくださる。
ただし、その応えを受け取れるかどうかは、身魂がどれだけ磨かれているかによって変わってくる。
鏡が曇っていれば、どれほど光が差していても映らない。
だから日月神示は、繰り返し「掃除」を説いているのである。
永遠に続く神’の国へ向かう物語
今度は永遠に変らぬ世に致すのざから、世の元の神でないとわからん仕組ざ。
この物語の結末は、大団円しかない。
私は最後の大祝宴で交わす盃を、今から楽しみにしている。
神’の中の神’、すなわち天父の中に、この壮大な計画の全貌がある。
その全てを、今の私たちが理解する必要はない。
神’を信じ、自分が働く場所を見つけ、自分の居場所を見つければよい。
それぞれに託された役割があり、その持ち場で忠実に働けばよいのである。
この世での生き死にを超えてなお働ける場所がある。
それは単に永遠に生きるということではない。
神’と共に働き続けられる場所があるということ自体が、人に与えられる最大の祝福であり、最大の幸せなのではないだろうか。
岩戸開きの日に備え、今できること
私たちは神’の計画の全貌を知らない。
それは私たちだけではなく、神々さえも同じである。
だからこそ、神’は「信頼」を求めておられる。
未来をすべて知る必要はない。
今日与えられた示しに従い、身魂を磨き、自分の持ち場で忠実に歩む。
その積み重ねが、やがて岩戸が開くその日にも揺るがない土台となる。
神’の計画は必ず成就する。
その確信を持ちながら、自分自身の身魂を整え続けたいものである。
原典『日月神示』を手元に置いて読みたい方へ
日月神示は、一文一文に深い意味が込められている。
現代語で読むだけでも理解は深まるが、原文を何度も読み返すことで、新たな気付きが与えられることも少なくない。
とくに二十一帖は、「神’の計画はなぜ隠されているのか」という大きなテーマを扱う重要な帖である。
ぜひ原典も手元に置き、本記事と照らし合わせながら読んでいただきたい。


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