日月神示は、終末の混乱において人々が最も苦しむものとして「食」と「衣」を挙げている。
飢えや物資不足は、単なる経済問題ではない。人の心を試し、社会の在り方そのものを変えてしまう試練となる。
今回は、上つ巻第二十五帖の後半に記された「一握りの米」「餓鬼の世」「神’心に還る」という三つの言葉を手掛かりに、その意味を読み解いていく。
一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても
のゆるさん物一つも身には付かんぞ、
着ても、着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。
早う
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第25帖の一部心に還りてくれよ。
試されるのは蓄えではなく心である
世界が平穏である間は、お金さえあれば多くのものは手に入る。
しかし、大災害や戦争、経済破綻などによって社会の仕組みが崩れれば、その常識は簡単に覆る。
日月神示が語るのは、単なる食糧不足ではない。
極限状態に置かれた人間が、何を選び、どのような心で生きるか。その選択こそが、新しい時代を迎える資格を決めるのである。
逐次解説|飢餓の時代に試される臣民の心
一握りの米に泣く時とは何を意味するのか
一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても
のゆるさん物一つも身には付かんぞ、
現在は物価高が続きながらも、庶民の収入は思うようには伸びていない。
それでも、多くの人たちは食べることができ、衣服を身につけ、比較的清潔な生活を維持できている。
しかし、それもいつまで続くだろうか。
大天災、経済の破綻、戦争などによって、大規模な飢餓がやって来る可能性がある。
有事となれば民への物資は枯渇し、人々は深刻な困窮に直面することになる。
その一方で、仕掛ける側にいる人間は物資をため込み、独占し、できれば高価格で転売してさらに富を積み上げようとするだろう。
かつて戦後の闇市がそうであったように、人の弱みを利益へ変えようとする者は必ず現れる。
しかし今回は、その企みは最後まで成し遂げることはできないだろう。
日月神示は、「いくら買溜めしても神’のゆるさん物一つも身には付かんぞ」と告げている。
神意に反して蓄えられたものは、結局は自らの命を守る力にはならないのである。
餓鬼の世とは、むさぼる心が支配する社会
着ても、着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。
国が試練の時に不正の富を得ようとする者、以前と同じ暮らしだけを求め続ける民は、仏教でいうところの餓鬼となる。
まず、不正による富の仕組みが社会の前にさらされる。
そして飢餓によって殺気立った民衆は、不正を働いた者たちへ怒りの矛先を向けることになるだろう。
陰の支配者は、自らを守るために彼らを裏切り、スケープゴートに仕立てて民衆をなだめようとする。
一方で、むさぼる心に支配され暴徒化した民は、軍政によって抑え込まれることになる。
有事だからといって、軍の役割は敵国と戦うことだけではない。
国内の治安維持にも軍は関与することになる。
日月神示が語る「餓鬼の世」とは、単なる食糧不足ではない。
欲望が人の理性を飲み込み、社会秩序そのものが崩壊していく時代を指しているのである。
神’心に還る者が新しい社会を築く
早う
心に還りてくれよ。
そのような時代に必要なのは、豊かさを奪い合うことではない。
むしろ、貧しさを分かち合う覚悟である。
神’に立ち返った臣民が多くなるにつれて、社会の中には自然と秩序が生まれてくる。
そこに神の助けと奇跡がもたらされる。
試練の中でも皆が生き残るための仕組みが、少しずつ再構築されていくことだろう。
その仕組みこそが、以後の日本を大きく変えていく礎となる。
まとめ|神’が求める備えとは何か
上つ巻第二十五帖は、物資不足を予言しているだけではない。
極限状態に置かれたとき、人がどのような心で行動するのかを問い掛けている。
買い溜めによって安心を得ようとする者。
混乱に乗じて富を築こうとする者。
そのような欲に支配された社会は、やがて自ら崩れていく。
一方で、助け合い、分かち合い、神’心に還る者は、新しい時代を築く側へ導かれる。
終末に必要なのは、倉庫を満たすことではない。
神’心を満たすことなのである。
原文から日月神示を読み解きたい方へ
本記事で取り上げた内容は、日月神示 上つ巻第二十五帖の一節をもとに考察したものである。
日月神示は、一節だけを読んでも深い意味を持つが、前後の帖とのつながりを追いながら読むことで、さらに全体の仕組みが見えてくる。
原文には現代語訳では伝わりにくい独特の言い回しや神意が込められている。
ぜひ原本を手元に置き、自ら読み、祈り、考えながら読み進めていただきたい。


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