【日月神示】上つ巻 第26帖③|「神’にまつろう」とは神にしがみついて離れない生き方

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幼子が親にしがみつくように神’に寄り添い、神から離れず歩むことを表現した日月神示 上つ巻第26帖③のブログサムネイル

「神’を祀る」と聞くと、多くの人は神社での祭礼や儀式を思い浮かべるだろう。

しかし日月神示が語る「まつる」は、それだけではない。

神’にまつろい、神’にまつわりつき、幼子が親から離れないように神と共に歩むこと。そのためには身魂(みたま)の洗濯が欠かせないと神示は説く。

今回は、第26帖の後半に記された「まつろう」という言葉の本当の意味を読み解いていく。


神の意味を持つ図形かみ祀るとはお祭りばかりでないぞ、神の意味を持つ図形にまつろうことぞ、

神にまつろうとは、神の意味を持つ図形にまつわりつくことぞ、

まつわりつくとは、子が親にまつわることぞ、

神の意味を持つ図形に従うことぞ。

神の意味を持つ図形にまつろうには洗濯せなならんぞ、

洗濯すれば神の意味を持つ図形かかるぞ、

神かかれば何もかも見通しぞ、

それで洗濯洗濯と、臣民耳にたこ出来るほど申しているのざ。

[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第26帖の一部
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目次

神’にまつろうとは「神を人生の中心に置く」こと

神示は「祀る」という言葉を、祭壇や神事だけの意味では用いていない。

本当の意味は、神’に従い、神’から離れない生き方を選ぶことである。

そして、その生き方は身魂の洗濯によって初めて実現する。

逐次解説|「まつろう」の本当の意味とは

神’を祀るとは祭りだけではない

神の意味を持つ図形かみ祀るとはお祭りばかりでないぞ、神の意味を持つ図形にまつろうことぞ、

神社でのお祭りは、出店が並び、神輿が巡り、多くの人で賑わう。

子どもたちにとっても楽しい思い出になる日本の文化である。

もちろん、それも神を祀る一つの形である。

しかし神示が伝えたい本当の「まつり」とは、神’にまつろうことなのである。

つまり、神の御心に従い、神を人生の中心に据えて歩むことである。

神’にまつわりつくとは心の中心から離れないこと

神にまつろうとは、神の意味を持つ図形にまつわりつくことぞ、

神’にまつろうとは、神を心の中心に置いて離れないことである。

人生には迷いや誘惑、不安が絶えず訪れる。

その度に神へ立ち返り、祈り、導きを求め続ける姿勢こそが、「まつわりつく」という言葉に込められた意味ではないだろうか。

幼子が親に寄り添うように神から離れない

まつわりつくとは、子が親にまつわることぞ、

幼い子どもは、不安になると親の手を握り、抱きつき、決して離れようとしない。

神示は、その姿こそ信仰者の理想だと教えている。

イエス・キリストも同じことを語られた。

わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。がぶどうのにつながっていなければ、自分だけではぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければぶことができない。

新約聖書 日本聖書協会 口語訳 ヨハネの福音書15章4節

ぶどうの木から枝が離れれば枯れてしまうように、キリストから離れずに生きることを教えている。

「いつもしがみついて離れない」という霊的な姿勢によく合う聖句である。

よくきなさい。をいれかえてのようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。

新約聖書 日本聖書協会 口語訳 マタイによる福音書18章3節

幼い子どもは、不安になると親の手を握り、抱きつき、離れようとしない。

この姿は、信仰者が神に対して持つべき心をよく表している。

神’に従うとは神から目を離さないこと

神の意味を持つ図形に従うことぞ。

親の言うことを聞くように、神の言葉や勧告に従うことが「まつろう」ということである。

あらゆるいのでわたしをなさい。ってはならない。れてはならない。

末日聖徒イエス・キリスト教会 教義と聖約6章36節

どんな困難の中でも、主から目を離さないようにという勧めである。

神’にまつろうとは、神を見失わない生き方そのものなのである。

神’にまつろうには身魂の洗濯が必要

神の意味を持つ図形にまつろうには洗濯せなならんぞ、

私たちは幼い子どものような純粋な心のままで生きてきたわけではない。

長い人生の中で、この世の価値観や欲望、怒りや恐れなど、さまざまな影響を受けている。

心の洗濯を済ませぬうちは、心の中に神の御魂(みたま)を住まわせることなどできない。

だからこそ神示は何度も「洗濯せよ」と語り続けているのである。

洗濯すれば神’かかるとはどういうことか

洗濯すれば神の意味を持つ図形かかるぞ、

心の洗濯を済ませれば、その人の内に神の御魂が住まうようになる。

その影響によって、これまで理解できなかったことが自然と理解できるようになる。

神のような分別ができるようになり、神示の中の謎めいた言葉も、ある日突然腑に落ちる経験をするかもしれない。

それは知識ではなく、御霊による理解なのである。

神かかれば何もかも見通しぞ

神かかれば何もかも見通しぞ、

そこまでいくと、神示の元となった根源から知ることができるようになる。

書かれていないことまで、あなたは必要に応じて垣間見ることができるだろう。

文字を知ることが目的ではない。

その背後にある神意を知ることこそ、神示を読む本当の目的なのである。

神示が「洗濯、洗濯」と繰り返す理由

それで洗濯洗濯と、臣民耳にたこ出来るほど申しているのざ。

神示が何度も「洗濯、洗濯」と繰り返す理由は明確である。

心の洗濯をして神を内にお迎えすることこそが、一番の護りを得る方法だからである。

外側の備えも大切ではある。

しかし、本当の護りは神が共にいてくださることにある。

だから神示は、臣民の耳にたこができるほど「洗濯せよ」と語り続けているのである。

まとめ|神’にまつろうとは神から離れない人生を選ぶこと

第26帖は、「祀る」という言葉の意味を大きく広げている。

神’にまつろうとは、幼子が親にしがみつくように神を信頼し、神から離れないことである。

そのためには身魂の洗濯が必要であり、洗濯が進めば神の御霊が働き、物事を神の視点から理解できるようになっていく。

祭りは一日で終わる。

しかし「まつろう」という生き方は、一生続く信仰の歩みなのである。

原文から読む『日月神示』|書籍紹介

日月神示は、一文ごとに深い意味が込められており、現代語訳だけでは伝わり切らない独特の響きを持っています。

本記事では一つの解読として考察を加えましたが、ぜひ原文にも触れ、ご自身でも神示と向き合ってみてください。

何度も読み返すうちに、新たな気付きや導きが与えられることでしょう。

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