日月神示 上つ巻第27帖の後半では、「天地がうなる」「上下引っくり返る」という非常に印象的な言葉が続く。
一見すると大災害の預言のようにも読めるが、その後には「目がさめる」「神’のもとへ来て聞けば分かる」「三柱と七柱揃うたら山に行けよ」と、災害の先に訪れる霊的な転換が描かれている。
今回は、この一連の流れを火山活動や日本の大転換、そして神’が備えている救いの計画という視点から読み解いていく。
天地がうなるぞ、上下引っくり返るぞ。
悪の仕組に皆の臣民だまされているが、もうすぐ目さめるぞ、
目さめたら訪ねてござれ、この
のもとへ来て聞けば、何でもわかるように神示で知らしておくぞ。
秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたら訪ねてござれ、我を張っていると、いつまでもわからずに苦しむばかりぞ、
この神示も身魂により、どんなにでも取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ、
三柱と七柱揃うたら山に行けよ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第27帖の一部
天地が揺れる時、人の心もまた揺れ動く
日月神示では、自然現象と霊的な出来事が重なって語られることが多い。
今回も単なる災害の話ではなく、その出来事によって人々の価値観が大きく揺さぶられ、真実へと目覚める過程が描かれているように思える。
天地が揺れ動く時、人の心もまた揺れ動く。
そして、その先に神’を求める者へ道が開かれる。それがこの神示全体を貫く流れではないだろうか。
逐次解説|天地がうなる時に始まる神’の計画
天地がうなるとは火山活動による大転換なのか
天地がうなるぞ、上下引っくり返るぞ。
火山性の地震、火山の噴火。
天地のうなりと溶岩や火山灰、火山弾、火砕流は、地面の下にあるものが地上へ噴き出し、新たな地表を生み出す。
まさに上下がひっくり返るのである。
この神示の前半を読み返すと、その前座として浅間山があるのではないかとも感じる。
そして本命が富士山となるのだろうか。
もちろんこれは現時点での私の一つの考察であり、断定するものではない。
しかし第27帖全体を通して読むと、富士を中心とした仕組みが繰り返し語られていることは見逃せない。
悪の仕組が明るみに出る時
悪の仕組に皆の臣民だまされているが、もうすぐ目さめるぞ。
火山の被害は、神国に対する非常に大きな警告として受け止められるだろう。
その最中、この国の中枢や傀儡として働いてきた隠された仕組みも明るみに出るのではないだろうか。
臣民の中で真相が明らかになる。
今まで当然と思われてきたことが崩れ、本当は何が行われていたのか、多くの人が自ら考え始める時代になる。
それが神示のいう「目さめる」ということなのかもしれない。
目覚めた者は神’に尋ねよ
目さめたら訪ねてござれ、この
のもとへ来て聞けば、何でもわかるように神示で知らしておくぞ。
これが現実になる時、「ミツゲがそんなことを書いていたな」と思い出してほしい。
それまでに私は、この預言についてもっと詳しく学び続けているだろう。
そして、それが本当かどうかは、私ではなく神’に問い尋ねていただきたい。
神’は今でも祈りに応えてくださる。
直接答えを得る方法も併せて伝えることができる。
その方法は特別なものではない。
今、この時代でも誰もが実践できることである。
秋に訪れる喪失と慰め
秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたら訪ねてござれ、我を張っていると、いつまでもわからずに苦しむばかりぞ。
火山が怒り吹き出す灼熱の夏のような時代。
それが過ぎ、少し穏やかな秋となった頃、多くの人は大災害でこの世を去った家族や友人を思い出すだろう。
彼らは今どうしているのか。
もう一度会えるのだろうか。
そんな思いが心を満たす時が来るかもしれない。
人だけでは、その苦しみや悲しみを拭うことはできない。
そんな時、神’と御霊を通して霊的につながる機会は、大きな慰めとなるだろう。
その時は強がらず、素直になろう。
心の重荷は、我が神イエス・キリストに負っていただけばよい。
その御方こそ、悲しむ者を慰めるために来られた救い主だからである。
身魂によって読み方が変わる神示
この神示も身魂により、どんなにでも取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ。
神示はそうだし、聖典もまた、どうにでも取れる性質を持っている。
実は邪悪な思いを持って近づいても、その人なりの答えを得てしまうことがある。
しかし、その選びの先は天と地獄ほど異なる。
幸せになりたいなら、好き勝手な選びはできない。
神’は自由を与えてくださっている。
だが、その自由とは、限られた正しい道の中から選ぶ自由なのである。
だからこそ、身魂を磨きながら神示を読む必要がある。
三柱と七柱が揃う時とは何を意味するのか
三柱と七柱揃うたら山に行けよ。
三柱とは、天父、イエス・キリスト、そして聖霊であり、彼らとお会いする誰かがいるのだろうか。
そして七柱とは、七人の天使である神々であり、彼らから訓練を受ける機会だろうか。
これは指導者のための評議会であるようにも感じられる。
預言者が召されるということだ。
現在ある回復された教会は、キリスト教会側における真理の回復として存在している。
異邦人から真理の回復が始まるという預言は、すでに成就している。
しかし聖約の民の回復は、その後にもたらされる。
これから(2026年7月時点)なのだ。
これもまた預言である。
その備えのための活動は今も行われているが、成果はさっぱりなのだ。
ここで預言者が召されるということは、聖約の民の回復が始まることを意味するのではないだろうか。
神道からイエス・キリストを神’と理解し、異邦人から伝わった回復された福音を基とする本来のユダヤ教へ回帰した集団が起こる。
そして山とは神殿でもある。
目覚めた聖約の民のために建てられる神殿とは、どこになるのだろうか。

天地の揺れは真理への目覚めの始まり
第27帖後半は、災害の恐ろしさだけを語っている神示ではない。
天地が揺れ、人の価値観が揺れたその先に、人々が神’を求め、真理へと導かれていく姿が描かれている。
だからこそ、この神示は恐怖を与えるためではなく、備えを促すために与えられているのである。
目覚める日は突然訪れるかもしれない。
その時に慌てないよう、今から身魂を磨き、神’とのつながりを深めておきたい。
『日月神示』原典から預言の全体像を読み解く
日月神示は、一つひとつの言葉が読む人の身魂によって異なる意味を持つ不思議な書である。
今回紹介した解読も、あくまで現時点で私が受け取っている理解の一つである。
ぜひ原文そのものを読み、自ら神’に問いかけながら、自分自身の答えを受け取っていただきたい。


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