「世界は偶然に動いている」と考える人は少なくない。
しかし日月神示は、この世界は世の元から細かく仕組まれていると語る。
しかも、その計画の中心には「富士」があり、さらにその先には「丑寅三十里」の山へ向かうよう命じる神示が続く。
これは単なる地理の話なのか。それとも終末に向けた神の計画なのか。
今回は上つ巻第27帖前半を通して、「神の仕組」と「人が果たす役割」について読み解いていく。
何もかも世の元から仕組みてあるから、
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第27帖の一部の申すところへ行けよ。
元の仕組は富士ぞ、
次の仕組は丑寅三十里より、次の仕組の山に行きて開いてくれよ、
今はわかるまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて祀りて開いてくれよ、
細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さしてから御礼申すぞ。
行けば何もかも善くなるように、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。
神の計画は、人の理解を超えて進んでいる
第27帖は、「世界は最初から神の計画の中で進んでいる」という壮大な視点から始まる。
その計画の中心として富士が示され、さらに丑寅三十里の山へと導かれていく。
人は理由が分からないまま動かなければならない場面もある。
しかし、その従順さこそが神の仕組を完成させる重要な一歩となるのである。
逐次解説|神の仕組はすでに完成へ向かって動いている
「何もかも世の元から仕組みてある」とは何を意味するのか
何もかも世の元から仕組みてあるから、
の申すところへ行けよ。
世界の趨勢は、創造の段階で細かく設計されている。
霊的な創造は、色即是空の仕組みで成り立っている。
神にとっての創造は、時間軸が線ではなく、天という別次元から歴史全体を編集するような働きであり、その全体像は我々の想像を超えている。
神は、ご自身が望むエンディングを迎えるための道筋を、あらかじめ組み上げておられるのだろう。
我々は、その時、その時で神の申す通りに動けばよい。
その動きや選択の波紋は次々と周囲へ影響を与えながら、新たな道筋を形作っていく。
我々の預かり知らぬところで、神の采配は静かに働いているのである。
「元の仕組は富士ぞ」に隠された意味
元の仕組は富士ぞ、
天父の指示のもと、創造の総指揮を執られるのは、ヤハウエ(エホバ)であるイエス・キリストである。
富士の別名である「不死」は、神示的にはイエス・キリストの別名でもあると考えている。
つまり「元の仕組は富士」とは、単に富士山を指しているだけではない。
神の救いの計画の中心にイエス・キリストがおられることを象徴的に示している言葉とも受け取れるのである。
丑寅三十里の山とは浅間山なのか
次の仕組は丑寅三十里より、次の仕組の山に行きて開いてくれよ、
富士山を起点として丑寅(北東)へ約三十里(約120km)。
この条件に当てはまる代表的な山として思い浮かぶのが浅間山である。
以前の記事でも紹介したように、富士山から丑寅方向へ約120kmの位置関係を地図上で確認すると、その符合は非常に興味深い。
ここに略図を掲載しておく。

関連記事はこちら。
▶ 富士から三十里離れよ──日月神示が示す「次の仕組」の場所とは【上つ巻21帖④】
日月神示がこの山を具体的に指していると断定はできない。
しかし、地理的条件から見るならば、浅間山は有力な候補の一つであると考えられる。
神’を祀りて開いてくれとは何を意味するのか
今はわかるまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて
祀りて開いてくれよ、
この神示は、浅間山に関連する神社、あるいは別の霊的な拠点に神’を祀るよう命じているのだろうか。
現時点では断定することはできない。しかし、「やがて結構なことになる」とある以上、その行動は将来、大きな意味を持つことになるのだろう。
神示には、当時は理解できなくても、時が来て初めて意味が分かるという内容が繰り返し記されている。
この神示もまた、その一つなのかもしれない。
神はなぜ人に手柄を立てさせるのか
細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして
から御礼申すぞ。
この一節は、神の深い親心が表れている神示である。
神は、すべてをご自身で行うこともできる。
天使を遣わして必要な措置を施すこともできるはずである。
それでも人に命じ、人の手によって行わせる。
なぜそうするのだろうか。
一つの可能性として考えられるのは、神’を祀ることによって、その地に神意に基づく結界のような働きが生まれ、災いが必要以上に拡大しないようにするためである。
もちろん、これは筆者の一つの考察であり、断定するものではない。
そして、もう一つ大切なのが、人に功績を立てさせるという神の御心である。
神は臣民を子として愛している。
だからこそ、自ら考え、自ら従い、自ら行動したという事実を尊び、その働きを喜び、祝福し、「よくやった」と褒める理由を与えようとしておられるのである。
神は結果だけでなく、人が信仰によって成長する過程そのものを大切にしておられるのである。
理解できなくても従うことに意味がある
行けば何もかも善くなるように、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。
神の計画は、すでに背後で万全の準備が整えられている。
あとは最後の仕上げとして、人がその役割を果たすだけなのである。
人は心の中で「本当にこれでいいのだろうか」と疑問を抱くこともあるだろう。
しかし、その疑問を抱えたままでも従うことに意味がある。
神の指示は、すべてを理解してから従うものではない。
わけが分からないままでも信じて行動する。
そこに信仰があり、その従順さが神の仕組を完成へ導いていくのである。
神の計画は、今日も静かに進んでいる
第27帖前半は、人間の理解を超えた神の壮大な計画を示している。
世界は偶然ではなく、創造の時から神の設計の中で動いている。
そして神は、その計画を完成させるために、人を用い、人に手柄を立てさせようとしておられる。
すべてを理解できなくてもよい。
その時々に示される神の導きに従うことこそ、神の計画の中で与えられた役割なのである。
日月神示を原典から読む
日月神示は、一節だけを読んでも、その真意を十分に理解することは難しい。
岡本天明が記した原文全体を通して読むことで、今回取り上げた神示が前後とどのようにつながっているのかが見えてくる。
本記事とあわせて原典にも触れ、ご自身でも神示を読み解いていただきたい。


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