日月神示・上つ巻第28帖の後半では、神’と悪との最終的な「力較べ」と、その先にある神’の救いの仕組が語られている。
悪は神’の仕組を九分九厘まで知り、神’の国を千切りにしようと企んでいる。しかし、悪がどれほど知恵と力を尽くしても、決して知ることのできない「残る一厘」がある。
一見すれば、悪が世界を覆い尽くし、神’の側が追い詰められているように見えるかもしれない。だが、神’の計画は悪の想像を超えたところに仕掛けられているのである。
と悪との力較べぞ。
今度は悪の王も
の力にはどうしても叶わんと心から申すところまで、とことんまで行くのざから、悪も改心すれば助けて、善き方にまわしてやるぞ。
の国を千切りして膾にする悪の仕組はわかりておる、悪の神も元の
の仕組を九分九厘までは知っていて、天地引っくり返る大戦となるのざ。
残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りてくれよ、
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第28帖の一部
悪との戦いは、単純な力のぶつかり合いではない。
悪が人を惑わし、神’の嗣業を奪い取ろうとする一方で、神’はイエス・キリストの贖いを通して、改心する者が戻れる道をすでに完成させている。
最後の一厘とは何なのか。
なぜ、その仕組は「誰も知らぬ所」に置かれているのか。
今回は、ルシフェルの反逆、神’と悪との大戦、キリストの贖い、そして誰もが目にしていながら気付かない救いの仕掛けについて考察していく。
悪は九分九厘まで知っていても最後の一厘には届かない
日月神示は、悪の神が元の神’の仕組を何も知らないとは語っていない。
むしろ、悪は神’の計画を「九分九厘」まで知っているという。
神’の計画をよく理解しているからこそ、その弱点を突き、神’の子らを惑わし、神’の国を内側から引き裂こうとするのである。
しかし、悪がどれほど神’の仕組を研究し、先回りして妨害しようとしても、最後の一厘だけは知ることができない。
その一厘は、知識や権力によって奪い取れるものではなく、神’を求める者が心によって受け取る仕組だからではないだろうか。
悪が最後まで理解できないもの。
それは、神’の愛と赦し、そして人が自らの意思によって神’のもとへ帰るという、自由意志を中心に置いた救いの計画なのかもしれない。
逐次解説|神’と悪との大戦と最後の一厘
神’と悪との力較べはサタンが自ら始めた戦いである
と悪との力較べぞ。
悪の大本であるルシフェルは、もともと神々の中にいた存在であった。
しかし、自らを高く上げ、神’の計画に反対したことによって神となる道から落ち、サタンとなった。
神’の側からすれば、サタンと力較べをする必要などない。
神’とサタンの力が対等であるわけではなく、最初から勝敗は明らかだからである。
しかし、サタンの側は違う。
神となる座から落とされた恨みもあり、神’の業を妨げ、神’の子らを一人でも多く自らの側へ引き込もうと、今なおやる気満々なのである。
この「力較べ」は、神’が争いを望んで始めた戦いではない。
神’に背いたルシフェルが、自ら神’に対抗する道を選び、その反逆を最後まで続けているということなのだろう。
サタンは、自分が神’そのものに勝てないことを知っている。
それでも神’の子らを誘惑し、堕落させ、神’が受けるはずの嗣業を少しでも減らそうとしているのである。
悪の王も最後には神’に叶わないことを認める
今度は悪の王も
の力にはどうしても叶わんと心から申すところまで、とことんまで行くのざから、悪も改心すれば助けて、善き方にまわしてやるぞ。
サタンは、本当の意味で神’に勝てるとは思っていない。
最終的には敗れ、自らに従った悪霊と呼ばれる仲間たちとともに、外の闇と呼ばれる領域へ退けられる。
その結末は、サタン自身も分かっているはずである。
それでも反逆をやめないのは、自分が得られなかった神’の栄光を、ほかの神’の子らにも得させまいとする思いがあるからではないだろうか。
自分が神となる道を失ったのであれば、神となれる可能性を持つ者たちも一緒に堕としてしまおうとする。
それが、悪の王の企みなのである。
神示は、この戦いが中途半端なところでは終わらないと告げている。
悪の王自身が、神’の力にはどうしても叶わないと心から認めるところまで、とことん進むという。
しかし、ここで注目したいのは、神’がただ悪を滅ぼそうとしているのではないことである。
神示には、悪であっても改心するなら助け、善き方へ回してやると記されている。
神’の目的は、悪に報復することではない。
悪に染まった者であっても、自らの過ちに気付き、心を入れ替えるなら、再び善のために用いようとしているのである。
ここには、人を単純に善と悪へ切り分け、悪と見なした者を永久に切り捨てる考え方とは異なる、神’の深い慈悲が示されている。
悪は神’の嗣業を一人でも多く奪おうとしている
の国を千切りして膾にする悪の仕組はわかりておる、悪の神も元の
の仕組を九分九厘までは知っていて、天地引っくり返る大戦となるのざ。
悪の目的は、神となれる可能性を持つ者を一人でも多く堕とし、神’の嗣業をできる限り削り取ることにある。
神’の子らが本来受け継ぐはずの祝福を奪い、自らと同じ滅びへ引き込もうとするのである。
そのため、多くの臣民が惑わされ、霊的に堕ちていくだろう。
やがては、黙示録に描かれている「獣」のような、生ける悪魔とも言える存在さえ生み出されていくのかもしれない。
だからこそ、この終わりの時代は「天地引っくり返る大戦」と表現されているのである。
しかし、神’は救いの道を閉ざしてはいない。
たとえ悪へ堕ちたとしても、心の洗濯を通して神’の赦しを受けることはできる。
その備えこそが、イエス・キリストの贖いであり、神’の救いの計画である。
救いの計画はすでに完成している。
私たちに求められているのは、その贖いを受けられる範囲に自らを置くことだけなのである。
最後の一厘は心で受け取る仕組として隠されている
残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りてくれよ、
この仕掛けは、数ある宗教の並びの中の一つとして静かに置かれている。
また、神社や寺の中で、誰もが当たり前の景色として通り過ぎている象徴の中にも仕掛けられているように私は感じている。
本当に神’の救いには押し付けがない。
むしろ、無さ過ぎると感じてしまうほどである。
来る者は拒まず、去る者は追わない。
その姿勢を見ていると、私は「あっさりし過ぎなのではないか」と思ってしまうことがある。
誰もが目にする場所に置かれているにもかかわらず、多くの人は気付かない。
そのもどかしさを感じることが少なくない。
しかし、それこそが「縁ある者が導かれる」という日月神示の預言そのものなのだろう。
だからこそ私は忠告したい。
油断して霊の命を捨ててしまわないでほしい。
縁の無い者ではなく、神’との縁を大切にする者となってほしいと心から願っている。
まとめ|最後に勝つのは力ではなく神’の仕組である
第28帖②は、神’と悪との最終的な力較べを描きながらも、その勝敗は最初から決まっていることを示している。
悪は神’の仕組を九分九厘まで知っていても、最後の一厘だけは知ることができない。
その一厘は、人の知識や理屈ではなく、神’を求める心によって受け取るものである。
そして、たとえ悪へ迷い込んだとしても、イエス・キリストの贖いによって帰る道は備えられている。
神’の救いの計画は、裁きだけではなく、赦しと回復まで含めて完成されているのである。
だからこそ今は、世の出来事ばかりに目を向けるのではなく、自らの身魂を磨き、神’との縁を深めることが何より大切なのではないだろうか。
日月神示を原典で読みたい方へ
日月神示は、一節だけを読むよりも、前後の流れを通して読むことで理解が深まる神示である。
原文に直接触れることで、解説だけでは得られない気付きが与えられることも少なくない。
ぜひ原典を手元に置き、ご自身でも神示と向き合ってみてほしい。
当ブログでは、これからも上つ巻を一帖ずつ丁寧に読み解きながら、その意味を考察していく。


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