「世界中まるめて神’の一つの王で治める。」
この言葉だけを見ると、世界政府や独裁国家のような姿を思い浮かべる人もいるかもしれない。
しかし日月神示が語る「一つの王」とは、人間が権力によって支配する世界ではない。
神’が定めた律法によって、一人ひとりが本来の才能を活かし、喜びをもって生きられる世界のことである。
今回は上つ巻第28帖前半から、神’の世における統治の姿と、私たちが本来与えられている役割について考えてみたい。
世界中まるめて
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第28帖の一部の一つの王で治めるのぞ。
それがの世のやり方ぞ、
百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度は永遠に定まるのぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと決まって動かんの世とするのぞ、
茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世は皆それでないか。
これで世が治ったらはこの世に無いものざ。
神’の世は「支配」の世界ではなく「本来の姿」が現れる世界
現代社会では、多くの人が生活のために、本当にやりたい仕事ではない仕事に就いている。
しかし神示が語る神’の世では、そのような無理はなくなる。
一人ひとりが与えられた役割を喜んで果たし、それぞれの働きが互いを豊かにする世界。
第28帖は、その理想の社会の姿を少しだけ私たちに見せてくれているように思える。
逐次解説|神’の世で人は本来の使命に帰る
世界はイエス・キリストによって統治される
世界中まるめて
の一つの王で治めるのぞ。
更新された世界は、神’の律法によって治められるようになる。
王がイエス・キリストであることが明らかになり、その御方こそ神であることも全世界が知るようになる。
正真正銘、天皇(天の王)の統治となるのである。
もちろん、それは人間が武力や権力で世界を支配する姿ではない。
全ての人が自ら神’を王として受け入れ、その御心に従って生きる世界である。
それこそが、日月神示が示す「一つの王」の世界なのだと私は受け取っている。
神’の世は神を中心にした政治が行われる
それが
の世のやり方ぞ、
実際には、完成した律法(福音)に則って、預言者とその仲間によって統治が行われるだろう。
悪人は淘汰され、政(まつりごと)は心の中心に神を祀った者によって行われる。
支配層が自らの利益を求める政治ではなく、臣民を豊かにするための統治となる。
人を支配するためではなく、人を生かすための政治。
神’の律法を土台とした社会では、権力は特権ではなく奉仕となる。
これこそが神’の世のやり方なのである。
神は一人ひとりに最もふさわしい働きを備えている
百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度は永遠に定まるのぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと決まって動かん
の世とするのぞ、
これはDNAによって適材適所に振り分けられる、ということではないと私は感じている。
ある才能を持った霊が、親子として、家族として、一族として集められ、それぞれの役割を担うよう配置されているのではないだろうか。
今はその配置がバラバラになっている。
しかし神’の世では、そのように集められた集団が地域ごとに特色ある働きを成し遂げていく。
そこには「嬉し嬉し」の働きが用意されている。
神がどのように適材適所を実現されるのか、私は非常に楽しみにしている。
才能を活かせない社会は神’の望む姿ではない
茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世は皆それでないか。
農家としての才能があり、生き甲斐もある。
それでも経済の都合によって、別の仕事をするしかない人がいる。
報われない産業で働くしかない。
ただ「生きる」ために。
本来、人には神’から与えられた賜物がある。
しかし現代社会では、生活のためにその才能を封印し、自分に向いていない仕事に就かざるを得ない人が数多く存在する。
神示は、このような状態を「茄子の蔓に瓜をならす」と表現しているのではないだろうか。
神が与えた才能が活かされず、生活のためだけに人生を費やす社会。
それは神’が望まれた世界ではなく、人間が作り上げた「悪の仕組」であると私は感じている。
神’の世では才能が喜びとなって花開く
これで世が治ったら
はこの世に無いものざ。
職業に貴賤はない。
神はそんな階級を定めてはいない。
それなのに、お金の都合や資本家の都合によって、人が最も活かされる場所ではなく、才能が殺される場所へ追いやられてしまう。
本当に歓びのある働き場所で、自らの才能を伸ばしながら生きていく。
そのような世界が神’によって造られるのである。
そこには、生きる喜びがある。
働く喜びがある。
自分の存在そのものが誰かの役に立っているという喜びがある。
生きてその時代に辿り着ける者は幸いである。
そして、生きて辿り着けなかった者も幸いである。
霊界にいても、復活して天使となっても、才能は活かされ、喜びを得られるからである。
心の洗濯をした臣民は、どうなろうとも幸せな未来しか想像できない。
まとめ|神’が望まれるのは誰もが喜んで働ける世界
第28帖前半は、「一つの王」の支配を語っているようで、その本質は支配ではない。
神’が一人ひとりに与えた才能を十分に発揮できる世界。
働くことそのものが喜びとなり、人それぞれの役割が永遠に尊ばれる世界。
そのような神’の世が近づくにつれ、私たちもまた心の洗濯を重ね、自分自身に与えられた使命へと近づいていきたい。
今はまだ、その全ての仕組を理解することはできない。
しかし神示は繰り返し「身魂を磨け」と伝えている。
その日に備えて心を整え、自分に与えられた役割を果たす者となりたいものである。
『日月神示』原典で第28帖を読む
本記事で取り上げた内容は、『日月神示』上つ巻第28帖前半をもとに解説したものである。
日月神示は一節だけでも深い意味を持つが、前後の流れを通して読むことで、さらに理解が深まる。
ぜひ原典にも触れ、ご自身でも祈り、考えながら神示を味わっていただきたい。


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