日月神示 上つ巻 第31帖では、神’の御用と金の関係について、極めて重要なことが語られている。
神’の業がいよいよ本格化するとき、多くの者がその御用に関わろうとする。しかし、その資格は財力によって決まるものではない。
神’が求めているのは、金を多く持つ者ではなく、身魂の因縁を持ち、マコトの心で御用に仕えようとする者である。
現代社会では、金を積めば多くのものが手に入り、特別な立場さえ得られると思われている。しかし神’の国では、その価値観は通用しない。
今回は、第31帖が語る「神’の御用」と「汚れた金」の意味を、一文ずつ読み解いていく。
今度の御用は結構な御用ぞ、
いくら金積んでも、因縁ない臣民にはさせんぞ。
今に御用させてくれと金持って来るが、いちいち
に聞いて始末せよ。
汚れた金御用にならんから、一厘も受け取ることならんぞ。
汚れた金邪魔になるから、マコトのもの集めるから、何も心配するなよ。
心配気の毒ぞよ。何も
がするから欲出すなよ、あと暫くぞよ、
日々にわかりて来るから、素直な臣民、嬉し嬉しで暮さすから。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第31帖
神’は金ではなく、身魂のマコトを見ている
第31帖は、単に金銭について語っている神示ではない。
本質的には、「誰が神’の業に携わるのか」という選びについて語られている。
神’の御用は、人間が自ら望んで参加できるものではなく、まして金を積んで買えるものでもない。
神’が見ておられるのは財産や地位ではなく、身魂の因縁と、その者の内にあるマコトである。
そのため、この帖では何度も「金」という言葉が登場するが、実際に問われているのは、人の欲そのものなのである。
逐次解説|神’の御用は神’が選ぶ
神’の業はいよいよ最後の仕上げに入る
今度の御用は結構な御用ぞ、
神’の業の仕上げにかかる時になっている。
ここでいう「今度の御用」とは、一宗教の活動や一団体の働きではない。
世界は一旦終わり、新たな秩序によって再構築される。
その歴史的大転換に関わる御用であり、人類史上最大ともいえる大事業になる。
そのため、この御用は過去のどの時代とも比較にならないほど重大な使命なのである。
神’の御用はお金では買えない
いくら金積んでも、因縁ない臣民にはさせんぞ。
預言された通りに世界が動き始めると、その流れを見て「この業に関われば得をする」と考える者も現れるだろう。
大儲けができる、自分だけ助かりたい、有利な立場を得たい。そのような欲に根差した思いから、金を積んででも神’の御用に関わろうとする者が出てくる。
それは、滅びゆく世界の価値観を引きずったまま、新しい世界へ入り込もうとする亡霊のような姿である。
しかし神’の御用は、人間の財力や能力で決まるものではない。
神’に尽くして幸いを得たいという心を持ち、前生より召されるよう定められていた者だけが、この御用へと導かれるのである。
神’に尋ねながら一つ一つ判断する
今に御用させてくれと金持って来るが、いちいち
に聞いて始末せよ。
もちろん、金を持って来る者が皆、欲に支配されているとは限らない。
義人でこの業を助けたいと思う者もいるだろう。
実際に資金が必要となる時もあるはずである。
だから、その時々で神’の導きを受けながら、どうするかを決めることになる。
外から見れば、一貫性がないように映るかもしれない。
しかし、それは人間の価値観で判断しているのではなく、神’の基準によって判断しているという点で一貫している。
神’は、この業に近づいて来る者の心を見抜いておられる。
その金の背後に、奉仕の心があるのか、それとも利益や支配欲があるのかを見極めておられるのである。
欲望と結びついた金は受け取ってはならない
汚れた金御用にならんから、一厘も受け取ることならんぞ。
ここでいう「汚れた金」とは、不正に得た金だけを指しているのではない。
「いつ起こるのか」「これからどうなるのか」「自分だけ得をしたい」といった、個人の利益へつながる欲望の紐が結びついた金も含まれる。
そのような金を受け取れば、神’の業の中へ穢れやノイズが入り込む。
役員たちも、その金に気を遣うようになり、本来受けるべき神’からの導きより、人間への配慮を優先してしまう恐れがある。
そのような申し出は、たとえ大金であっても排除しなければならないのである。
神’の業を支える富はすでに備えられている
汚れた金邪魔になるから、マコトのもの集めるから、何も心配するなよ。
神’は「金が足りないから御用が進まない」とは言われていない。
必要なものは、神’の筋から供給されるものがある。
神’の業を進めるために必要な富は、すでに神’の配剤によって備えられているのである。
国が新たに買えるほどの資金の蓄えがある。
日本とは、この場所に建国される以前から存在していた最古に近い国である。
かつて臣民がエジプトを出国した時、エジプトの民から提供された富があり、その後、日本へ移動しながらも蓄財されてきた。
天皇陛下の先祖は、古代イスラエルの王家、祭司の血筋につながっていると考えている。
現存する王家として、間違いなく最古の存在である。
神’の配剤によって各地で蓄えられてきた富は、これから始まる神’の業のために存在し、準備されている。
これが神国のロイヤルファンドであり、陰の国家予算なのである。
心配は神’への信頼を曇らせる
心配気の毒ぞよ。
金策に心配し過ぎて病んだり、神’の業を穢したりしてはならない。
神’との個人的なつながりを通して、いつも楽観的でいることが大切である。
神’が始めた業ならば、神’が最後まで責任を持って成し遂げられる。
人が先々を心配しても、神’の御計画は変わらない。
だからこそ、不安ではなく信頼を選ぶことが、御用に携わる者には求められている。
欲を捨て、永遠の富を見つめる
何も
がするから欲出すなよ、あと暫くぞよ、
備えはすでにできている。
だから欲を出して、この業の陰で自分の利益を得ようなどと思わないことだ。
イスカリオテのユダがどうなったかを思い起こし、悪の手に乗せられないよう注意することである。
たとえ死ぬまで個人的な富には縁がなかったとしても、天には永遠の富が蓄えられていく。
この世で報われることよりも、はるかに大きく莫大な宝があなたのために備えられている。
誰かの豊かさを貪ろうとする心は悪魔から来る。
その思いを忌み嫌うくらいでちょうどよい。
素直な者ほど神’の仕組みを理解していく
日々にわかりて来るから、素直な臣民、嬉し嬉しで暮さすから。
神’とのつながりが日々深くなるにつれて、この仕組みは自然と理解できるようになっていくだろう。
神’は、一度にすべてを明かされるのではない。
歩みに応じて少しずつ理解を深めさせ、そのたびに確信を与えてくださる。
その積み重ねが揺るがない信仰となり、神’の業への理解となる。
神’の業への深い理解こそが、あなたを支える本当の財産となるだろう。
まとめ|神’が求めるのは金ではなく「マコト」
第31帖は、神’の御用に携わる資格は財力ではなく、身魂の因縁とマコトによって決まることを教えている。
終わりの時代になるほど、お金で何でも解決しようとする価値観は通用しなくなる。
神’は必要なものをすでに備えておられる。
だからこそ、欲や心配に支配されることなく、神’とのつながりを深め、素直な心で歩むことが何より大切なのである。
神’を信頼し、その導きに従って歩む者は、やがて神’の仕組みを深く理解し、「嬉し嬉し」で暮らす世へ導かれていくのであろう。
『日月神示』原典で読む神示の世界
日月神示は、一節だけを読んでも深い意味があるが、前後の流れを通して読むことで、神示同士がつながり、理解はさらに深まる。
第31帖も、第29帖・第30帖から続く「神’の御用」「岩戸開き」「因縁ある臣民」という流れの中で読むことで、その意味がより鮮明になってくる。
現代語訳だけでは伝わらない独特の言霊や表現も数多く残されていますので、ぜひ原典も手元に置いて読み返してみてほしい。


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