神は「すでに用意は済んでいる」と告げる。
問題は神ではない。準備が整っていないのは人の側である。
本帖では、神の石、守護の神、お山を開くこと、そして「ヒツグ・ミツグの民」が急ぎ用意するようにと繰り返し促される。これらは単なる象徴ではなく、末日に向けて神が用意している具体的な働きの一部なのだろう。
「神急けるぞ」という最後の一節は、今が悠長に構えていられる時代ではないことを、静かに、しかし強く伝えている。
の用意は済んでいるのざから、民の用意早うしてくれよ、用意して早う祀りてくれよ。
富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだんわかりて来るぞ。
神の名のついた石があるぞ、
その石、役員に分けてそれぞれに守護の
つけるぞ。
の石はお山にあるから、お山開いてくれよ。
ヒツグの民、ミツグの民、早う用意してくれよ。
神急けるぞ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第33帖
神の準備は終わった――求められるのは臣民の備え
神はすでに、末日に必要な準備を終えているという。
では今、残されているものは何なのか。
それは臣民一人ひとりが神を心に祀り、神の導きを受けられる器となることである。
本帖に登場する「神の石」「守護の神’」「お山」、そして「ヒツグの民、ミツグの民」という言葉は、神の業が人を通して地上に現れるための備えを示しているのだろう。
逐次解説|神が急ぐ時代に何を備えるべきか
神の用意はすでに終わっている
の用意は済んでいるのざから、民の用意早うしてくれよ、用意して早う祀りてくれよ。
末日の神の業は、神の側の用意はすでに整っている。
いつでも再臨となる準備はできているということだ。
そうなるためには、臣民側の用意も必要となる。
それは目覚めている臣民の数と質である。
質とは、心の中に祀られた神’の存在がしっかりあること。
神を祀るとは、形だけの祭祀を行うことではない。日々の生活の中で神を忘れず、その導きを求め、受けたものに従って生きることである。
それぞれが神’の導きを受けながら働き、神の業に必要なピースが一つずつ埋まっていく。
一人ですべてを成し遂げる必要はない。それぞれに与えられた役割を果たすことで、神の仕組は完成へと向かっていくのである。
「富士は晴れたり日本晴れ」の本当の意味
富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだんわかりて来るぞ。
国の岩戸開きの前に、臣民たち一人ひとりの岩戸開きがある。
人の内側に閉ざされていた霊的な扉が開き、これまで見えていなかったものが見えるようになる。
富士(不死)は晴れたり――つまり「不死」の真意が明らかになる。
肉体の死だけを見ていた人が、霊の命と永遠の存在に気づく時、死に対する世界観そのものが変わる。
そして日本晴れとは、日本そのものの真実があなたの中で晴れ渡ることでもある。
ここでいう「晴れ」は、単に国家が繁栄するという意味だけではないだろう。覆い隠されていた神の仕組が明らかになり、日本に与えられた霊的な役割が見えてくることでもある。
聖霊による啓示は、表面的な理解ではなく、深い部分までの理解を助けてくれる。
すると世界の見え方は一気に広がっていく。
これまで別々に見えていた出来事や教えが一つにつながり、神の大きな仕組の中に置かれていたことが分かり始めるのである。
神の名のついた石とは何か
神の名のついた石があるぞ、
白い石というよりも、光る石を指しているのではないだろうか。
モルモン書には、船の中を照らす灯りとして用いられた石が登場する。
ヤレドの兄弟は、暗闇の中を進む船を照らすために石を用意し、主に触れていただくよう願った。主が触れると、その石は光を放ち、人々を照らすものとなった。
石そのものが自ら光を生み出したのではない。神の力に触れたことによって、光を現す器となったのである。
それ以外にも、この石には人の霊感を高める作用があると考えている。
神の名がついた石とは、神の力を受ける媒介として与えられる特別な石なのだろう。
石は動かず、変質しにくく、長い時を越えて残る。その性質もまた、変わることのない神の約束や、永遠の名を象徴しているのではないだろうか。
守護の神’が与えられる理由
その石、役員に分けてそれぞれに守護の
つけるぞ。
その石は、霊的な護りが現世に現れる働きを持つ。
必要とあれば、天使がやって来る光の道となる。
神は昔から必要な時には天使を遣わし、人々を守り導いてこられた。
終わりの時代になれば、その働きはさらに活発になるのかもしれない。
守護の神’とは、神の働きを助けるために遣わされる霊的な助け手でもある。
その存在は普段は目に見えなくとも、必要な時には守り、導き、時には危険から遠ざける働きをする。
神の業が進むほど、その助けもまた具体的になっていくのだろう。
神は一人で戦わせることはない。必要な助けは、見えないところですでに備えられているのである。
神の石は「お山」にある
の石はお山にあるから、お山開いてくれよ。
山とは神殿としての神の山であり、また神殿そのものを意味しているとも考えられる。
そこでは神の名だけではなく、自分に与えられた新しい名前も刻まれる。
それは、あなただけの石となる。
現物としての石もあるだろう。
しかし同じ働きをするものを、あなたはすでに持っている。
神の力によって聖別された肉体である。
人の体は神の宮であり、神の御霊が宿る場所となる。
その意味では、人自身が神の力を現す器となる資格を持っている。
石は力を増幅するものであり、持ち主に力が無ければ十分には働けない。
だから無ければ無いで、あなた自身を石としてしまえばいい。
神に聖別された人そのものが、神の力を現す器となるのである。
神は物だけを用いるのではない。最終的には、人そのものを神の働きの道具として用いられる。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある。
新約聖書 日本聖書協会 口語訳 ヨハネの黙示録2章17節
そのとき、黙示録第二章十七節に述べられている白い石は、それを受ける各個人にとって一つの「ウリムとトンミム」になる。そして、これによって高位の王国に関することが知らされる。
日の栄えの王国に来る各人に一つの白い石が与えられる。その石の上には新しい名前が記されており、それを受ける者のほかにはだれもそれを知らない。その新しい名前は鍵の言葉である。
末日聖徒イエス・キリスト教会 教義と聖約130章10-11節
彼らは新たな世界での神となる存在だ。
となれば新しい名前とは神の名前が書かれているということになる。
神示の意味は深い。
ヒツグの民、ミツグの民がそろう時
ヒツグの民、ミツグの民、早う用意してくれよ。
神道側の神殿と、クリスチャン側の神殿が揃う必要がある。
クリスチャン側の神殿はすでに日本にも存在する。
しかし人々の目覚めが遅く、本来期待されているだけの勢いはまだ十分とは言えない。
やがて、それと連動するように神道側の神社が神殿として生まれ変わる時が来る。
もちろん全ての神社ではないだろう。
しかし、そのような時代は必ず訪れる。
神は一つの民族、一つの宗教だけで御業を完成させるのではなく、それぞれに備えられた役割を用いて一つの目的へ導かれる。
あなたの先祖の名と印によって、あなたが居るべき神殿も定まっていくのである。
神は偶然に人を配置されることはない。それぞれの系統、それぞれの使命に応じて導かれていく。
神は急いでおられる
神急けるぞ。
神が動く時、それは瞬く間に起こる。
だからこそ今、霊的な備えが求められている。
神は無理に人を急かしているのではない。
すでに準備は整っており、あとは人が応えるだけの段階に入っているからである。
あなたが置いてけぼりとなり、一人寂しく路傍で朽ちていくことのないように。
自分が本来属する霊的な居場所を見出し、その備えを進めてほしい。
神が急がれる時代だからこそ、私たちもまた霊的な眠りから目を覚まし、自らの使命に備える必要があるのである。
神の用意は済み、臣民の目覚めが待たれている
本帖は、神の側の用意はすでに整い、今度は臣民の備えが求められていることを告げている。
神を心に祀り、聖霊の導きを受けながら自らの役割を果たすこと。それが終末の神の業に加わる備えとなる。
「神急けるぞ」という最後の一言は、今こそ目覚め、霊的な居場所を見出す時であることを静かに促している。
日月神示を原文から読み解くために
日月神示の言葉は、一度読んだだけですべてを理解できるものではない。
同じ一節であっても、読む時期や自分の霊的な状態によって、受け取る意味が変わることがある。
解説だけを読むのではなく、原文を繰り返し読み、自分自身でも神意を考えていくことが大切である。
日月神示の原文をまとめた書籍を手元に置いておけば、気になる言葉を前後の帖と照らし合わせながら読むことができる。
本記事の解読も一つの見方として参考にしながら、ぜひ原文そのものに触れ、自分の内に与えられる気づきを確かめてほしい。


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