日月神示は「神国の民には説かずともわかる身魂が授けられている」と語る。
それは知識の多さではなく、神の声を受け取る霊的な感性のことである。そして、その感性は磨かなければ曇ってしまうとも警告している。
今回は、神国臣民に与えられた資質とは何か、身魂を磨くとはどういうことか、そして最後に示される「お山を開いてくれよ」という神示が意味するものについて考察していく。
細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねばわからんようでは神国の民とは言われんぞ。
外国人には細かく説かねばわからんが、
の臣民には説かいでもわかる身魂授けてあるぞ、
それで身魂磨いてくれと申してあるのぞ。
それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。
何も心配いらんから、お山開いてくれよ、江戸が火となるぞ、
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第35帖の一部急けるぞ。
説かずとも悟る身魂とは何か
神は「神国の民には説かずともわかる身魂を授けてある」と語る。
これは特別な知識や能力を自慢する話ではない。神の真理に触れたとき、理屈よりも先に「そうだ」と霊が応答する感性が与えられているということだろう。
その感性を曇らせるか磨くかによって、これから訪れる大きな転換期を理解できるかどうかが分かれていくのである。
逐次解説|神国臣民に与えられた使命
細かく説明されなくても理解できるようになる
細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねばわからんようでは神国の民とは言われんぞ。
神一厘の詳細は明かされていないので、わからないといえばわからないのであるが、ある程度は「こんな感じなのだろう」とフワリとした理解はできている。
それは、この神示だけではなく、聖書や末日聖徒イエス・キリスト教会の聖典、さらにはノストラダムスの預言詩など、神の預言と思えるものを四十年以上、多角的に学んできたからでもある。
ミツゲは、それらで知り理解してきた預言を、この日月神示によって別の角度から確認し、理解をさらに深めようとしている。
すでに知っている部分を確かめながら、不足していた部分を補っているような感覚である。
高慢にはなりたくないが、四十年積み重ねてきた学びは決して伊達ではなかったと感じてもいる。
神国臣民には啓示を受ける土台がある
外国人には細かく説かねばわからんが、
の臣民には説かいでもわかる身魂授けてあるぞ、
ここでいう外国人とは、異邦人という意味であり、普通のキリスト教徒を含めて考えてもよいと思う。
異邦人は律法のしがらみから解放されている反面、民族として積み重ねてきた霊的なベースを持っていない。
もちろん現代の日本人も、祖先から色濃く受け継がれていた時代と比べれば、ほぼ異邦人のような状態になってしまっている。
それでも神道や、日本独自の仏教、日本人が受け継いできた習俗など、計画的な背教によって失われつつあるとはいえ、なお霊的な土台は残されている。
また、ネイティブイスラエルの大きな特徴として、啓示を理解する素養を持つ者が多いとミツゲは感じている。
預言の御霊を受けやすい体質があるのである。
もちろん学び直しは必要だ。
しかし、その土台があるからこそ、異邦人より一歩先からスタートできるはずだと考えている。
身魂を磨くことは神国臣民の務め
それで身魂磨いてくれと申してあるのぞ。
神国の民として生まれ、この特性を見出し育てないことは、むしろ罪なのではないかとミツゲは思っている。
宗教や日々の暮らしの中で神の働きを感じ取り、神性を磨いていくことは、本来とても楽しいことである。
臣民にとって大切なのは、その感性を見つけ、育て続けることだ。
ところが現在は、その感性をすり潰してしまうような外国文化を取り入れ過ぎているように感じる。
日本語一つを見ても、語彙の豊かさや表現の深さは、霊的な世界を表現するために備えられているように思える。
啓示の御霊を持った人が書いたり翻訳した霊言は、日本語で表現すると最も自然な形に最適化されるようにも感じている。
神国臣民の目覚めを心から願う
それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。
真のイエス・キリストの教会は異邦人側に立てられた。
それは預言されてきた通りであり、その預言は成就していると理解している。
その教えを学ぶ中で思うのだが、いろいろと言葉で説明しているものの、どこか回りくどさを感じる。
これは仕方のないことでもある。霊的なベースを持たない文化圏から回復が始まったからである。
神の真理を幾重にも重ねた手袋越しに触っているような、もどかしさを覚えることがある。
また、プログラムでガチガチに固められたような信仰生活には、少し胸苦しさも感じている。
だからこそ聖約の民としての真理が完全に回復されることを願っている。
神国臣民が目覚め、本来の霊的感性を取り戻す日を切望している。
「神様、私たちの心眼を開いてください。」
その祈りを胸に、この世に生かされている間に、その光景を見届けたいと心から願っている。
お山を開くとは神殿を開くこと
何も心配いらんから、お山開いてくれよ、江戸が火となるぞ、
急けるぞ。
ミツゲは、ここでいう「お山」とは神殿を意味すると考えている。
神社では天照大御神が目覚め、イエス・キリストを主祭神とする神殿として立つようになるだろう。
また、異邦人の教会で回復された神殿の儀式も、そこへ継がれていくはずである。
さらに律法的な土台とも融合し、レビによる本来の神殿の姿が回復されるのではないだろうか。
そして江戸、すなわち東京が火と水によって大きな災いを受ける前に、日本各地へ生きた神殿を備えておく必要がある。
それらがフル稼働し、目覚めた臣民のため、さらに死者の身代わりの儀式を執り行う時代が訪れるとミツゲは考えている。
黙示録が最終章へ入る頃には、しばらくそのような儀式も行えなくなる可能性があるからだ。
もし、この解読が現実となる日が来たなら、その時には、このサイトの存在を思い出していただけたら嬉しく思う。
まとめ|身魂を磨き、お山を開く備えを急ぐ時
今回の神示は、神国臣民には神の御心を受け取る素養が与えられていること、そしてその身魂を磨き続けることの大切さを教えている。
知識を増やすことだけが信仰ではない。神の御声を受け取る霊的な感性を育て、その感性によって神の導きを見極めることが、これからの時代にはますます重要になるだろう。
そして神は「何も心配はいらない」と励ましながらも、「お山を開いてくれ」「神’急けるぞ」と急がせている。
その言葉をどう受け止めるかは、一人ひとりの身魂の曇り具合にかかっているのかもしれない。
今こそ身魂を磨き、来るべき神の御用に備える時なのである。
原典『日月神示』を手元に置いて読みたい方へ
日月神示は、一つひとつの言葉に幾重もの意味が込められている神示である。
本記事はミツゲ自身の考察として解読した内容だが、ぜひ原文そのものにも触れ、自分自身の祈りと啓示をもって読み進めていただきたい。
一度読んだだけでは気付かなかったことが、時を経て読み返すことで、新たな理解として与えられることも少なくない。
神示を手元に置き、繰り返し読み返しながら、自らの身魂を磨く学びの一助としていただければ幸いである。


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