日月神示 上つ巻 第35帖は、「生と死」の意味が、この世の常識とはまったく逆であることを示している。
神’が見ている命とは肉体ではなく霊の命であり、その命を育てた者だけが真に生きる者となる。また悪魔の働きが最後まで続くこと、そして最後の瞬間に神’が神力を現して神’代へ移されることも明かされている。
今回は、第35帖前半に記された「死んで生きる人」とは誰なのか、その意味を一つずつ読み解いていく。
死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第35帖の一部のまにまに
の御用してくれよ、
殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにいても生かさなならんぞ。
まだまだ悪魔はえらい仕組しているぞ、の国千切りと申してあるが、喩えではないぞ、
いよいよとなりたらが神力出して、上下引っくり返して
の世に致すぞ、永久の
代に致すぞ。
神’が見ているのは肉体ではなく霊の命である
第35帖の前半には、「霊の命」をどう育てるかという神’の視点が貫かれている。
人は肉体の命ばかりを気に掛ける。しかし神’が見ておられるのは、永遠に続く霊の命である。
肉体が滅んでも霊が生きる者と、肉体は生きていても霊が死んでいる者。
その違いこそ、この神示が最初に伝えようとしている核心なのである。
逐次解説|霊の命を生かす者と失う者
死んで生きる人と、生きながら死んだ人とは誰か
死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。
肉体は失っても、霊の命を拾うことで生きる人がある。
逆に、この世の善悪のコントラストを生み出すために現世で生きる人もいるが、霊的には死んでいる人である。
イエス・キリストも、この逆説を次のように語っている。
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
新約聖書 日本聖書協会 口語訳 マタイの福音書16章25節
ここで「命」と訳されている語は、ギリシャ語 プシュケー(ψυχή) であり、「命」と「魂」の両方を意味する。
つまり、肉体の保身だけを第一にする者は、かえって真の命を失うという逆説なのである。
神’の御用が霊の命を育てる
のまにまに
の御用してくれよ、
神’を祀り、心の洗濯をし、神’に浄めていただくことが最重要である。
しかし、それだけではなく、神’から託された御用を果たすことも必要になる。
それが霊の命を肥やすことになり、その一つ一つが霊に光のポイントを栄光として増し加えていく。
霊の栄光の度合いによって、行ける場所が定まるからである。
生き死には神’の御手の中にある
殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにいても生かさなならんぞ。
義人で神’を信じ従う者でも、来世に重要な役割があるなら早々と死んでしまうことはある。
天でも有能な者は引く手あまたなのである。
ここでいう「殺す」とは、人間が命を奪うというより、「死なせる」という意味で受け取った方が理解しやすい。
反対に、この世で必要とされる者は、どんな窮地に陥っても死ぬことはない。
だからこそ、神’にすべてをお任せし、この世での生き死には必要以上に気に留めないことである。
悪魔は最後まで人を試し続ける
まだまだ悪魔はえらい仕組しているぞ。
一難を越えたと思えば、次の一難というふうに、悪魔は我々の気力を削ってくる。
神’は試しとして、悪魔の仕業をあえて臣民にぶつけることがある。
悪魔も神の領域に近い存在なので、人の心の緩急を巧みに突き、我々を堕とそうとしてくる。
最後の最後には、この世での生を手放す覚悟が必要となるだろう。
神’の国を千切るとは現実の霊的戦いである
の国千切りと申してあるが、喩えではないぞ、
神’国の臣民を堕とすことで、神’の国を千切っていく。
それだけの手管を悪魔は用意しているのである。
なにせ、イエス・キリストをも堕とそうとした相手である。
神’の助けなしに勝てる相手ではない。
だからこそ、自らの力を頼るのではなく、神’に寄り頼み続けることが最後まで立ち続ける唯一の道なのである。
神一厘で世界は上下逆転し神’代が始まる
いよいよとなりたら
が神力出して、上下引っくり返して
の世に致すぞ、永久の
代に致すぞ。
悪魔に征服される寸前の神一厘で、我々は救われ、悪魔は潰される。
最後の最後まで人の力ではなく、神’の御力によって世は立て直されるのである。
それを神’の側で見る人は幸いである。
再臨の炎で焼かれて消えることのないよう、今のうちから霊の命を育てておきたいものである。
まとめ|霊の命を育てた者が永遠に生きる
第35帖前半は、生きることと死ぬことの本当の意味を教えている。
肉体の命は有限である。しかし霊の命は永遠であり、その命を育てることこそ神’が最も重視している。
神’の御用を果たし、悪魔の誘惑に打ち勝ち、神’に委ねる者は、たとえ肉体を失っても永遠に生きる。
この神示は終末の預言であると同時に、一人ひとりの霊の生き方を問いかける神’からの招きなのである。
『日月神示』原典で全文を読む
本記事で取り上げた内容は、第35帖前半の一部である。
日月神示は、一節だけでは理解しきれず、前後の流れを通して読むことで見えてくるものが多い。
原文にも触れながら、自分自身で祈り、考え、神’に問い求めつつ読み進めることをおすすめする。


コメント