【日月神示】上つ巻 第37帖|神のお宮は人となる──身魂を磨く者が最後の拠り所

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崩れゆく神社と、身魂を磨いた人々が神のお宮となることを象徴したイメージ

日月神示には、これまで当たり前と思われてきた価値観が一変する時代が繰り返し示されている。

第37帖では、人の地位や財産、建物としての神社や神殿さえも絶対ではなくなると告げられている。そして最後に残るものは、神’を宿すほどに身魂を磨いた人そのものであるという、極めて重要な神示である。

今回は、人の価値の逆転、神のお宮の意味、そして今のうちに備えるべき理由について解読していく。

人の上の人、みな臭い飯食うこと出来るから、今から知らしておくから気をつけてくれよ。

お宮も一時は無くなるようになるから、その時は、磨けた人が神のお宮ぞ。

早う身魂磨いておけよ、お宮まで外国の悪に潰されるようになるぞ。

早くせねば間に合わんことぞ、

[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第37帖

この神示が示しているのは、単なる社会不安や経済の混乱だけではない。

人の上に立っていた者がその地位を失い、財産の価値が消え、さらに神を祀る建物さえ機能しなくなる時、何が人を支えるのかという問いである。

その答えとして示されているのが、「磨けた人が神のお宮ぞ」という言葉である。

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目次

神’が求めるのは建物ではなく、磨かれた人である

第37帖は、世の中の仕組みが崩壊した先に何が残るのかを示している。

権力も財産も建物も永遠ではない。

しかし、身魂だけは永遠に持ち運ぶことができる。

だからこそ神’は繰り返し「身魂を磨け」と告げているのである。

逐次解説|神のお宮は最後に人へと移る

人の上の人は地位も財産も失う時が来る

人の上の人、みな臭い飯食うこと出来るから、今から知らしておくから気をつけてくれよ。

「臭い飯を食う」とは、牢獄へ入ることや身分を失うことを意味する言葉として使われてきた。

ここでは、社会の頂点に立っていた者たちであっても、その立場を失う日が来ると神示しているのである。

人の見かけの身分は上下逆転する。

金の価値も無くなり、金持ちであること自体に意味がなくなる。

これまで富を築いてきた陰の仕組みも次々と暴露され、多くの人が驚くことになるだろう。

飢えて命が危ない時には、一枚の札束より一本の大根の方が遥かに価値を持つ。

必要なモノの価値が大きくなり、衣服やアクセサリーは見向きもされなくなる。

贅沢品の売り食いもできなくなり、かつて栄華を誇った者が、ボロをまとい食を求めてさまようことになるだろう。

神’は、この逆転を今のうちから知らせ、心を備えておけと警告しているのである。

神のお宮は建物ではなく、磨かれた人になる

お宮も一時は無くなるようになるから、その時は、磨けた人が神のお宮ぞ。

経済的なものが麻痺している状況では、神社や教会、神殿もこれまでのようには稼働しなくなるだろう。

しかし、それで神’の御業が止まるわけではない。

もともと神殿は神を模した器であり、備えられた人がその役割を代替するようになる。

その建物が使えなくなった時には、十分に備えられた人自身が、その役割を担うようになる。

目覚め、霊的に磨かれた人、そして神権を持つ人たちによって神’の教えは伝えられていくだろう。

その言葉に宿る御霊が人々の心を備え、多くの者を神’のもとへ導いていく。

その時代には、多くの人にとって現世を守ることよりも、来世へ行く準備の方が重要になるだろう。

まさに、人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる時代となるのである。

神’ではなく現世の救いへ導く者が現れる

早う身魂磨いておけよ、お宮まで外国の悪に潰されるようになるぞ。

神示は、お宮までも外国の悪に潰される時代が来ると告げている。

その時代には、偽預言者がはびこり、巷の神殿を買い叩き、霊的なものを模して売るようになるだろう。

乏しい物資を「現世で救われるため」と称して自分のもとへ集め、人々の不安につけ込む者も現れる。

その背後には、臣民に精神面でとどめを刺そうとするディープ・ステートの者たちがいると考える。

彼らは神’の教えではなく、現世での救いを叫び、無知な者を霊的な死へと誘うのである。

だからこそ、今のうちに真理を見出し、神’の言葉で心の中を満たしておかなければならない。

それこそが、どのような混乱の中でも失われない慰めとなり、心の救いとなるのである。

今はまだ備えることのできる時間である

早くせねば間に合わんことぞ。

神示は最後に、短く、しかし最も強い警告を残している。

「早くせねば間に合わん。」

少なくとも平安がある今のうちに動くことである。

備えとは、恐れて逃げ回ることではない。

心から神’を求め、祈ることである。

その祈りに応じて、人は居るべき場所へ導かれ、出会うべき人に導かれ、学ぶべき真理へ導かれていくだろう。

神’は、そのための時間を今なお残してくださっているのである。

まとめ|最後に残る神のお宮は磨かれた人である

第37帖は、建物や財産、社会的地位よりも、人の身魂こそ永遠の価値を持つことを教えている。

世の仕組みが崩れても、磨かれた人は神’のお宮として働き、多くの人を神’のもとへ導く。

だからこそ今は、物を積み上げること以上に、真理を求め、身魂を磨くことを最優先にすべき時なのである。

日月神示を原文から読みたい方へ

日月神示は、一部分だけを読むよりも、前後の流れを追いながら読むことで理解が深まる神典である。

解読記事とあわせて原文にも触れることで、神示が語る意味を自ら考え、祈りの中で受け取る助けとなるだろう。

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