日月神示は、神’が人をどのように導き、どのような心で御用を託されるのかを語っている。
そこには、強制も脅しもない。ただ静かに道が示され、「どうするか」は一人ひとりに委ねられている。
今回の箇所は、神’が人間の自由意思をどれほど尊重しておられるかを教えると同時に、その選択が永遠に関わる重みを持つことも示している。
嫌なら嫌で他に代わりの身魂があるから神は頼まんぞ、
嫌ならやめてくれよ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第38帖の一部
無理に頼まんぞ。
神のすること一つも間違いないのぞ、
よく知らせを読んで下されよ。
神’は、人を無理に従わせることはない。しかし、その機会を受け取るかどうかによって、未来は大きく変わっていくのである。
神’は自由意思を尊重される
神’は人を支配する神ではない。
御用を願われることはあっても、それを強制されることはない。だからこそ、人は自らの意思で神’を選び、自らの意思で歩むことが求められる。
この一節は、神’の優しさと厳しさ、その両方が込められた重要な教えである。
逐次解説|神’は御用を強制されない
御用は栄誉であり義務ではない
嫌なら嫌で他に代わりの身魂があるから神は頼まんぞ、
神’なら、あなたの代わりはいくらでもいる。
あなたに手柄を与えるための役目なので、だめならば別の喜んで働く人を立てればいいだけのことである。
最後は天使に代役を果たしてもらうことにもなるだろう。
神’は頼むという形式を取られるが、それで自分が特別な存在だといい気にならない方がいい。
ミツゲも、これまで機会を逃したことが幾度かある。
不承不承なうえに、役割を果たさなかったこともあった。
その後、リカバリーの機会を切実に求めた。
しかし、その機会が与えられたのは、「もうだめかもしれない」と諦めかけた頃だった。
確かに再び機会はいただけた。
だが、見放されたのではないかと思うほど長く待たされることにもなった。
機会はいただけても、それを期待し過ぎてはいけない。
神’は機会をくださることはあっても、人間の都合に合わせてくださるわけではないのである。
正直な選択もまた自由意思である
嫌ならやめてくれよ。
嫌なら、しない方がむしろ正直だと評価されるだろう。
無理に引き受けて、不平不満を抱えながら御用をするよりも、最初から断る方が誠実である。
だからといって、その結果として褒美までもらえるなどと思ってはいけない。
祝福は、神’とともに歩もうとする者のために用意されている。
祝福は別の人へ託されることもある
無理に頼まんぞ。
神’が頼まれる理由は、一つだけである。
それは、あなたに栄誉と祝福を与えるためである。
それを望まないのであれば、神’は決して無理強いはされない。
そして案外、あなたの身近な人が、あなたの受けるはずだった祝福を受けることになるかもしれない。
それを見て羨んでも、その祝福はすでにあなたのものではなくなっている。
そこから求め直しても、いただけるのは守護の霊からのお叱りくらいかもしれない。
神’は公平であり、人をえこひいきされることはない。
神’の御業に加わることは永遠の栄誉
神のすること一つも間違いないのぞ、
神’に依頼されることは、それだけで栄誉である。
未来にあることの石積みの一つを、自分が積ませていただいたという自負は、かけがえのないものとなるだろう。
神’の業は永劫に残るものである。
そこには、あなたの働きも確かに刻まれている。
神示を読み、祈り、神’の御心を求める
よく知らせを読んで下されよ。
まず知ること。
そして熟慮し、祈ること。
神’の御心を自分のうちに宿すことである。
その始まりは、神示を自分自身で解いてみることだ。
誰かの解説をそのまま受け入れるのではなく、自ら読み、自ら考え、自ら神’に尋ねる。
そして、それが真実かどうかを祈ることである。
神’は、真心をもって求める者には必ず応えてくださるだろう。
まとめ|神’は強制せず、機会を与えられる
神’は人を無理に用いられることはない。
御用とは義務ではなく、神’から与えられる栄誉であり祝福の機会である。
だからこそ、その機会をどう受け止めるかは、自分自身の自由意思に委ねられている。
日月神示は、神示を読み、祈り、神’の御心を求める者に、神’は必ず応えてくださると教えている。
日月神示を原文から読む|全体の流れを知るために
日月神示は、一節だけを切り取って読むよりも、前後の流れを追いながら読むことで理解が深まる。
原本をまとめた書籍には、岡本天明によって記された神示が収録されており、全体像を把握したい方に最適である。
本記事とあわせて原文を読み進めることで、新たな気づきや学びを得られるだろう。


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