「神に縋れ」と聞くと、多くの人は宗教や信仰を思い浮かべるだろう。
しかし、この帖で語られている「神」は、それだけを意味しているのだろうか。
人は誰でも、自分の心の中に理想や願望を投影した「神」を持っている。そして気づかぬうちに、その神に安心を求め、失望し、振り回されている。
この帖は、そんな人間の心の奥底にある「神」と、本来目指すべき「神’」との違いを見つめ直すよう促しているように思える。
神にシッカリと縋りておらんと何もわからんことになるから、早く神に縋りておれよ、
神ほど結構なものはないぞ。
神にも善い神と悪い神とあるぞ。
雨の日は雨、風の日は風ということわからんか、それが天地の心ぞ、
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第38帖の一部
天地の心を早う悟りて下されよ。
神に縋るとは、自分の中の「神」を見つめ直すこと
この帖では「神’」ではなく「神」という表現が続いている。
そこには、私たちが普段「神」と呼んでいる存在そのものを問い直す意味が込められているようにも感じられる。
人は何に安心を求め、何を神として生きているのか。
この帖は、その根本を静かに問いかけているのである。
逐次解説|神に縋るとは何を意味しているのか
自分が縋っている「神」は、本当に神’なのだろうか
神にシッカリと縋りておらんと何もわからんことになるから、早く神に縋りておれよ、
ここで「神’」ではなく「神」となっていることに注目したい。
間違いでなければ、自分が普段接している神と神’とは違いがある。
ここでいう神とは、この世に存在する様々な神々だけではなく、自分の中にある神をも指している。
というよりも、人は神を自分という存在を透かした状態で見ている。
そこに映っているのは、神’の片鱗であり、自分の願望やイメージが混ざった神である。
場合によっては、勝手に信じて期待し、勝手にがっかりする神でもある。
しかし、我々は皆、そうした神に縋って生きている。
人によっては、お金や銀行口座の残高が神なのかもしれない。
そこに慰めや安心を見いだす以上、人は何かに縋ろうとすることをやめられないのである。
神’を心の神殿に祀ることが、人生を変える第一歩となる
神ほど結構なものはないぞ。
どうせ縋るのであれば、自分の神の中にある神’の割合を限りなく大きくしていこう。
真の神の姿を、自らの心の神殿に祀る努力をしていきたい。
もちろん、人はどうしても都合よく神を崇める部分を残してしまうだろう。
しかし、その弱さを認める謙虚さこそが、神’を探し求める大きな動機となる。
その歩みは、やがて神’を見出す大きな働きへとつながっていく。
その努力は決して無駄にはならない。
善神も悪神も、すべては神’の御手の内にある
神にも善い神と悪い神とあるぞ。
自分の内にいる神、また世の神々や天使にも、それぞれ役回りがある。
そして、その全ては神’の御手の内にある。
例えば災害が起きたとき、無事だった人にとって神は感謝の対象となる。
しかし同じ災害で命を落とした人にとって、その神は悪神となるのだろうか。
あなたにとって神とは、いったい何者なのだろう。
悪神が神となるならば、金や色、権力に恵まれることもあるだろう。
思いがけない成功を手にし、その神を偉大な存在として称えるかもしれない。
しかし悪神は、最後の最後で必ずあなたを裏切り、底へ突き落とし、あなたをあざけって笑うだろう。
そこまで至っても、なお悪神に感謝を捧げることができるだろうか。
神’を見出すことができれば、善神にも悪神にも振り回される人生から離れることができる。
何が起ころうとも、神’は神’である。
その視点に立てば、永遠という見地から状況を受け入れるだけの達観を得ることができるだろう。
雨も風も、天地の調和を保つために存在している
雨の日は雨、風の日は風ということわからんか、それが天地の心ぞ、
いつも晴れの日ばかりではない。
陰としての雨や風の日があるからこそ、この世界は保たれている。
雨は畑を潤し、人が生きるための真水をもたらす。
陰にも役割がある。
すべては互いにバランスを取り、人のためになるよう仕組まれている。
神’を祀る人々だけであれば、時代は穏やかに移ろうように変わっていくだろう。
しかし現実には悪の手が加わることで、その均衡は大きく崩されることとなる。
天地の心を悟る者が、神国を任される人となる
天地の心を早う悟りて下されよ。
天には意図があり、天候にも陰陽がある。
それを人の都合だけで左右しようとすれば、その反動は人に大きく当たり、災害という形で現れることもある。
それさえも承知したうえで、神’は悪しき人々の企てを許すことがある。
多くの人が、その状況に至る原因を受け入れ、利用する事態となるならなおさらである。
それは悪を裁く根拠となり、この世の生を忍耐強く生き抜いた人々に栄光を与える根拠ともなる。
神’は悪さえ利用して、その試しの業を進めていく。
こうして神国を任せるに足る人材が蓄えられていくのである。
そして最後に悪は滅ぼされ、末の日の業は完成する。
まとめ|神’を知る者は、善悪を超えて天地を見る
人は誰でも、何かを神として生きている。
だからこそ、この帖は「神に縋れ」と語りながら、その神が本当に神’へ近づいているのかを問いかけている。
善神も悪神も、雨も風も、天地の営みの一部である。
その背後にある神’の御心を知ろうと努める者だけが、揺れ動く時代の中でも惑わされず、神国を担う者へと成長していくのである。
日月神示を原文から読み解くために
『日月神示』は、一節だけを切り取って読むと、予言や警告の書として受け取られがちである。
しかし全体を通して読むことで、「身魂磨き」「神にまつろうこと」「神国の建て替え」という一本の大きな流れが見えてくる。
原文と照らし合わせながら読み進めることで、本記事で取り上げた「神」と「神’」の違いについても、さらに深く考えるきっかけとなるだろう。


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