日月神示には、これまで幾度となく「大峠」や「淘汰」の時代が語られてきた。
しかし、この一節では、その先に待つ世界がさらに具体的に示されている。生き残る者であっても一度は死を経験する者がいること。そして死を越えてなお神の御業に携わる者が現れること。さらに、日本の人口が三分の一にまで減るほどの試練が訪れることが告げられている。
終末の恐ろしさだけを語る預言ではない。その先にある神の国を築くための備えについて語られている帖でもある。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第38帖の一部
残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、
死んでからまた生き返るぞ、
三分の一の臣民になるぞ、
これからがいよいよの時ざぞ。
日本の臣民同士が食い合いするぞ、
かなわんと言って外国へ逃げて行く者も出来るぞ。
死を越えて始まる神の国への備え
この帖は、「淘汰」が終わった後ではなく、その最中に何が起こるのかを示している。
義人であっても肉体を失う者がいる。しかし、それで終わりではない。神は必要な者を再び地上へ遣わし、神の国を築くための働きを始めさせる。
終末は滅びが目的ではない。新しい時代の始まりなのである。
逐次解説|三分の一の臣民と神の御業
残る者も一度は死を経験する
残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、
すさまじい飢餓の中では、臣民であり義人であっても、生身の人であれば命を落としてしまうことがある。
飢餓だけではない。暴力や迫害によって命を失う者もいるだろう。
そして肉体を失った霊は霊界へ向かうことになるのだが、その中には別のルートへ導かれる者が存在すると考えられる。
神の御用のために選ばれた者たちである。
死から瞬時に復活する者たち
死んでからまた生き返るぞ、
肉体の死から瞬時に復活し、そのまま地上に留まる者もいる。
そして神の御業を地上で進める働きを担うことになる。
彼らはすでに不死の肉体を得ているため、再び死ぬことはない。
食べることも必要のない身体である。
人というよりも天使といって差し支えない存在であり、その力は神’に近いものを授けられている。
人の有様を見て悲しむことはあっても、肉体的な痛みや苦しみからは解放されている。
三分の一まで減る臣民
三分の一の臣民になるぞ、
三人いれば二人はいなくなり、一人だけが残る。
日本人の多くが淘汰され、この世からいなくなる。
残された三分の一の中には、生身の人、身を替えられた人、そして復活体の人たちがいる。
霊的な目で見れば、その栄光の違いは分かる。しかし肉の目では、普通の人と見分けることはできない。
こうして再臨のための備えに必要な人材が地上へ揃えられていくのである。
ここから黙示録の最終章が始まる
これからがいよいよの時ざぞ。
ここから黙示録の最終章が本格的に動き始める。
これまで長い年月をかけて備えられてきた神の計画が、いよいよ現実となって現れる時代へ入るのである。
飢餓は人の本性をあらわにする
日本の臣民同士が食い合いするぞ、
淘汰の時には、臣民同士が餓鬼と化し、争い、奪い合う地獄のような有様となる。
極限状態では、人の本性があらわになる。
そうした争いの中でも淘汰は進み、その行き着く先が三分の一の人口なのである。
外国へ逃げても試練からは逃れられない
かなわんと言って外国へ逃げて行く者も出来るぞ。
富裕層を中心に、日本から逃げ出し、平安を得ようとする者も現れるだろう。
しかし、日本の状態が落ち着いたあと、今度は同じような状況が世界中で起こっていく。
彼らは、より過酷な状況の中で淘汰に直面することになる。
どの国も自国民を優先して守ろうとする。外国人が後回しとなるのは当然の流れである。
一方、その頃には身軽になった日本は、あらゆる意味で立ち直り、神国として発展を始める。
やがて世界の燈台として歩み始めるのである。
日本を離れた者たちは、その頃には戻るための力さえ失っているだろう。
まさに因果応報である。
まとめ|三分の一の臣民から神の国が始まる
この帖は、終末における「死」を単なる終わりとして描いてはいない。
神に仕える者の中には、一度死を経験しながらも、神の御業のために再び地上へ遣わされる者がいることを示している。
一方で、人類は激しい淘汰を経験し、日本も三分の一の人口となるほどの試練を迎える。
しかし、それは滅びが目的ではない。
神の国を築くために必要な者たちが整えられ、新しい時代がそこから始まるのである。
日月神示を原典から読む
日月神示は、一つひとつの帖だけを読んでも、その真意を十分に理解することは難しい。
前後の帖とのつながりや全体の流れを通して読むことで、神示が伝えようとしている壮大な神の計画が少しずつ見えてくる。
原本をまとめた書籍を手元に置き、原文と照らし合わせながら読み進めることで、新たな気付きが得られるだろう。
※本記事は筆者自身の研究・考察に基づく日月神示の解読であり、特定の解釈を唯一の正解として示すものではありません。原文と照らし合わせながら、それぞれの学びの一助となれば幸いです。


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