人は豊かさを求める。
国は繁栄を求める。
だが、その豊かさが一部だけのものであったなら、それは本当に良い世と言えるのだろうか。
上つ巻第4帖は、神の世とは上だけでも下だけでもなく、上下がそろって栄える世界だと語る。
さらに世界が日本へ向かう時代の到来と、神意を失った政治への警鐘を鳴らし、最後に「扶桑」と「木花咲耶姫」の名を示している。
上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃うた善き世が神の世ぞ。
卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりて
の国に寄せて来るぞ。
それなのに今のやり方でよいと思うているのか、わからねば神に尋ねて政事せねばならぬということまだわからぬか。
神と人とがまつり合わしてこの世のことがさしてあるのぞ。
人が聞きかねば神ばかりで始めるぞ。
神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけているのに何しているのざ、いつどんなことあっても知らんぞ、神祀り第一、神祀り結構。
扶桑の木ノ花咲耶姫の神様を祀りてくれよ。
コハナサクヤ姫様も祀りてくれよ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第4帖
神の世は誰かだけが栄える世界ではない
現代社会では、勝者と敗者、富む者と貧しい者という構図が当たり前になっている。
しかし神示が語る神の世は、そのような世界ではない。
上も下も共に栄え、人々が助け合いながら生きる世界である。
そのためには制度だけではなく、人の心そのものが変わらなければならない。
逐次解読|神の世へ向かうための条件
神は急がれる。しかし人はなかなか耳を貸さない。そこで神示は、「聞かねば聞くようにして聞かす」と告げる。穏やかな導きだけでは済まない時が来る。その警告と切迫感が、この帖全体に流れている主題である。(上つ巻第4帖①を読む)
上も下も共に栄える世
上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃うた善き世が神の世ぞ。
助け助けられが当たり前になる。
施政もまた、そのような方向へ向かう。
皆が豊かになり、心から平穏を楽しめる世となる。
臣民一人ひとりが神の御心を行い、人心そのものが善くなることで、そのような世界が形づくられていくのである。
世界が日本へ押し寄せる時代
卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりて
の国に寄せて来るぞ。
神示が下ろされたのは太平洋戦争の最中である。
当時の同盟国であったドイツとイタリアは、それぞれの戦域で敵を引き付け、戦力を分散させる役割を担っていた。
しかし両国は敗退し、結果として連合国は日本へ戦力を集中できるようになった。
大空襲、原爆投下、そしてソ連参戦。
まさに世界が一丸となって日本へ押し寄せる形となったのである。
これは神示が下った当時でも、先を見ていた人々には感じ取られていたことだったかもしれない。
さらに後の時代を見ると、移民などを通じて世界が日本へ流れ込む状況も生まれている。
それを受け入れるように迫られ、日本の統治者たちは当然のように受け入れている。
やがて神国日本の意味を多くの国々が知るようになれば、利を求めて列強が干渉してくる可能性もある。
中には神宝を求めて迫る国もあるだろう。
神に尋ねて政を行え
それなのに今のやり方でよいと思うているのか、わからねば神に尋ねて政事せねばならぬということまだわからぬか。神と人とがまつり合わしてこの世のことがさしてあるのぞ。
これは主として統治者へ向けられた言葉である。
国民から搾取することばかりを考える施政者という構図は、この頃から続いており、むしろ深刻さを増しているようにも見える。
また世界中から注目され、干渉される未来を乗り越えるためには、神意を汲み取って差配できる者の存在が必要となる。
神と人がまつり合うとは、そのような姿を指しているのかもしれない。
神だけで始める前に
人が聞きかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけているのに何しているのざ、いつどんなことあっても知らんぞ、神祀り第一、神祀り結構。
神だけで洗濯する方が早い。
だが神は臣民を見捨てたくない。
だからこそ時間を与えているのである。
良くばかりを求める為政者や、欲に流される庶民たちが消えていくような形にならぬよう、今のうちに心の掃除を始めよと神示は語る。
そうでなければ、人は痛みを通して学ぶことになる。
扶桑と木花咲耶姫に込められた意味

扶桑の木ノ花咲耶姫の神様を祀りてくれよ。
扶桑(ふそう)とは
扶桑とは、中国古代の神話に登場する東方の神木の名で、太陽が昇る場所に立つ霊木とされた。『山海経』には十個の太陽が扶桑の木に宿り、毎日一つずつ天に昇ると記されている。このことから扶桑は「太陽」「夜明け」「新しい始まり」の象徴となった。
やがて中国では、東の海の彼方にある日本を「扶桑国」と呼ぶようになり、扶桑は日本そのものを指す雅称としても用いられた。
日月神示における「扶桑」は、単なる神木ではなく、日本の霊的使命や新しい時代の夜明けを象徴する言葉として読むことができる。
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とは
木花咲耶姫は、日本神話に登場する美しい女神で、富士山の祭神として広く知られている。
『古事記』『日本書紀』では、天孫ニニギノミコトの妻となり、火の中で出産して潔白を証明した神として描かれる。
その姿から、桜の花のような生命の輝き、美しさ、繁栄を象徴する神とされる一方、火や火山の力とも深く結び付いている。
富士山本宮浅間大社をはじめ全国の浅間神社で祀られ、安産、子授け、家内安全、五穀豊穣の守護神として信仰されてきた。
日月神示で木花咲耶姫の名が語られる背景には、富士山と結び付いた日本の霊的中心性や、新しい時代の生命力と再生の象徴としての意味が重ねられているように見える。
また神示は「木花咲耶姫を祀れ」ではなく、「木花咲耶姫の神様を祀れ」とも読める。
木花咲耶姫を神々の一柱と捉えるなら、その背後におられる不死の神、すなわちイエス・キリストを指しているとも解釈できる。
神々を忘れるな
コハナサクヤ姫様も祀りてくれよ。
最後に改めて木花咲耶姫の名が繰り返される。
そこには、日本の神々をも忘れず敬いなさいという意味も込められているように思える。
富士に向かって語られた神示
上つ巻第4帖は、世界情勢への警告であると同時に、人の心の在り方への警告でもある。
神の世とは、一部だけが栄える世界ではない。
上下がそろい、人が神意に耳を傾ける世界である。
そして神示は、その中心に扶桑と木花咲耶姫の名を置いた。
そこには日本が果たすべき役割と、新しい時代に向けた神の願いが込められているのかもしれない。
神示全体を読むと見えてくるもの
日月神示は一つひとつの帖だけを読んでも学びはある。しかし前後の流れを追っていくと、神が何を伝えようとしているのかがより立体的に見えてくる。
今回の上つ巻第4帖もまた、日本の役割と人の心の在り方を考える上で重要な神示の一つである。
興味を持たれた方は、ぜひ原典に触れていただきたい。


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