日月神示の上つ巻第四十帖では、日本を取り巻く状況について、非常に緊迫した言葉が語られている。
「北も南も東も西もみな敵ぞ」とされ、さらに「敵の中にも味方あり、味方の中にも敵ある」と告げられる。
表面的な国家間の関係や政治的な対立だけを見ていては、本当の構図は見えてこないということだろう。
そして、「黄金(きん)の国へ皆が攻めて来るぞ」と予告された後、神’はむしろ攻めて来る者たちを挑発するかのように、その力を現して見せると宣言する。
しかし、この帖の最後に置かれている言葉は、敵でも戦争でも黄金でもない。
「臣民の洗濯第一」である。
第四十帖の中心にあるものは、外側で起こる争い以上に、その時を迎える臣民自身がどうあるべきかという問いなのではないだろうか。
北も南も東も西もみな敵ぞ、
敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。
黄金の国へ皆が攻めて来るぞ。
の力をいよいよ現わして、どこまで強いか、
の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ、
臣民の洗濯第一と言っておること忘れるなよ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第40帖
この短い一帖には、神国を取り囲む敵、敵味方の入り乱れた構図、黄金の国を巡る争い、そして最後の逆転へとつながる神’の力が凝縮されている。
だが、それらを知ることだけが目的ではない。
どのような時代が訪れようとも、まず求められているのは「臣民の洗濯」なのである。
第40帖が描く「包囲された神国」と臣民の洗濯
第四十帖を一つの流れとして読むと、外側では神国を巡る包囲網が狭まり、内側では敵と味方が入り乱れ、やがて「黄金の国」を巡って大きな動きが起こるという構図が見えてくる。
しかし、神’はそれを恐れてはいない。
むしろ「攻めて来て見よ」と告げ、その極限において神’の力を現すという。
だからこそ、臣民に必要なのは恐怖に飲み込まれることではない。
何が起きても神’を見失わないように、自分自身を整えておくことなのである。
逐次解読|四方の敵と黄金の国、そして神’の力
神国は四方から敵に囲まれている
北も南も東も西もみな敵ぞ、
神国は敵に囲まれている。
神国を攻撃して詰ませるために、グローバル・ディープ・ステート(GDS)は政治的なしがらみを超えて、裏で団結していると私は見ている。
たくさんの勢力があるように見えていても、その霊的な構図を突き詰めれば、悪魔の陣営と神’の陣営しか存在しない。
出エジプトで荒れ野を行くイスラエルの周りには敵しかいなかったように、今も同じ状況なのだ。
神国にとっては、表向きは同盟国であったとしても安心はできない。滅ぼすための罠が、長い年月をかけて裏側に積み上げられてきた可能性も考えなければならない。
例えば、食料自給率を下げていくこともその一つとして考えることができる。
戦争とは、武器を持って攻め込むことだけではない。
国家が自力で生きられない状態をつくることも、長期的に見れば非常に強力な攻撃となるのである。
敵の中の味方、味方の中の敵
敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。
敵にも味方にも、双方が自分の勢力のエージェントを潜り込ませている。
場合によっては、すでに数世代にもわたって潜り込んでいることもあるだろう。
特に日本は、とっくに詰んでいる状態にまでなっていると私は見ている。
しかし、「敵の中にも味方あり」とある以上、一方向だけの浸透ではない。
敵とされる勢力の内部にも、神’の側に立つ者が潜り込んでいるということになる。
つまり、表面的な所属だけでは敵味方を判断できない。
国家、組織、肩書、政党、民族といった外側の分類だけで人を見ると、本当の構図を見誤る。
第四十帖は、単純な「こちら側とあちら側」という見方そのものを戒めているのかもしれない。
「黄金の国ジパング」は今も現役である
黄金の国へ皆が攻めて来るぞ。
ここでいう「黄金」は、まず神’の栄光を指していると考えている。
しかし、それだけではないのではないか。
文字どおり、地下の動きの激しい日本列島は、地震の種だけではなく、地下に金を蓄えてきているはずだ。
かつて「黄金の国ジパング」と呼ばれた日本は、過去の伝説ではなく、今も進行形で黄金の国なのかもしれない。
そういう場所は風景としても美しいところが多く、国立公園や国定公園などとなり、地下資源の大規模な採掘から守られてきたとも考えられる。
しかし臣民にとって、この美しい国は永遠の居住地ではなく、一時的な居住地であり、役割を終えると海の藻屑と消えていく定めとなっていると私は解読している。
やがて敵の思惑とも合致して、日本の景勝地が金あさりによって荒らされることになるのではないか。
日本はゴールドラッシュの大渦に巻き込まれていく。
そして結果的には、臣民を救うためにも国土は破壊され、金が大量に採掘される。世界の金相場が下がってしまうほど大量の金が市場へ出ていくことさえあるかもしれない。
その資金によって、日本は立ち直り、繁栄していくことになる。
だが、臣民が本当に目指すものは黄金ではない。
金を求めて狂う者たちを尻目に、臣民は「聖約の地への帰還」という大事業を成し遂げていくのである。
かくして、出エジプト記にそっくりな「出日本記」が始まる。
「攻めて来て見よ」――最後に現される神’の力
の力をいよいよ現わして、どこまで強いか、
の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ、
悪魔を挑発しているよね。
「攻めて来て見よ」とまで言っている。
一時は神国といえども勝てないのではないかと思うほど、徹底的に追い込まれていく。
しかし、そこを最後の最後に「神一厘」で逆転していく仕組みになっている。
先行きを知らなければ、絶望してしまうような事態になるだろう。
だからこそ、知っておくことは大事なのだ。
最後にどうなるのかを知っていれば、生きるも死ぬも腹をくくって、その時を迎えることができるでしょ?
恐ろしい出来事について知る目的は、恐怖を増幅するためではない。
恐怖に支配されないために、先に神’の仕組みを知っておくのである。
すべてに先立つ「臣民の洗濯」
臣民の洗濯第一と言っておること忘れるなよ。
ここが第四十帖で最も大切なところだろう。
深刻になり過ぎないためにも、信仰は大切である。
この場合の信仰とは、単に宗教的な教義を信じるということではなく、希望や展望を持つことでもある。
そして、それを垣間見るためには、神’を心の中に祀ることが条件となる。
神’の御霊が心に定着するにつれて、世の見え方が変化していく。
同じ出来事を見ても、それまでとは違うものが見えるようになる。
その視点があなたの意識を変え、希望をもたらしてくれる。
大変な時に先が見えていることは、本当に大きな強みとなる。
そして、その条件となるのが神’を知るための「心の洗濯」なのである。
瞑想や祈りが、その道を開いてくれる。
第四十帖が四方の敵から始まりながら、最後に「臣民の洗濯第一」で終わっている意味は大きい。
世界を変えることより先に、自分の内側を神’に向けて整える。
それこそが、これからの時代を生き抜く臣民に求められている備えなのである。
まとめ|四方を敵に囲まれても、恐れる必要はない
第四十帖では、神国が四方から敵に囲まれ、敵と味方が複雑に入り乱れ、やがて黄金の国を目指して多くの勢力が押し寄せてくる未来が示されている。
一時は、もうどうにもならないと思えるところまで追い込まれるのかもしれない。
しかし、そこで神’は「攻めて来て見よ」と告げている。
最後にものをいうのは、人間の計算ではなく神’の力だからである。
だから臣民が第一にすべきことは、敵を探し続けることではない。
「臣民の洗濯第一」。
神’を心に祀り、祈り、心を整え、何が起きても希望を失わない自分をつくっておくこと。
それが第四十帖の最後に残された、最も重要な教えなのだろう。
書籍紹介|日月神示の原文を手元で読む
日月神示を深く読み解くのであれば、解説だけではなく、原文そのものを繰り返し読むことが大切である。
一度読んだ時には意味が分からなかった言葉でも、別の帖を読み、時間を置いて読み返すことで、突然つながって見えてくることがある。
特に今回の「敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ」や「臣民の洗濯第一」といった言葉は、一つの帖だけで完結させず、他の帖で繰り返される「身魂磨き」「改心」「神’の仕組み」と重ねながら読むことで、その意味が立体的になってくる。
日月神示の原文をまとめて読みたい方は、書籍版を手元に置いて、本記事と照らし合わせながら読み進めることをおすすめする。


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