『日月神示』上つ巻は、ついに最後の帖を迎える。
第42帖では「初めの御用はこれで済みた」と告げられ、これまで書かれてきた神示を「上つ巻」として後の世に残すよう命じられる。そして「お山」を開いた後には、次の世の仕組を示す新たな神示が始まるという。
これまで私は「お山を開く」という言葉を、神をどこかの社に祀ることではないかと解釈してきた。しかし上つ巻を最後まで読み進めてくると、それだけではないように思えてきた。
「お山を開く」とは、神示そのものを世に現し、その意味を人々の前に開いていくことではないだろうか。
そしてそれは、これまで繰り返し語られてきた「富士(不死)」の秘密を開くことにもつながっていくのかもしれない。
初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いてくれよ。
お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ、
ひと月の間に書いてくれた神示は『上つ巻』として後の世に残してくれよ、
これからひと月の間に書かす神示は、次の世のの世の仕組の神示ざから、それは「下つ巻」として後の世に残さすぞ、そのつもりで気をつけてくれよ。
御苦労なれども世界の臣民の為ざから、何事も
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第42帖の申すこと、素直に聞いて下されよ。
上つ巻はここで終わる。
しかし、日月神示そのものは終わらない。
むしろここから「次の世」へ向けた神’の仕組が、さらに明らかにされていくことになる。
上つ巻の終わりは、次の世への始まり
第42帖は、上つ巻全体を締めくくると同時に、次に続く神示への橋渡しとなる帖である。
ここで重要なのは、「終わった」と告げられているのが神示そのものではなく、「初めの御用」であるということだ。
上つ巻を書き残すことは最初の段階にすぎず、次には「お山を開く」という御用が待っている。そして、その先には「次の世の仕組」が示されるという。
つまり第42帖は、一つの区切りであると同時に、新しい段階への出発点でもあるのだ。
逐次解読|上つ巻を残し、次の世の仕組へ
「初めの御用」が終わり、いよいよ「お山」を開く
初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いてくれよ。
これで上つ巻は最終帖となる。
山を開くとは、神をどこかの社にでもして祀ることかと解釈してきたが、ここに来て、神示を世に現す業ではないかと感じてきた。
富士(不死)の秘密の開示となるからだ。
この上つ巻は、昭和19年6月10日から7月9日までの間に下ろされた言葉である。
太平洋戦争の末期であり、サイパン島の攻防と重なる時期でもある。敗戦に向かって、日本国民はより苦しくなっていく。
最終戦争の時代にあると考えてもおかしくない。
そんな中では、この神示は不吉なものとして受け止められるのではないかとも感じる。
それでもなお、もっと未来における神国への希望を与えてくれるものともなるだろう。
神示の原文は、数字や記号だらけで、普通に人の言葉として読めない状態にある。
すぐに誰でも読める平易な文にすることはできないが、その概要を伝えることなら可能な部分もあるだろう。
それもまた、「お山を開く」ということにつながっていくのかもしれない。
お山を開いた先にも神示は続く
お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ、
神示はまだ続くことが示される。
上つ巻を書き終えたところで終わりではない。
「お山」を開いた後には、「次の世の仕組」が書かれるというのである。
まさかこれだけの膨大な神示になるとは、この時点で岡本天明はわかっていただろうか?
ここではまだ、その後に続く神示の全貌など見えていなかったのかもしれない。
しかし神’の側から見れば、上つ巻はあくまでも「初めの御用」であったということになる。
「上つ巻」は後の世に残すための神示
ひと月の間に書いてくれた神示は『上つ巻』として後の世に残してくれよ、
これらの帖はまとめられて、「上つ巻」と名付けられる。
注目したいのは、「後の世に残してくれよ」と明確に告げられていることである。
後の世ということは、もっと未来のことが示されていることを意味しているのではないだろうか。
ということは、この戦争でも、次の試練でも終わりではないことを告げている。
昭和19年という時代だけを対象とした神示であるなら、「後の世に残す」必要性はそれほど大きくない。
未来に生きる人々にも必要となるからこそ、上つ巻として残すよう命じられたと考えることができる。
私たちが今、この神示を読んでいること自体が、「後の世に残してくれよ」という言葉の先にある出来事なのだ。
下つ巻には「次の世の神’の世の仕組」が示される
これからひと月の間に書かす神示は、次の世の
の世の仕組の神示ざから、それは「下つ巻」として後の世に残さすぞ、そのつもりで気をつけてくれよ。
今の我々にとっても、これからのことが下つ巻として示される。
そこに書かれているものは、明るいだけの話題ではないだろう。
これまでの上つ巻だけを見ても、戦争、混乱、食糧難、死、世の立て替えなど、厳しい言葉が繰り返されてきた。
しかし、その中にあっても神’による希望は失われないだろう。
というよりも、希望を失わないように、そして選択を誤らないようにしたい。
ここで示されるのは単なる未来予測ではなく、「次の世の神’の世の仕組」である。
何が起こるのかだけではなく、その中で人が何を選び、どのように生きるのか。
そのための神示として下つ巻を読んでいく必要があるのではないだろうか。
「世界の臣民の為」に神示は残される
御苦労なれども世界の臣民の為ざから、何事も
の申すこと、素直に聞いて下されよ。
神国は日本だけではない。
まだ世界中に臣民は散らばっていて、号令のかかる時を待っている。
ここで神’は、これからの御用が「世界の臣民の為」であると告げている。
日月神示を日本だけのための神示として読むのでは、その射程を狭くしてしまうのかもしれない。
これから先、チャレンジとしては途方もなく思えることが目白押しになると思う。
しかし、思わず笑ってしまうぐらいに愉快な目論見が待っていると思うと、ミツゲはワクワクしてしまうのである。
上つ巻の解読は、これで一区切りとなる。
さあ、下つ巻を解いていきましょうか。
まとめ|上つ巻の終わりから「次の世」へ
第42帖によって、昭和19年6月から約ひと月にわたって下ろされた上つ巻は終わる。
しかし、それは日月神示の終わりではない。
「初めの御用」が済み、「お山」を開き、その先に「次の世の神’の世の仕組」を示す下つ巻が待っている。
そして上つ巻そのものも、「後の世に残す」ことを目的として書かれた。
ならば、その「後の世」に生きる私たちが、ここに書かれた言葉をどう受け止めるのか。
上つ巻を読み終えた今、いよいよその問いが現実味を帯びてくるのである。
書籍紹介|日月神示を原文から読みたい方へ
日月神示をさらに深く読み解くためには、解説だけではなく、実際の神示の言葉に触れることが大切である。
原文をまとめた書籍を手元に置いておけば、気になる帖を前後の流れとともに読み返し、自分自身で意味を考えることもできる。
このブログの解読記事と原文を照らし合わせながら読むことで、同じ言葉から新しい意味が見えてくることもあるだろう。


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