人は未来が見えない。
だから大きな変化が訪れるたびに、「こんな話は聞いていなかった」「誰も教えてくれなかった」と慌てる。
だが日月神示は違う。
神は前もって知らせているという。
しかも、この帖では神示の内容そのものよりも、「神示をどう扱うべきか」が語られている。
なぜ今のうちに読めと言うのか。
なぜ肚に入れておけと言うのか。
今回は上つ巻第8帖を通して、その意味を考察していく。
秋が立ちたらこの道開く方出て来るから、それまでは神の仕組みを書かしておくから、よく読んで肚の中によく入れておいてくれよ。
その時になりて慌てて、何も知らんというようではならんぞ。
それまでに何もかにも知らしておくから、縁ある方からこの知らせをよく読んで、肚の中に入れておいてくれよ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第7帖
神はなぜ前もって知らせるのか
未来は誰にも分からない。
だからこそ人は備えることが難しい。
しかし神示には繰り返し「知らせておく」という言葉が現れる。
それは未来を当てるためではない。
来るべき時に慌てないためであり、神の働きを見失わないためである。
上つ巻第8帖は、神示の内容そのものというよりも、神示を受け取る側の心構えについて語られた帖とも読める。
逐次解説|神示を受け取る者への準備期間
「この道開く方」が現れる時まで
秋が立ちたらこの道開く方出て来るから、それまでは神の仕組みを書かしておくから、よく読んで肚の中によく入れておいてくれよ。
これは岡本天明たちに与えられた、一種のト書きのような託宣に見える。
当時すでに岡本天明の周囲には教会的な共同体があり、多くの協力者たちが神示を世に出すために動いていた。
この言葉は、これから下される神示をどのように扱うべきかを示した指示とも読める。
原文の日月神示は数字や記号が多く、人がそのまま読んで理解できるものではなかった。
岡本天明自身にも意味が分からない箇所があったと伝えられている。
だからこそ、人の読める形へと整える役割が必要だった。
神はここで、その賜を持つ者が現れることを示唆しているようにも見える。
そして文章になった神示を学び、理解し、肚に落とし込むことを求めている。
もっとも、神示を読む側にもまた霊感や感受性が必要なのだろう。
単に文字を追うだけでは見えない部分がある。
だからこそ「肚に入れよ」と繰り返されているように思える。
慌てる前に理解しておけ
その時になりて慌てて、何も知らんというようではならんぞ。
神示に書かれた出来事が現実として現れる時、多くの人は初めて注目することになる。
しかし神は、それでは遅いと言う。
その時になって初めて読むのではなく、前もって学び、理解し、自分の言葉で説明できるようになっておけということだろう。
今は奇異に見える内容であっても、現実が神示に追いついた時には見え方が変わる。
その時に慌てないための準備期間が今なのかもしれない。
私自身もクリスチャンという立場から日月神示を読み解いている。
もちろん本当にそうかは分からない。
だが、神示を伝えようとする働きに関わるという意味では、協力者の一人として使われている可能性はあるのかもしれない。
縁ある者へ託された秘密文書
それまでに何もかにも知らしておくから、縁ある方からこの知らせをよく読んで、肚の中に入れておいてくれよ。
日月神示は長い間、公には出版されなかった。
信頼できる関係者たちの間で、謄写版や手書き写本として回覧されていた。
この時代の日月神示は、ほとんど秘密文書に近い存在だったのである。
そして神示は、その後も約18年間にわたって下され続ける。
岡本天明は神示が終わった翌年に帰幽する。
不思議なほど役目を終えたかのような人生にも見える。
私は時々考える。
長く生きることだけが祝福なのだろうか、と。
与えられた学びを十分に経験し、走り切り、卒業するようにこの世を去ることもまた幸せなのではないか。
さらに言えば、強い霊感というものは、どこか強い放射線にも似ているように思える。
人の肉体には大きな負荷がかかる。
その力に耐えられるよう身体そのものを変えられない限り、長寿には向かず病んでいくこともあるのではないか。
だから私には、神の祝福とは必ずしも「元気で長生き」ではないように感じられる。
役割を終えたなら、「もう帰っておいで」と呼ばれることもまた祝福なのかもしれない。
神示は知識ではなく備えである
上つ巻第8帖は未来の出来事を語る帖ではない。
むしろ神示を受け取る者の姿勢を語る帖である。
神は前もって知らせる。
だが、その知らせは読むだけでは足りない。
肚に入れ、考え、生き方に反映させて初めて意味を持つ。
だから神は繰り返す。
「よく読んで肚に入れておいてくれよ」と。
その言葉は昭和十九年の読者だけでなく、今この時代の日月神示読者にも向けられているように感じる。
原文から読み解くために
日月神示は解説だけを読むよりも、原文そのものに触れた方が理解が深まる。
独特の言い回しや繰り返しの中には、解説だけでは伝わらない響きがあるからだ。
逐次解読を読んで興味を持った方は、ぜひ原典にも触れてみてほしい。
私自身も解読を続けるたびに、新しい気づきを与えられている。
日月神示は断片的な引用だけでは全体像が見えない。
原典を手元に置き、自分自身で読み、考え、祈りながら向き合うことで見えてくるものがある。
逐次解読とあわせて、ぜひ原文にも触れてみてほしい。


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