人は平穏な時には、なかなか真理を求めようとしない。
明日の食べ物があり、寝る場所があり、社会が動いている間は、神の言葉など必要ないように思えるからだ。
だが日月神示は、やがて人々が神示を求めて奪い合うような時代が来ると語る。
それは知識として読む時代ではない。
生きるために読む時代である。
まずは原文を見てみよう。
この世のやり方わからなくなったら、この神示を読ましてくれと言うて、この知らせを取り合うから、その時になりて慌てんようにしてくれよ。
日本の国は一度はつぶれたようになるのぞ。
一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。
その時にお蔭を落さぬよう、しっかりと神の申すこと肚に入れておいてくれよ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第1巻 上つ巻 第9帖
この帖は、日月神示がなぜ今読まれているのかではなく、なぜ未来に求められるのかを語っているように見える。
神示が「生きるための書」となる時代
現代では日月神示の全文をインターネット上で読むことができる。
スマートフォン一台あれば、原文も解説も瞬時に探せる。
しかし、その便利さは永遠ではない。
日月神示が本当に求められる時代には、今当たり前に存在しているネット環境そのものが失われている可能性もある。
私たちは便利さに慣れすぎているのかもしれない。
逐次解説|神示を取り合う時代とは何か
神示がネットから消える日
この世のやり方わからなくなったら、この神示を読ましてくれと言うて、この知らせを取り合うから、その時になりて慌てんようにしてくれよ。
現在はネットで日月神示はほぼ全文、無料で読むことができる。
しかし日月神示が求められる時には、ネットは壊滅しているとミツゲは予測している。
だから電子書籍も役に立たない。
SNSも消える。
スマホはただの重たい羊羹のような板になり果てるだろう。
今思っている以上に、ネット社会は脆いものであることを人々は知ることになる。
その中で紙の媒体だけは、通信網に依存せず読むことができる。
だからこそ紙の本は最強のメディアとなる。
しかし、その頃には紙の書籍を印刷し製本することも容易ではなくなっているはずだ。
現在は電子化が進み、印刷業界そのものが縮小傾向にある。
失われた技術は事がおこってすぐに状況が回復するとは思えない。
紙の媒体は古書も含めて高騰し、驚くほどの価格で取り引きされるかもしれない。
ミツゲは前もってここに記しておく。
このサイトも、事が起これば消えてしまうのだろう。
だからこそ今のうちに読んでおいてほしいのである。
日本が潰れたように見える時
日本の国は一度はつぶれたようになるのぞ。
未曾有の天災。
経済的破綻。
飢餓。
戦禍。
これがほぼ一度にこの国に襲い掛かってくる。
日月神示は日本があらゆる面から追い詰められる未来を繰り返し語っている。
生きることそのものが難しくなる。
街角で人が倒れていても、誰も驚かなくなるほど死が日常になるかもしれない。
世界から尊敬される国ではなく、蔑まれる国になる可能性すらある。
それほどまでに深く沈むからこそ、「つぶれたようになる」という表現が使われているのだろう。
本当に恐ろしいのは物質的な崩壊ではない。
人の心が崩れることである。
神も仏も無いと思うほどの絶望
一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。
この言葉は、神国の神が現世でたどった道を臣民全体が体験することを示しているようにも見える。
ジョセフ・スミスが獄中で苦しんでいた時に与えられた有名な言葉。
また、たとえあなたが穴の中に投げ込まれたり、殺人者の手に渡されたりして、死刑の宣告が下されても、たとえあなたが深みに投げ込まれても、たとえ寄せて来る大波があなたを巻き込もうとしても、たとえ暴風があなたの敵となっても、たとえ天が暗黒を集め、すべての元素が結束して道をふさいでも、また何にも増して、たとえ地獄の入り口が大口を開けてあなたをのみ込もうとしても、息子よ、あなたはこのことを知りなさい。すなわち、これらのことはすべて、あなたに経験を与え、あなたの益となるであろう。
人の子はこれらすべての下に身を落とした。あなたは人の子よりも大いなる者であろうか
末日聖徒イエス・キリスト教会 教義と聖約122章7-8節
イザヤ書にも預言として記されている。
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ
旧約聖書 日本聖書協会 口語訳 イザヤ書53章3-5節
それはゲッセマネの園におけるイエス・キリストの苦しみにも重なる。
神に祈っても応えがない。
救いが見えない。
未来も見えない。
そんな闇の中を国全体が歩くのである。
その時、人々は本を落ち着いて読む余裕すら失うだろう。
それでも助かる道を求めてさまよう。
そして誰かが言う。
「神示には予告されていたらしい」
その噂が広がる。
やがて人々は神示を求める。
そこに何か生き残る道が書かれているのではないかと考えるからだ。
肚に入れるとは生き方を決めること
その時にお蔭を落さぬよう、しっかりと神の申すこと肚に入れておいてくれよ。
神は極限状態の中で人が何を選ぶかを見ている。
豊かな時代に信じることは難しくない。
しかし全てを失った時に何を信じるかが問われる。
神示を知る者から学ぼうとして、人々はそこへ集まるだろう。
だからこそ、不穏な気配が未来から漏れ出ている今こそ神示を読む意味がある。
平穏が残されている今こそ、自分がなぜ生きているのかを考える時なのである。
また、いつかこの世を去ることになるなら、その意味を深く弁えておく必要がある。
もし路傍で命を落とすことになったとしても、狂乱の果てに死ぬのと、平安の中で死を受け入れるのとでは大きな違いがある。
神を内に満たすこと。
それは運命を変えることではなく、自らの定めを受け入れて事に臨む力を得ることなのかもしれない。
備えとは食料ではなく心の置き場所である
多くの人は備えと聞くと食料や水を思い浮かべる。
もちろんそれも大切だ。
しかし日月神示が繰り返し語るのは、心の備えである。
社会が崩れた時。
常識が通じなくなった時。
神も仏も無いと思うほどの絶望に直面した時。
その時に何を頼りに立つのか。
上つ巻第9帖は、その答えを今のうちに肚へ入れておいてくれと語っているのである。
日月神示を原文から読む
日月神示は断片的な引用だけでは全体像が見えにくい。
今回の第9帖も、前後の帖を読むことで意味の広がりが見えてくる。
原文に触れると、解説だけでは伝わらない独特の響きや迫力を感じることができる。
これから逐次解読を追っていく方にも、原典を手元に置いて読むことをおすすめしたい。
上つ巻はここから、さらに人類が迎える大きな転換点について語り始める。


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