役目が決まるとき、人は静かに“自分”を手放していく。
今度 役目決まったら、末代続くのざぞ、神示に出た通りの規則となるぞ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第11巻 松の巻 第10帖
善も末代ぞ、悪も末代ぞ。
この世は一つであるぞ。
我の身体、我の自由にならぬ時来たぞ。
神にすがるより仕方なくなって、すがったのでは、間に合わんぞ。
今度はいろはの世に戻すぞ。ひふみの世に戻すぞ。
素直にすれば魂入れ替えて、善い方に廻してやるぞ。
歓の身といたしてやるぞ。
見え始める“神の規則”というもの
この第10帖は、これから訪れる世界の“仕組みそのもの”を示している。
役目が決まることで人は系譜の中に組み込まれ、善と悪は継承され続ける。分かれて見える世界も実は一つであり、やがて“我”は崩れ、身体すら神の働きの器となる。
ここからは、神示が語るその規則を一つずつほどいていく。
逐次解読|人はどこへ導かれているのか
役目が決まるとき、終わらない系譜が始まる
今度役目決まったら、末代続くのざぞ、神示に出た通りの規則となるぞ。
福千年がはじまると神の統治となる。
神の統治の役割を果たすのは臣民たちで、その子孫に継がれていく。
基本的に相応しい子孫がうまれてくるようになるし、伴侶が一人とは限らないので、一人の臣民から多くの子どもたちが生まれ、神の業を継いでいくことになる。
また人の寿命が長くなり病気や事故で死ぬことはなく、寿命で瞬時に復活して引き続き役割を果たすか、別のステージで働くこととなる。
善と悪は、どちらも終わらない
善も末代ぞ、悪も末代ぞ。
福千年が完成するまでは、善と悪のせめぎ合いがあって、それぞれの性質は子孫に受け継がれて、戦いもつながっていく。
双方にとって幸福であり、不幸であり続けていく。
こうなると福千年の完成までには数世代ありそうで、神にとっての急ぎは人にとってゆっくりという感じかな?
分かれて見えても、すべては一つの中にある
この世は一つであるぞ。
価値観によってグループが離れていようとも、また空間が異になって見えようとも、一つで神の栄光のうちに存在している。
神という仕組みはコンピュータのサーバのようなもので、それが区画分け(分け御魂)された存在が我々であり、万物である。
別々の存在に見えても実際は神と一体というわけで、万物ももとから一体なのである。
“我”が崩れるとき、神が入ってくる
我の身体、我の自由にならぬ時来たぞ。
神に従うと決めたら、我々の身体は神を宿す器(神殿)となる。
あなたを通して神は動かれる。
我とは我(が)であり、漢字は最強の棘のついた武器のような盾と矛で、その中心には閉じこもる自分がいるんだ。
その防御のまくは限りなく薄くなり神に開いていく。
あなたはあなただが、別の者ともなっていく。
されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです
旧約聖書 日本聖書協会 口語訳 イザヤ書64章8節
神によって生まれ変わるのだ。
追い詰められてからでは、もう遅い
神にすがるより仕方なくなって、すがったのでは、間に合わんぞ。
末日の修羅場で状況によって神に祈り叫び求めるしかなくなる。
神にすがるのは良いこと。
でも状況は車と同じく急には止まれない。
時代の剣があなたを刺し貫くかも。
その時は「生きたい」を手放すことが英断となるかも知れない。
世界は“はじめ”に戻される
今度はいろはの世に戻すぞ。ひふみの世に戻すぞ。
「いろは」も「ひふみ(一二三)」もはじめという意味を持つ。
はじめは「はじめで終わり」「わたしはある」で神を示しているので、神が人民のために力をふるうことができる世に戻すという意味になる。
そこにあるのは神への信仰。
人々の意識が神の存在を当たり前とする世とするということ。
福千年の完成とはそのような世のこと。
素直さだけが、書き換えを許される
素直にすれば魂入れ替えて、善い方に廻してやるぞ。歓の身といたしてやるぞ。
人は器とすれば、粘土がいい。
素直に神の御心のままに形を変えてしまえばいい。
それは真に「神のかたち」となっていく。
人としては最強のかたちになっていく。
それで幸せにならないわけがない。
自分で生きる時代は、終わりに向かっている
この帖が語っているのは、ただの未来予測ではない。
「人が自分の意思で生きる世界」から、
「神の意志に組み込まれて生きる世界」への転換だ。
役目が決まるとき。
我は崩れ、流れに入る。
そのときに抗うか、委ねるか。
それが分かれ目になる。
引用の書籍紹介
日月神示を原文で読むことで、解釈の幅はさらに広がる。


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