【日月神示】松の巻 第17帖|宗教は争うためにあるのか、それとも一つに還るのか

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釈迦・キリスト・マホメットと富士山を象徴的に描いた日月神示松の巻17帖のイメージ

「釈迦祀れ。キリスト祀れ。マホメット祀れ。」

この一文だけでも、かなり衝撃的だ。

普通なら、仏教・キリスト教・イスラム教は別々の宗教として扱われる。
歴史の中では対立もしてきた。

けれど日月神示は、そこを分けずに並べている。

これは「全部同じ」という単純な話ではなく、それぞれに役割があり、その先で“ひとつの真理”へと収束していく流れを示しているのかも知れない。

松の巻17帖は、宗教統合、神の理解、人類の精神状態、そして「富士晴れる」という象徴的な言葉まで含んだ、非常に深い帖に見える。

釈迦祀れ。キリスト祀れ。マホメット祀れ。
カイの奥山は五千の山に祀りくれよ。
七月の十と二日に天晴れ祀りてくれよ。
いよいよ富士晴れるぞ。
今の人民よいと思っていること、間違いだらけざぞ。
ここまでよくも曇りなされたな。
二の山、三の山、四の山に祀りくれよ。
まだまだ祀る神様あるぞ。

[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第11巻 松の巻 第17帖
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目次

分かれていたものが、ひとつの山へ向かい始める

松の巻17帖は、「祀る」という言葉が何度も繰り返される。

これは単なる宗教儀式ではなく、「何を尊び、どこへ心を向けるのか」という精神そのものを問うているように感じる。

そして最後には、「まだまだ祀る神様あるぞ」と語られる。

つまり、人間の理解はまだ途中なのだろう。

逐次解説|神々は争うのか、それとも真理へ集まるのか

宗教は別々なのに、なぜ並べられるのか

釈迦祀れ。キリスト祀れ。マホメット祀れ。

仏教、キリスト教、イスラム教が一緒くた?

そう感じる人も多いと思う。

けれどミツゲは、それぞれに特色があり、役割があると感じている。

秀でている部分。
欠けている部分。
重なる部分。

それらの全貌が、これから明らかになっていくのかも知れない。

誰を神仏として崇めているのか?

理解が進むと、「仕切り」が消える瞬間が来る。

名前は違っても、指し示している“根源”が同じだと気づく時が来るのかも知れない。

真理が明らかになる時代。

この帖は、その入口を語っているように見える。

「カイの奥山」に隠された意味とは

カイの奥山は五千の山に祀りくれよ。

神々(天使・預言者)の頂点の神

実は神々はこの神を祀っていることになる。

奥山に隠された神とは誰?

カイ(甲斐、カヒ)

カイ、あるいはカヒという言葉が先にあり、あとから「甲斐」という漢字が当てられたのかも知れない。

甲斐という言葉には、

  • 効果
  • しるし
  • 報い
  • 値打ち

といった意味がある。

つまり「祀る甲斐がある」という方向にも読める。

奥山

奥山とは、

  • 人里離れた場所
  • 修験の地
  • 神を祀る霊的中枢

などを意味する。

霊的な場所。

柱であり、天と地を結ぶものでもあり、神聖な場所でもある。

そして山とは、それ自体が神を指す象徴でもある。

奥山とは神々の頂点にある神のこと。

ヘブライ語で山(YAMA)は?

山の読みは、

  • 音読みで「サン」
  • 訓読みで「やま」

つまり、「やま」という日本語が先にあり、あとから「山」という漢字が当てられた可能性が高い。

日本が真イスラエルだと捉えるミツゲとしては、ヘブライ語との関係を考えてしまう。

YM
  • ים(yam)
  • 発音はヤム

意味は、

  • 大いなる水
  • 西(海の方向)

意味は真逆にも見える。

けれど、山と海という対比は、それはそれで意味深い。

YHなら?
  • יה(YH / Yah)
  • ヤハウェ(יהוה / YHWH)の短縮形

発音は、

  • ヤー
  • ヤハ

意味は文字通り、ヤハウェ。

つまり神そのもの。

もしこれが語源につながるなら、あまりにも象徴的だ。

五千の山とは?

見ている者によって、神はたくさんあるように見える。

共通点もあり、違っても見える。

  • 五:七五三の真ん中
  • 千:大量の中くらい

つまり「中くらいの理解」という感じにも見える。

金・銀・銅なら銀。

完全ではない。

けれど、中くらいの理解でも、神を祀ること自体は良いこと。

そこに「甲斐」がある。

七月十二日に何が起こるのか

七月の十と二日に天晴れ祀りてくれよ。

新暦か旧暦か。

あるいは毎年なのか。

その時になって、「なるほど」と思い返す出来事があるのかも知れない。

しかも、一度限りとは限らない。

ゲマトリア的に見ると

  • 7+1+2=10
  • 1+0=1

神々が一つへ向かう数字にも見える。

分かれていたものが統合される。

そういう象徴の日なのかも知れない。

「富士晴れる」とは何が晴れるのか

いよいよ富士晴れるぞ。

富士=不死

つまり「不死がバレる」。

つまり「不死の意味が明らかになる」。

ミツゲはここに、

  • 復活
  • 永遠の命
  • イエス・キリスト

という流れを感じる。

神国日本の秘密。

人の思いが作った神々。

それらが、最終的に「神」という一つへ集約されていく。

そんなイメージにも見える。

人は “良いこと”を間違える

今の人民よいと思っていること、間違いだらけざぞ。

ここでは「臣民」ではなく、「人民」と書かれている。

国家よりも、人そのものを見ている感じがある。

神を見出さない精神は、必ず行き詰まる。

感謝もない。

お蔭もない。

だから神は、間違いを諭す。

それは挫折の形を取ることもある。

けれど、それは「幸せになるため」の修正でもある。

だから本当は、良いことなのかも知れない。

日本は曇っているのか

ここまでよくも曇りなされたな。

今の日本は、「金」が神になっているようにも見える。

便利・効率・損得

それらが絶対化されるほど、人の心は曇っていく。

まるで、嵐の前の曇り空みたいだ。

二の山、三の山、四の山とは何か

二の山、三の山、四の山に祀りくれよ。

一の山とは、奥山であり、富士(不死)であるイエス・キリストのこと。

そして二の山、三の山、四の山とは、

「釈迦祀れ。キリスト祀れ。マホメット祀れ。」

につながっているように見える。

偉大な預言者たちを崇め、学び、従う。

その先で、人は「一の山」へ導かれる。

つまり真理そのものへ。

それぞれの立場、それぞれの場所で。

真理を求める意思と行動を持つこと。

そして、

「自分の理解している世界は狭いのではないか?」

と思える人ほど、真理へ近づいていくのかも知れない。

神はまだまだいる

まだまだ祀る神様あるぞ。

神々だね。

世界は、神を証するものだらけで出来ている。

そうして、人は「理解したつもり」になる。

その瞬間に、世界は閉じる。

だから神示は言う。

まだまだ先があるぞ、と。

真理を追う旅は、終わらない。

「一つになる」という言葉の本当の意味

この帖は、「宗教を全部混ぜろ」という話ではないように思う。

違いを認めながら、その奥にある共通の源へ向かう。

それぞれの山を越えた先に、一の山が見えてくる。

松の巻17帖は、そんな“統合の時代”を示しているように感じる。

そしてその時、人類は初めて、

「神とは何だったのか」

を知るのかも知れない。

『完訳 日月神示』|解釈の前に、神示そのものを読む

日月神示を考察していると、どうしても「解釈」が先行しやすい。

けれど本当に大切なのは、まず原文そのものに触れることだと思う。

独特な言い回し。
繰り返される象徴。
何度も読むうちに変わっていく印象。

日月神示は、「読む時期」や「読む人の状態」によって見え方が変わる不思議な書でもある。

特に松の巻は、

  • 神とは何か
  • 日本とは何か
  • 人類の精神状態
  • 宗教の統合
  • 富士(不死)の象徴

など、非常に深いテーマが詰め込まれている。

今回の17帖も、一度読んだだけでは意味が掴みにくい。

だからこそ、原文を何度も読み返せる『完訳 日月神示』は手元に置いておきたい一冊だ。

「この言葉はどういう意味だろう?」

そう考えながら読む時間そのものが、日月神示を読む醍醐味なのかも知れない。

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釈迦・キリスト・マホメットと富士山を象徴的に描いた日月神示松の巻17帖のイメージ

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