「宵の明星が東へ廻っていたら、いよいよだぞ。」
この一文は、ただの天文現象の話ではないのかもしれない。
空の異変とは、地球そのものの異変。
そして、その混乱の中で人の心がどちらへ向かうのか――そこに、この帖の本当の警告があるように思える。
日月神示 松の巻 第19帖には、改心、天変地異、悪魔の誘惑、そして再臨を思わせる言葉が並んでいる。
今回はこの帖を、聖書との関連も交えながら読み解いていく。
改心次第で善の霊と入れ換えて、その日からよき方に廻してやるぞ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第11巻 松の巻 第19帖
宵の明星が東へ廻っていたら、いよいよだぞ。
天の異変気つけと、くどう申してあろがな。
道はまっすぐに行けよ。寄り道するではないぞ。わき目ふると悪魔魅入るぞ。
それも我の心からざぞ。
「空の異変」は人類への最後通告なのか
松の巻 第19帖は、前半で「改心」を語り、後半で「天変地異」と「人の欲望」を語っている。
つまりこの帖は、
- 外側の世界の崩壊
- 内側の心の選択
この二つを同時に描いているのだろう。
空が乱れる時代に、人は何を見て、どちらへ向かうのか。
その分岐点について語っているように感じられる。
逐次解説|宵の明星が東に現れる時代
改心によって、人は別の道へ導かれる
改心次第で善の霊と入れ換えて、その日からよき方に廻してやるぞ。
悔い改めて神に向かい合う者の心には、平安がもたらされる。
聖霊を通しての啓示による導きは、単なる知識ではなく、心の深い部分での理解をもたらす。
まだ見ぬ未来を、信仰の目で見通し、その結果を確信する力でもある。
たとえ目の前の状況が絶望的なものであったとしてもだ。
そして、そういう人々が集まることで、新しい流れが生まれていく。
日本のこの先を決めるのは、結局は「どの霊性を選ぶか」なのかもしれない。
宵の明星が東に現れる時、地球はどうなるのか
宵の明星が東へ廻っていたら、いよいよだぞ。
通常、宵の明星である金星は西の空に見える。
それが東に現れるというのは、単なる観測ミスでは済まされない規模の異変だ。
ここで連想されるのが、ポールシフトである。
実態としては、地球のコアはほぼそのままに、外殻側が巨大な力によってズルリと移動し、南北が逆転したような状態になるという説だ。
地球の外殻が流動性のある物質の上に存在しており、理論上はそのような現象も否定はできない。
もし北半球が南半球になれば、空の見え方も変わる。
宵の明星が西ではなく東に見えるだけでなく、本来日本からは見えないはずの南十字星まで見えているかもしれない。
また、地上にいる人間からすると、地球の自転方向そのものが逆になったように感じる可能性もある。

興味深いのは、キトラ古墳に描かれた星図だ。
あれは南天の星座が描かれているともいわれている。
もしそうなら、過去の日本でも現在とは異なる空が見えていた時代があったのではないか。
つまり、過去にもポールシフト級の出来事が存在した可能性がある。
聖書にも太陽や星の異変は繰り返し登場する。
実際には太陽が異常を起こしているのではなく、地球側の異変を地上の人間が見ているだけなのかもしれない。
そして、その引き金になるのは、巨大天体のニアミスのような現象だろう。
「いよいよ」とは、単なる災害ではない。
再臨が間もなく起こる段階に入ったことを示しているようにも読める。
星が落ちるとは、人工衛星の落下なのか
天の異変気つけと、くどう申してあろがな。
人が見るのは空の異変だ。
しかし実際に起きているのは、地球そのものの異変なのかもしれない。
もし地軸や重力環境に大きな変動が起これば、人工衛星の軌道も乱される。
大量の衛星が落下すれば、地上からは無数の流星のように見えるだろう。
すると、聖書にある「星が地に落ちる」という記述とも重なってくる。
しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
新約聖書 日本聖書協会 口語訳 マタイによる福音書24章29節
太陽の見え方も変化し、人類が基準としてきた「時」が狂い始める。
時計は合わなくなり、季節感も崩れる。
急激な暑さや寒さが繰り返され、農作物への影響は避けられない。
それは深刻な食糧問題へ繋がっていくだろう。
古代国家が天体観測に異常なほど力を入れていたのも、単なる占いのためではなく、文明存続に関わる問題だったからなのかもしれない。
人は極限状態で本性を現す
道はまっすぐに行けよ。寄り道するではないぞ。わき目ふると悪魔魅入るぞ。
それでも、人の生きる道は確保されていると神示は語る。
だが、物資を貪る者によって、人々が飢える時代が来る。
人は生きるために、食料を囲い込む者を許さなくなる。
暴動が起こり、権力者は暴力によって鎮圧しようとする。
その混乱から離れ、神に従おうとする人々も現れるだろう。
しかし、その中からも「振り返る者」が出てくる。
それはまるで、ソドムを脱出した後に後ろを振り返ったロトの妻のようだ。
主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。
旧約聖書 日本聖書協会 口語訳 創世記9章24-26節
世俗への未練。
かつての豊かさへの執着。
その「わき見」が、悪魔に魅入られる入口になるのだろう。
地獄を作るのは悪魔だけではない
それも我の心からざぞ。
自分さえよければいい。
その「我」が、地上に阿鼻叫喚の地獄を生み出していく。
悪魔は、人の醜さによって広がる混乱を、美酒のように味わう。
しかも悪魔にとっては、自分を慕う者が苦しむ姿さえ歓びなのだ。
だからこそ神示は、外側の敵より先に「我」を警戒せよと言っているのかもしれない。
「空を見る者」と「欲に飲まれる者」の分岐点
松の巻 第19帖は、単なる終末予言ではない。
空の異変が起きる時代に、人がどちらへ向かうのか。
そこに焦点が置かれている。
欲望と恐怖に飲み込まれるのか。
それとも、まっすぐ道を進むのか。
世界が大きく揺れる時代ほど、人の本質が露わになる。
この帖は、その時に備えて「心の向き」を整えよと語っているように見える。
書籍紹介|原文を読みながら解読すると見えてくるもの
日月神示は断片的な引用だけでは、本来の流れが見えにくい。
前後の帖との繋がりを追いながら読むことで、同じ言葉が別の意味を持って立ち上がってくることがある。
特に松の巻は、「改心」「天変地異」「世の立て替え」が何度も繰り返し語られる巻でもある。
原文全体を通して読むことで、この第19帖の意味もより立体的に感じられるはずだ。


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