【日月神示】松の巻 第21帖|宗教の壁は消えていくのか──「どちらからでも拝めよ」が示す時代

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光る山へ向かう人々と鳥居を描いた幻想的な神域の風景

宗教とは、本来は人を分けるためのものだったのか。
それとも、同じ真理へ向かうための「入口」に過ぎなかったのか。

松の巻 第21帖には、礼拝のあり方や祝詞の変更、そして「一方からしか拝めない宮」への警告が記されています。

そこには、古い宗教観が崩れ、より直接的な“神との関係”へ移っていく未来像のようなものが見える。

今回は、松の巻 第21帖を読み解きながら、
「宗教の形が変わる時代」について考えてみたい。

旧九月八日からの祝詞は、始めにひとふたみ唱え、終わりに百千卍ももちよろずれよ。
神山やま作る時は、どちらからでもおがめるようにしておけよ。
一方から拝むだけの宮はしの宮ぞ。
何もかも変えてしまうと申してあろうが。
神徳しんとくもらえば何ごともわかりて来るのざぞ。
要らんもの灰にするのざぞ。
息乱れん様にせよ。

[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第11巻 松の巻 第21帖

今の時代は、宗教や思想が細かく枝分かれし、それぞれが「自分たちこそ正しい」と主張しているようにも見える。

けれど、この帖は逆に、「道は一つ」と示そうとしているようにも感じる。

その変化は静かに始まり、やがて多くの人の価値観を大きく揺さぶるのかもしれない。

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目次

「どこからでも拝める」という思想

この帖では、礼拝の方向や形式そのものについて触れられている。

それは単なる建築上の話ではなく、
「神へ向かう道を独占するな」という意味にも見えてくる。

宗教が権威化すると、人は神ではなく組織を見始める。
その構造そのものが、変わっていくのかもしれない。

逐次解説|閉ざされた宗教から開かれた信仰へ

祝詞が変わるということ

旧九月八日からの祝詞は、始めにひとふたみ唱え、終わりに百千卍ももちよろずれよ。

祝詞の変更への指示なのだな。

「ひとふたみ」は「ひとふた」で、「ひふみ」となる。

この言い方は頻繁に出てくる。
根源とか最重要などの意味を感じるなあ。

日月神示の別名として「ひふみ神示」とも呼ばれている。

クリスチャンからすると「天父、イエス・キリスト、聖霊」の神会を連想するかも。

百千卍ももちよろず」は神々で卍で神仏ともとれるね。
天使や天使の働きをする人々も指してるかな。

クリスチャンなら神々とは言わないけれど、祈りの中に感謝や願いの中にはそういった存在が含まれていることは意識する人もいるよ。
全て神に収束するからそれを意識しなくてもOK。

この祝詞の変更は、そういった概念に気づかせてくれたとミツゲは感じた。

真理という原則は変わらないんだが、運用は時代や時期によって変更されることは普通にある。だから神の変節とかではない。

「どちらからでも拝める山」が意味するもの

神山やま作る時は、どちらからでもおがめるようにしておけよ。

山自体が神社みたいなもの。
反対に作られた神社を神山やまと呼んでる。

今でこそ神社は宗教法人で教会みたいな扱いになってるけど、

神道は本来は宗教というよりも、神仏を信じる人たちによる結社みたいな存在。

神社での礼拝はそれぞれに信じる対象へ向けたものとなる。

神域のたたずまいに感銘を受けることだって、ひとつの礼拝のかたちとミツゲは思うよ。

本当は「道は一つ、真理は一つ」だよと示しているようなもの。

閉ざされた宮への警告

一方から拝むだけの宮はしの宮ぞ。

神聖な場所(聖域)に誰でも立ち入れるというわけにはいかないにしても、

定められた場所での礼拝は誰でもできる。

排他的なのは神の望むかたちではないのだろう。

「何もかも変える」とは何か

何もかも変えてしまうと申してあろうが。

宗教の壁を取り去ると宣言しているように聞こえる。

真理が明らかになり神の定義がはっきり定まるならそういうことも起こり得る。

神の真意にかなわないなら淘汰されていくのだろう。

個人の啓示が時代を越える

神徳しんとくもらえば何ごともわかりて来るのざぞ。

個人の啓示は時代や順序を飛び越える。

自分の内では新たな時代と新たな認識によって生きることが可能になる。

灰になるもの、残るもの

要らんもの灰にするのざぞ。

次の時代に残れないところも出てくるだろう。

真理に根差さないところは、誰も相手にしなくなっていく。

害のあるところは潰されることもあるだろう。

淘汰と再構成によって収束していく。

次の時代に残っていく宗教・宗派は個人の啓示を認めるだけでなく、積極的に得ることを勧めるところとなるだろう。

信じるだけの宗教はいらなくなる。

偽善売教は存在できなくなる。

息を乱さないために

息乱れん様にせよ。

これらの動きが現実になってくると、見えない人にとっては混乱の極みとなるだろう。

信じてなくても、この神示があることを記憶の片隅にでも入れておくなら、事が起きた時に見えてくるものもあるだろう。

「道は一つ」と見え始める時代

宗教は違っても、人が求めているものは案外同じなのかもしれない。

真理、救い、愛、秩序、永遠──。
言葉や形式は違っても、その奥にあるものは重なっていく。

松の巻 第21帖は、
「閉じた宗教」から「開かれた信仰」への移行を示しているようにも見える。

その時代では、権威ではなく、
一人ひとりがどれだけ真理を求めるかが問われるのだろう。

原典を通して読む「日月神示」の全体像

日月神示は、断片だけを切り抜くよりも、全体の流れの中で読むことで見えてくるものがある。

特に松の巻は、宗教・社会・人間意識の変化について、非常に象徴的な表現が多い。

原文を自分の目で読みながら考えたい人には、原典をまとめた書籍がおすすめ。

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