人は「努力すれば実る」と考える。
だが日月神示は、それだけでは食は成り立たないと言う。
畑を耕し、山を切り拓き、知識を積み上げても――
そこに「命を養う力」への畏れがなければ、世界は痩せていく。
今回の松の巻 第28帖は、
“食”と“土地”と“神”の関係を語る帖でもある。
そして現代人が忘れた「祀る」という感覚を鋭く突いてくる。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第11巻 松の巻 第28帖
ウケ(保食(うけもち)?)の神祀らずに、いくら野山拓いたとて、物作ることは出来ないぞ。
煎り豆花咲く目出度い時となっているに何して御座るのぞ。
いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても、食べ物三分難しいぞ。
神々祀れと申してあろが、野拓く時は野の神まつれ。(物作る時は保食の神まつれ。)
産土の神様にもお願いしてお取り次ぎ願わな何事も成就せんぞ。
人民の学や智ばかりで何が出来たか。
早よ改心第一ぞ。
山も川も野も人民も、草も木も動物虫けらも、何もかもこの方の徳であるぞ。
それぞれの御役あるのざぞ。
学や智捨てて天に向かえ、地に向かえ、草に向かえ、生き物に向かえ、木に向かえ。
石もの言うぞ。草もの言うぞ。
食は「技術」だけでは生まれない
現代文明は、食料生産をほぼ技術問題として扱う。
肥料、農薬、機械化、遺伝子操作。
確かにそれらは強力だ。
しかし日月神示は、その根底にある“命を養う力”を忘れるなと警告する。
人間は「作っている」と思っている。
だが本当は、生かされ、育てられ、与えられている側なのかもしれない。
逐次解説|食と土地に宿る霊的秩序
保食神とは何か
ウケ(保食(うけもち)?)の神祀らずに、いくら野山拓いたとて、物作ることは出来ないぞ。
保食神(うけもちのかみ)とは“食べ物を生み出す神”として知られる。
保食は「受け持つ」「食を持つ」「食物を司る」といった意味に解釈される。
“食を保つ神” “生命を養う神”という意味合いのあることば。
神々の一人であり、クリスチャンとしては食のパートを受け持つ天使という解釈になる。
根源にある神権の鍵は大神のものであり神の子であるイエス・キリストに委ねられている。その鍵を天使も役割の範囲で使うというわけ。
「神を祀る」とは中心に神をおいて願う・望むということ。
そこを意識せず野山を開いて作物を作ろうとしても神の加護を期待できないよと告げている。
煎り豆に花が咲くという奇跡
煎り豆花咲く目出度い時となっているに何して御座るのぞ。
煎り豆に芽が出て花まで咲くのはめでたいを超えて奇跡だ。
旧約聖書を知っているならアロンの杖の奇跡を思い起こすだろう。
あめんどう(アーモンド)の枝に花が咲くあれだ。
その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。
旧約聖書 日本聖書協会 口語訳 民数記17章8節
エホバの起こした奇跡であり、生物に命を与えるイエス・キリストの奇跡を思い起こす。
神国日本の神が明らかになっていながら何をしている。
まっとうで筋が通った願いなら叶える力をお持ちの神なのだ。
人の努力だけでは三分まで
いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても、食べ物三分難しいぞ。
人の力でがんばっても神の加護がなければうまくいかない。
とはいえ、不信仰であっても三分まではできるというのはすごい。
菜園をやっていて、経験上どんなに不作でもそれくらいは出来ている感じはある。
土地には土地の神がいる
神々祀れと申してあろが、野拓く時は野の神まつれ。(物作る時は保食の神まつれ。)
モルモン書にも「神に叫び求めよ」という預言者の勧告がある。
まことに、神に憐れみを叫び求めなさい。なぜなら、神は人を救う力を備えておられるからである。
まことに、へりくだって、神に祈り続けなさい。
牧場にいるときには、まことに、すべての家畜の群れについて神に叫び求めなさい。
家にいるときには、まことに、あなたがたの家のすべての者について、朝も昼も晩も神に叫び求めなさい。
まことに、敵の力を防ぐことができるように、神に叫び求めなさい。
まことに、あらゆる義の敵である悪魔を防ぐことができるように、神に叫び求めなさい。
あなたがたの畑の収穫が豊かであるように、作物について神に叫び求めなさい。
あなたがたの牧場の家畜が増えるように、家畜の群れについて叫び求めなさい。
しかし、これだけではない。あなたがたは自分の部屋でも、人目に触れない場所でも、荒れ野でも、あなたがたの心を注ぎ出さなければならない。
また、声に出して主に叫び求めないときでも、あなたがたの幸いと、あなたがたの周りの人々の幸いを気遣う気持ちを心に満たし、それが絶えず主への祈りになるようにしなさい。
末日聖徒イエス・キリスト教会 モルモン書 アルマ書34章18-27節
畑に対して。
家畜に対して。
収穫に対して。
ただ作業するのではなく、神に向かって願う。
日月神示は、その感覚を思い出せと言っているようにも見える。
産土神とは何か
産土の神様にもお願いしてお取り次ぎ願わな何事も成就せんぞ。
「産土(うぶすな)」とは、本来は「自分が生まれた土地の霊的な基盤」
言葉を分けるとかなり象徴的。
- 産(うぶ)=生まれる
- 土(すな/つち)=大地・土地
つまり、命を産み出す土地という意味になる。
産土神(うぶすなのかみ)とは土地の神々ということになるね。
その大元の力がどこからか来ているのかを知り意識することが大切。
学や智だけで何が出来たか
人民の学や智ばかりで何が出来たか。
迷信と思うなかれ。
改心第一とは何か
早よ改心第一ぞ。
不信心を恥じ心を改め神を祀れ。
草にも虫にも役目がある
山も川も野も人民も、草も木も動物虫けらも、何もかもこの方の徳であるぞ。
それぞれの御役あるのざぞ。
土地のいろいろ、草や木、動物、虫にも役割がある。
畑には肉食の虫やへびがいて害虫を減らしている。
これらを生かす工夫と神への信頼によって作物はできている。
学問を捨てろという意味ではない
学や智捨てて天に向かえ、地に向かえ、草に向かえ、生き物に向かえ、木に向かえ。
聖典には、神を信じるなら学問のあることも良いことであるという指摘がある。
最良の書物から知恵を求めなさい。すなわち、研究によって、また信仰によって学びを求めなさい。
末日聖徒イエス・キリスト教会 教義と聖約88章118節
つまり問題は知識そのものではなく、「神を抜いた知性」なのだろう。
石も草も語っている
石もの言うぞ。草もの言うぞ。
石や草菜などの万物も神の命令によって黙っているだけで、実は霊をもつ生き物である。
万物が実はそう。
またそれらを指揮する神々もいる。
だから許される状況なら会話も可能。
記憶もでき、しかもcloudで神のサーバに情報は集積されていく。
あなたの肉体の物質のひとつひとつも別の生き物でもある。
この世は神の監視カメラだらけ。
これらが最後の裁きの時の証人であり証拠でもある。
この世は神の超監視下にあることを知りたまえ。
忘れた瞬間から世界は痩せていく
人類は、技術だけで生きられると思い始めた。
だが日月神示は、
「命を与える側への畏れ」を失えば、文明は痩せると言う。
食も、土地も、水も、虫も、草も――全部つながっている。
そしてその背後には、神々の秩序がある。
松の巻 第28帖は、“食糧問題”の話でありながら、実は「人間は何を中心に生きるべきか」を問う帖なのかもしれない。
書籍紹介|原文を読むと空気が変わる
日月神示は、断片だけを見るのと、原文全体を流れで読むのとでは印象がかなり違う。
特に松の巻は、
- 食
- 土地
- 改心
- 神々との関係
が繰り返し語られており、全体を通して読むと一本の思想として見えてくる。
原文をまとめて読みたいなら、やはり『完訳 日月神示』系統は手元に置いておきたい一冊。


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