『日月神示』上つ巻は、「終り、岩戸開きの御用は下つ巻で申すぞ。次の世のことも知らして置かねばならん」と告げて終わった。
そして、いよいよ下つ巻が始まる。
その最初に掲げられた言葉が、あまりにも有名な「富士は晴れたり日本晴れ」である。
上つ巻で繰り返し語られてきた「富士」には、単なる富士山だけではない意味が隠されているとミツゲは考えてきた。
そして第1帖では、青垣山をめぐる岩根に神を祀ったことが告げられ、その働きを神’自身が「御苦労ぞ」と労っている。
まず原文の冒頭を見てみよう。
富士は晴れたり日本晴れ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第2巻 下つ巻 第1帖の一部
青垣山めぐれる下つ岩根に祀りくれた、御苦労ぞ、
いよいよも嬉しいぞ。
ここには、「富士」と「日本晴れ」、そして人知れず行われたと思われる「祀り」が記されている。
これは単なる祭祀の記録なのだろうか。
それとも、後の神の仕組を動かすため、あらかじめ何かが地上に仕掛けられたことを意味しているのだろうか。
下つ巻は「富士は晴れたり日本晴れ」から始まる
上つ巻では、世界の立て替え・立て直し、岩戸開き、富士、鳴戸、身魂磨きなど、さまざまな仕組が断片的に語られてきた。
そして下つ巻の冒頭では、突然、
富士は晴れたり日本晴れ。
と宣言される。
これは、これまで隠されていたものが明らかになることを予告しているように読める。
さらにその直後には、「青垣山めぐれる下つ岩根」に神を祀ったことへの労いが続く。
つまり下つ巻の始まりには、「明らかになること」と「人知れず行われた神事」が並べられているのである。
逐次解読|「富士」と岩根に祀られた神の仕掛け
「富士は晴れたり日本晴れ」が意味するもの
富士は晴れたり日本晴れ。
以前にも「富士(不死)はバレたり、日本バレ」と解いた。
富士山のもつ隠された意味が明らかとなり、不死とは神の名でイエス・キリストのこととなる。
つまり「富士は晴れたり」とは、単に富士山を覆っていた雲が晴れるという情景だけではない。
「富士」に隠されていた意味そのものが明らかになる、という預言として読むことができる。
そして、それに続くのが「日本晴れ」である。
神国の神とは誰か?
神国日本のもつ意味とは何か?
それらが明らかとなる預言である。
上つ巻では「富士」が繰り返し重要な言葉として登場してきた。
その富士が「晴れる」時、日本について隠されていたものもまた「晴れる」。
「富士は晴れたり日本晴れ」とは、神国日本に隠されてきた神の正体と、その役割が明らかになることを示しているのではないだろうか。
青垣山の岩根に祀られたものは「神の仕掛け」なのか
青垣山めぐれる下つ岩根に祀りくれた、御苦労ぞ、
場所は特定されていないが、目立たず神事を行い、神を祀ったと推測する。
当時、榛名方面で何かを行ったという記録が残っているそうだ。
では、なぜ神’は人に命じて、特定の場所に何かを祀らせるのだろうか。
ここからは、ミツゲ独自の世界観による解読となる。
実はこの世界は存在していないとミツゲは考えている。
これを「色即是空システム」と名付けた。
感じとしては、PostScriptという言語のようなものを想像してほしい。
たとえばコンピューター上で見えている図形も、根源をたどれば、それを描き出すための命令やデータによって構成されている。
同じように、この世界も緻密な言葉、いわば「コード」によって霊的に創造され、我々はその言葉を自分の中で解釈することで、世界が存在しているかのように認識しているのではないか。
それが「言霊」である。
そして、言葉は書き加えられ、書き換えられることで世界を変化させていく。
祈りや祝詞、踊り、思考、ルーン、魔法陣、祠、石碑など、その方法はさまざまであり、あらゆる方法でそれは行える。
そして神’が命じられる場合、その言葉は最優先で世界に書き込まれることになる。
それが結界や「仕掛け」となり、後に神の仕組を動かすための布石となるのではないだろうか。
クリスチャン的に言えば、その場所や物が「聖別」されるのである。
もちろん、神’が直接行う方が簡単である。
それでも神’は意味あって人に命じ、わざわざ人の手によって行わせる。
なぜなのか。
一つには、人によって行われ、そのことが記録に残ることに意味があるのではないだろうか。
後になってその「仕掛け」が機能した時、過去の記録と照合することができる。
すると、それが偶然ではなく、あらかじめ神’によって用意されていたものであることが証明される。
つまり、神’が動かれたことの「証」となるのである。
「祀る」とは、小さな祠を設けることだったのかもしれない。
あるいは、そこで何らかの神事を行ったという意味かもしれない。
しかし重要なのは、その場所や形は人間が勝手に決めるのではなく、神によって指定されるということである。
実際には、日月神示に残された文章よりも、もっと詳細な指示が当事者たちに与えられていたと思われる。
「青垣山めぐれる下つ岩根に祀りくれた」という短い一文は、そのような神の仕組の一端を記録したものなのかもしれない。
「神’も嬉しいぞ」は成し遂げた者への労い
いよいよ
も嬉しいぞ。
「御苦労ぞ」に続いて語られるのが、この言葉である。
それが成し遂げられ、備えが完了し、神’は了としたのである。
「いよいよ神’も嬉しいぞ」という言葉からは、単に神を祀ったことを喜んでいる以上のものを感じる。
必要な場所に、必要なものが置かれた。
必要な神事が行われた。
そして、後に働くことになる仕掛けの準備が整った。
そのために働いた者たちに対して、
「御苦労ぞ」
そして、
「いよいよ神’も嬉しいぞ」
と告げているのである。
この言葉は、成し遂げた者への神’からの労いなのだ。
人知れず置かれたものが後に神の証となる
下つ巻第1帖の冒頭は、「富士は晴れたり日本晴れ」という印象的な言葉から始まった。
富士に隠された意味が明らかとなり、神国日本に隠されていたものもまた明らかになっていく。
その一方で、青垣山をめぐる岩根には、人知れず何かが祀られていた。
それは小さな祠だったのか、何らかの神事だったのか、現在の文章だけから特定することはできない。
しかし、それが神’の指示によって行われたのであれば、単なる祭祀ではなく、後に働くための「仕掛け」であった可能性がある。
そして、それを人に行わせ、記録として残す。
後に仕掛けが動いた時、初めてその意味が明らかになる。
「富士は晴れたり日本晴れ」。
隠されていたものが晴れる時、過去に人知れず置かれた神の布石もまた、その意味を現すことになるのかもしれない。
書籍紹介|『日月神示』を原文から読み解くために
『日月神示』を深く読み解くには、一つ一つの言葉だけでなく、前後の帖や巻を通して繰り返される言葉を追っていくことが重要である。
「富士」「岩戸」「神国」「身魂」「立て替え・立て直し」といった言葉も、一つの帖だけでは意味を捉えきれない。
原文をまとめて確認できる書籍を手元に置いておけば、気になる言葉が別の帖でどのように使われているかを比較しながら読むことができる。
日月神示を自分自身で読み、その意味を考えてみたい人には、原文をまとめた書籍を一冊手元に置いておくことをおすすめする。


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