「富士は晴れたり日本晴れ。」
下つ巻第一帖では、この言葉が再び繰り返される。
しかし、ここで語られている「晴れ」は、単純に世の中が平和になり、すべてがめでたく収まるという意味ではなさそうである。
「山晴れ、地晴れ、海晴れて、初めて天晴れるぞ。」
そして天が晴れたとき、神’の働きはいよいよ烈しくなり、臣民には何が起こっているのかわからなくなるという。
それでも神示は、「早う神心になりて下されよ」と呼びかけている。
これは恐ろしい預言であると同時に、まだ間に合うという希望の言葉でもあるのではないだろうか。
富士は晴れたり日本晴れ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第2巻 下つ巻 第1帖の一部
いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいてくれよ。急けるぞ、
山晴れ、地晴れ、海晴れて、初めて天晴れるぞ。
天晴れての働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよわからなくなるから、
早う神心になりて下されよ。
次々に書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。
上つ巻で繰り返されてきた「洗濯」「改心」「立て直し」の先に何があるのか。
下つ巻は、いよいよ「次の仕組」へと話を進めようとしているように見える。
「次の仕組」が始まる前に
上つ巻では、これでもかというほど激しい預言が語られてきた。
それだけを読めば、世界の立て直しそのものが神示の終着点のようにも思える。
ところが下つ巻第一帖では、「いよいよ次の仕組にかかる」と告げられるのである。
つまり、立て直しは終わりではない。
その先に、さらに神’の仕組が用意されているということなのだろう。
ただし、そこへ至る過程は決して穏やかなものではなさそうである。
逐次解読|「天晴れ」のあと神’の働きはさらに烈しくなる
「富士は晴れたり日本晴れ」が再び繰り返される
富士は晴れたり日本晴れ。
またこの言葉が繰り返される。
この解読記事を読んでいる読者は、くどいと思うかもしれない。
しかし、それほど驚天動地の真実が明かされるという預言なのだとミツゲは考えている。
ミツゲには、ある程度の見当はついている。
けれども、実際に事が起こり、いきなり真相が明かされたとしても、それが「救い」とどう関連してくるのか、すぐにはわからないと思う。
クリスチャンであり、イエス・キリストを知っている人でさえ戸惑う事態になるのではないだろうか。
今は読み飛ばしている人も、もし現実になったときには、この言葉を思い返してほしい。
その時では遅いのかもしれないのだが……。
上つ巻の先に「次の仕組」がある
いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいてくれよ。
上つ巻では、あれだけ凄まじい預言が続いていた。
それなのに「次」がある。
これは希望でもある。
ただし、それは淘汰のあとではないかとミツゲは考えている。
だから「富士は晴れたり日本晴れ。」という言葉の意味に重さを感じない人は、むしろ読み飛ばしたほうが、事が起こるまでは幸せに暮らせるのかもしれない。
心に何かを感じる人だけ、読み進めることをおすすめする。
「神’急けるぞ」は淘汰へ進む合図なのか
急けるぞ、
「急ぐ」というのは、もはや洗濯ではなく、淘汰に進んでいる段階をいうのではないだろうか。
実はミツゲは、日月神示を基本的に初見で解いている。
そのため、神示がこれからどう記されているのかは、現時点では推測しているところである。
ただ、洗濯のあとの段階だとすれば、ここではすでに改心が済んでいないと、かなりまずい段階に入っていると思う。
山・地・海が晴れて初めて天が晴れる
山晴れ、地晴れ、海晴れて、初めて天晴れるぞ。
山が晴れ、地が晴れ、海が晴れる。
そして初めて天が晴れる。
ここまで「晴れ晴れ」とするには、臣民そのものが生まれ変わり、神国と呼べる状態になっているのだろう。
しかし現状を見ていると、そこへ至るまでには、ますますヤバい段階が待っているとしか思えないのだが……。
天が晴れてから神’の働きはさらに烈しくなる
天晴れて
の働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよわからなくなるから、
ここは非常に重い。
神’が「殺戮の天使」を動かすような事態になれば、それが神業なのか、悪魔の仕業なのか、人には見分けがつかなくなるのではないだろうか。
旧約聖書のヨブ記では、苦難の極みに置かれたヨブに対して、妻が「神を呪って死になさい」と言う場面がある。
そのような段階なのだろうか。
それほどの状況になっているにもかかわらず、「天は晴れている」のである。
人間から見れば悲惨でも、神’の側から見れば仕組が成就へ向かっている。
そう考えるならば、これはかなり容赦のない段階に入っていることになる。
「早う神心になれ」に残された最後の希望
早う神心になりて下されよ。
それでも最後の最後に、希望を伝えている。
「神心になりて下されよ。」
これは、これを読んでいる「今」には、まだ猶予があるということではないだろうか。
事が起こってからではなく、今のうちに神心になる。
今のうちだからね。
「よく心に留めよ」――下つ巻は何を明かすのか
次々に書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。
さて、下つ巻がこのあとどうなっていくのか。
ミツゲはワクワクしている。
だってねぇ、天国には行きたいけれど、地上の地獄がどうなるのかにも興味があるんだもの。
そして、預言がどのようにその通りになっていくのか。
そこにも興味津々なのである。
そんなミツゲなのだ。
「天晴れ」は終わりではなく始まりなのか
今回の箇所で特に印象的なのは、「天晴れ」がすべての終わりとして描かれていないことである。
山が晴れ、地が晴れ、海が晴れ、そして天が晴れる。
ところが、そのあとに神’の働きが「いよいよ烈しく」なるという。
だとすれば「日本晴れ」とは、単なる平和の到来ではなく、神’の仕組が本格的に働き始めるための状態が整うことを意味しているのかもしれない。
そして、その時になって何が神’の業なのかわからなくならないために、今のうちから「神心」になることが求められている。
下つ巻第一帖は、終末の恐怖だけを告げているのではない。
「まだ間に合う今をどう生きるのか。」
そこを問いかけているように、ミツゲには思えるのである。
書籍紹介|日月神示の原文を手元で読みたい人へ
日月神示をじっくり読み解いていくなら、解説だけでなく原文そのものを手元に置いておくことをおすすめする。
日月神示は、一つの帖だけを読んでも意味をつかみにくいところが多い。
同じ言葉や象徴が別の帖で繰り返され、それらをつなげることで初めて見えてくるものがあるからである。
この連載を読みながら、「前にも同じ言葉があったな」と感じたとき、すぐ原文へ戻れる一冊があると便利だ。


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