「いよいよ世の終わりが来た」と日月神示は告げる。
しかし、その直後に続く言葉は「神代近づいて嬉しいぞよ」である。
世の終わりとは、すべてが失われる終末なのだろうか。それとも、古い時代が終わり、神の統治する新しい時代へ移る境目なのだろうか。
そして、その変化の中で人々はただ待っているのではない。「わかりた臣民から御用つくりてくれよ」と、自分から御用を見つけることが求められている。
いよいよ世の終わりが来たから役員気つけてくれよ。
神代近づいて嬉しいぞよ。
日本は別として、世界七つに分けるぞ。
今にわかりて来るから、静かに神の申すこと聞いておりて下されよ。
この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、
わかりた臣民から御用つくりてくれよ、
御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめてくれよ。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第2巻 下つ巻 第13帖の一部
ここには「世の終わり」から「神代」へと移っていく大きな転換と、その中で一人ひとりに与えられる御用が語られている。
重要なのは、完成した絵図を最初からすべて理解することではないのだろう。
「今にわかりて来る」とある。
ならば必要なのは、静かに神’の声を聞きながら、自分に示された御用を一つずつ進めることなのではないだろうか。
「世の終わり」は、何の終わりなのか?
「世の終わり」という言葉だけを見れば、破滅的な終末を思い浮かべる。
しかし日月神示では、そのすぐ後に「神代近づいて嬉しいぞよ」と続く。
終わるものと、始まるものがあるのだ。
イエス・キリストの再臨と福千年というキリスト教の終末観を重ねて考えるなら、ここでいう「世の終わり」は単なる滅亡ではなく、古い世界から新しい統治への移行として読むこともできる。
そして、その移行期だからこそ「役員気つけてくれよ」と呼びかけられているのではないだろうか。
逐次解説|世の終わりから神代へ、それぞれの御用が始まる
世の終わりに「役員」は何を見分けるのか
いよいよ世の終わりが来たから役員気つけてくれよ。
イエス・キリストの再臨によって福千年が完成する。
それで世は一旦終わり、新たな時代を迎える。
聖典にある預言がその通りになっていく。
それはミツゲの記事への採点でもある。
役員という呼び名も日月神示関連の人だけではなく、真のイエス・キリストの教会の役員にも向いていると感じている。
また、仏教など他の宗教からも岩戸を開く人々が現れてくるはずだ。
すべての宗教に属する人々が、それぞれの場所を通して試されている。
その実によって見分けられるのである。
末日聖徒イエス・キリスト教会の始まりは、宗教上の騒ぎの中で真理を求めていた少年の迷いが発端となり、神に祈ったことで「示現」というかたちで啓示をもたらした。
キリスト教が「回復」というかたちで、新たな時代を迎えたのである。
この物語は世界中で起こり得る。
無神論者のうえにも、「これでいいのか?」と自分に問いかける機会が訪れるだろう。
それはまず、この国で起こるとミツゲは考えている。
自分の存在意味を根底から問い直すしかない事件が起こる。
しかし神’に呼ばれていない者には、何が起こっているのかわからないだろう。
そうして選別が始まる。
「神代近づいて嬉しい」と言える日は来るのか
神代近づいて嬉しいぞよ。
多くの人が神を呪うほどの危機。
それが神代近づくときの、重要な徴となる。
知っている者はその危機の中で「もうすぐ」という喜びがあるだろう。
1日に10万人が死んでいくような状況で、ほくそ笑むのは不謹慎だろうか。
選ばれた者であっても、この死んでいく10万人の中にいるだろう。
飢餓の状態でなお喜びを抱え、ニヤつきながら死んでいく。
それは傍から見れば異様かもしれない。
しかし、死が終わりではなく、その先に神’の約束した世界があると本当に知っているなら、なかなかいい人生の終わりだとも思うのだが、どうだろう?
喜んでいるのは人の死ではない。
その向こうに近づいている神代なのである。
なぜ「日本は別として、世界七つ」なのか
日本は別として、世界七つに分けるぞ。
福千年の完成と同時に、日本の国土は消滅するとミツゲは予測する。
だから「日本は別」なのだ。
イエス・キリストの統治は、大きく二つに分かれると考えている。
聖約の民と、異邦人の民のグループだ。
その中枢は、聖地エルサレムとアメリカに置かれる新エルサレムとなる。
そして、それまで信じていた宗教に応じて区分けがなされるだろう。
また、民族によっても分かれるのかもしれない。
神’はそれぞれのグループでの呼び名となる。
それが七つの区分となるのではないだろうか。
それでも、自分が信じていた神が実はイエス・キリストのことだったと、皆が理解している。
呼び名は違っていた。
しかし、見ていたものの根は一つだった。
そんな世界なのかもしれない。
神’の絵図は、仕上がってから見えてくる
今にわかりて来るから、静かに神の申すこと聞いておりて下されよ。
神’がどんな絵図を描いているかは、仕上がるにつれて全貌が見えてくる。
働き人は前もって自分の区分の絵図面を見て、自分の働き場所を見つけることになる。
啓示という常時接続のリモートデバイスでだ。
今のうちに、自分の中につくっておくことをお勧めする。
外から指示が来なければ動けないのでは遅い。
静かに神’の申すことを聞くとは、自分の内側に神’との通信経路をつくっておくことでもあるのだろう。
時代のジェットコースターは、まだ頂点へ向かっている
この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、
今のところ御業はゆっくり過ぎて、不安になるかもしれない。
しかし、ちゃんと進んでいる。
それが見えてくると安心感が半端ない。
まだ時代のジェットコースターは、ゴトゴトとワイヤーで上まで引っ張られている感じだ。
頂点に近づくほど、よりゆっくりになる。
今がそんな感じなのかもしれない。
ワイヤーが外れたら急降下の阿鼻叫喚?
しかし、その中でも心に平安を保つことはできる。
だから岩戸開きは大事なのだ。
外側の世界が激しく動いてから心を整えようとしても、間に合わないかもしれない。
「御用つくれ」――待つのではなく、自分で見つける
わかりた臣民から御用つくりてくれよ、
「御用つくれ」とさ。
御用は誰かから命令されるのを待つものではない。
自分で見つけて、自分で進めるんだよ。
それぞれが神’から示された場所で動いている。
バラバラなのに、なぜか統率がとれている。
そんな不思議な神’のチームだ。
人間が中央からすべてを管理する組織ではなく、一人ひとりが神’につながることで、結果として全体が一つの方向へ動いていく。
これも神’の組織の姿なのだろう。
誰にでも御用があるなら、人生に「暇」はない
御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめてくれよ。
暇になるというのはなさそうだ。
「どんな臣民にでも、それぞれの御用ある」とある。
特別な立場の人だけではない。
有名である必要もない。
大きな仕事である必要もない。
自分に与えられた御用を果たせばいい。
そして、途中で死んでも続きがある。
終わりじゃない。
続きをつくるために神’に従って働くんだ。
そして人は神々となる。
御用とは、何かを成し遂げるためだけにあるのではないのかもしれない。
御用そのものが、人を次の存在へとつくり変えていく道でもあるのだ。
世の終わりを恐れるより、自分の御用をつくればいい
今回の一節は「世の終わり」という強烈な言葉から始まる。
しかし最後は、「心配なくつとめてくれよ」で終わっている。
終末を恐れて逃げ回れとは書かれていない。
神’の計画をすべて理解してから動けとも書かれていない。
「今にわかりて来る」。
そして「わかりた臣民から御用つくりてくれよ」。
わかったところから動けばいいのだ。
世界全体の絵図がまだ見えなくても、自分の御用は見えてくるかもしれない。
一人ひとりが神’につながり、それぞれの場所で動き始める。
バラバラに見えて、なぜか一つの方向へ進んでいく。
世の終わりとは、その神’の組織が姿を現し始める時でもあるのかもしれない。
書籍紹介|『完訳 日月神示』で原文全体を読む
日月神示は、一つの帖だけを切り取って読むよりも、前後の帖や他の巻と照らし合わせることで、繰り返し現れる言葉や思想のつながりが見えやすくなる。
このブログでは一節ずつ取り上げてミツゲなりの解読を加えているが、記事の解釈だけでなく、ぜひ原文そのものにも触れてほしい。
原文をまとめて手元に置いておけば、気になった言葉が別の帖でどのように使われているのかを追うこともできる。


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