私たちは毎日、ほとんど意識することなく言葉を使っている。
人を励ます言葉もあれば、人を傷つける言葉もある。神’を讃える言葉もあれば、神’を呪うような言葉さえある。
しかし、もし言葉そのものが霊的な力を持っているとしたらどうだろう。
日月神示は、言葉とは単なる意思伝達の道具ではなく、そもそも「善き事」のために神’から与えられたものだと説いている。
そして日本には古くから「言霊」という考え方がある。
言葉によって人を高めるのか。それとも傷つけるのか。
その選択は相手だけではなく、言葉を発した自分自身の霊にも影響しているのかもしれない。
の民の言葉は
讃えるものと思え、てんし様讃えるものと思え、
人褒めるものと思え、それで言霊幸わうぞ、
それが臣民の言葉ぞ。
悪き言葉は言ってはならんぞ。
言葉は善き事のために神が与えているのざから忘れんようにな。
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第2巻 下つ巻 第5帖の一部
ここでは「臣民の言葉」とは何かが、非常にはっきりと示されている。
神’を讃え、人を褒め、善きことのために言葉を使う。
それによって「言霊幸わう」というのである。
つまり問われているのは、単なる言葉遣いの美しさではない。
どのような心から、どのような言葉を世に送り出しているのか。
そこに、その人の霊的なあり方が現れてくるのだろう。
言葉は霊を映し、霊をつくる
日月神示がここで説いているのは、単純な「悪口を言ってはいけない」という道徳論だけではないように思う。
言葉には、人の思いを外の世界へ送り出す働きがある。
そして、その言葉は相手に影響を与えるだけでなく、それを語った本人にも作用する。
神’を讃える言葉。
人を高める言葉。
祈りの言葉。
感謝の言葉。
こうした言葉を使い続けることで、その人自身の思いもまた、その言葉にふさわしいものへと整えられていくのではないか。
反対に、人を貶め、呪い、傷つける言葉を使い続ければ、その言葉を最も近くで聞き続けるのは自分自身である。
だからこそ、言葉は霊を映すだけでなく、霊をつくっていくものでもあるのだろう。
逐次解説|「言霊幸わう」とは何を意味するのか
神’の民の言葉とは神’を讃える言葉
の民の言葉は
讃えるものと思え、てんし様讃えるものと思え、
神国の民の言葉とは、神’を賛美する言葉である。
そして「てんし様」とは何を意味するのだろうか。
天子、天使……イエス・キリスト、使徒など、神々となった人たちのことを指している可能性も考えられる。
日本語は確かに、霊的なことを表現するために編まれた言葉なのではないかと感じることがある。
聖典の繊細な表現に合わせるための語彙が、これほど豊富な言語はあまりないのではないか。
同じような意味であっても、その状態や心情、霊的なニュアンスによってさまざまな言葉を選ぶことができる。
だからこそ、日月神示もまた優れた表現になっていくのだろう。
人を高める言葉によって「言霊幸わう」
人褒めるものと思え、それで言霊幸わうぞ、
人を貶めるのではなく、高める言葉を使うように勧めている。
言霊(ことたま)とは、言葉が現実に働きかけ、物事を実現へ向かわせる力を持つという考え方である。
日本語の中には、そういった働きを持つ言葉が豊富に含まれているとも考えられる。そういうふうに創られているということなのかもしれない。
たとえるなら、魔法のルーンのような働きをする可能性を持つということだ。
奇跡を起こす祈りを表現できるということでもある。
反対に、この言葉で人や神’を呪うなら、それは自分に返ってくるということでもあるのだろう。
軽い気持ちで発した言葉であっても、霊は深く傷つくことがある。
しかも、その報いは忘れた頃にやってくるから始末に悪い。
だって、自分が何について悔い改めればよいのかさえ分からなくなってしまうではないか。
だからこそ、日々発する言葉を軽く考えてはいけないのだろう。
臣民の徴は言葉を選ぶ心に現れる
それが臣民の言葉ぞ。
臣民の徴は、霊的に高める言葉を使うところにある。
ただし、これは表面的に丁寧な言葉遣いをすればよいという意味ではないだろう。
大切なのは、そのような言葉を選ぶ心にある。
人を高めようとする心があれば、高める言葉が出てくる。
人を傷つけようとする心があれば、どれほど表面的に丁寧であっても、その思いは言葉の端々に現れる。
思いの清さが、言葉選びに出てくるのである。
悪き言葉は自分自身の霊を傷つける
悪き言葉は言ってはならんぞ。
悪き言葉が傷つけるのは、相手だけではない。
なにより、あなた自身の霊を傷つける。
悪き言葉を使い続ければ、あなたの思いを暗くし、心の奥に暗幕を引くようにして、霊的な感覚を鈍くしていく。
本来持っている崇高な精神を、少しずつ暗雲で覆い隠していくのである。
言葉は口から出た瞬間に消えてしまうように見える。
しかし霊的には、その言葉を発した本人の中にも何かを残しているのではないだろうか。
だから「悪き言葉は言ってはならん」という教えは、他人を傷つけないためだけの戒めではない。
自分自身の霊を守るための戒めでもあるのだろう。
言葉は善き事のために神’から与えられた
言葉は善き事のために神が与えているのざから忘れんようにな。
現世において言葉で表現するということは、霊的なものを構築する練習として与えられているものなのかもしれない。
たとえるなら、子ども用のプログラミング言語のようなものだ。
私たちは言葉という比較的扱いやすい道具を使いながら、自分の思いを形にすることを学んでいる。
そして、どうやら悪しき表現は、自分の頭の上に返ってくるような仕様になっているらしい。
反対に、善きことのために言葉を使うなら、そのたびに光を蓄え、霊を育て、太らせていく。
神’を讃える。
人を褒める。
励ます。
慰める。
祈る。
感謝する。
せっかく神’から言葉というものを与えられているのなら、善きことのために使ったほうがいい。
神’の用意した「霊のポイントサービス」を有効に使おう。
善き言葉を選ぶことから霊は育っていく
今回の箇所で日月神示は、言葉が何のために与えられているのかを明確にしている。
それは「善き事」のためである。
神’を讃え、人を高め、祈り、感謝し、善きものを世の中へ送り出すために言葉はある。
そして「臣民の言葉」とは、特別な言い回しを覚えることではない。
どのような思いから言葉を選んでいるのかという、その人の心そのものにあるのだろう。
言葉は毎日使う。
だからこそ、霊を育てるための最も身近な道具でもある。
今日、自分の口からどのような言葉を送り出すのか。
その小さな選択の積み重ねが、やがて自分自身の霊の姿をつくっていくのかもしれない。
書籍紹介|日月神示の原文を通して読む
今回取り上げた文章だけでなく、日月神示は前後の帖や巻を通して読むことで、繰り返し現れる言葉や思想のつながりが見えてくる。
逐次解読の記事を読みながら原文そのものも確認したい方には、日月神示の原文をまとめて収録した書籍を手元に置いておくと便利である。
一つひとつの言葉を自分自身で読み、前後の文脈と照らし合わせながら考えることで、解説を読むだけでは気づかなかった意味が見えてくることもあるだろう。


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