日月神示は、ただ黙って読むだけのものではないらしい。
第8帖では「皆に読みきかしてくれよ」と語られ、さらに、そこに誰もいなくても「声出して読んでくれよ」と求められる。
なぜ、わざわざ声に出す必要があるのだろうか。
前帖では、一二三(ひふみ)祝詞について「神’の息に合はして宣れ」と示されていた。そこから第8帖へ進むと、「声」そのものが霊的な働きを持つという流れが、よりはっきりと見えてくる。
この神示皆に読みきかしてくれよ。
一人も臣民おらぬ時でも、声出して読んでくれよ、
臣民ばかりに聞かすのでないぞ、
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第2巻 下つ巻 第8帖
さまにも聞かすのざから、そのつもりで力ある誠の声で読んでくれよ。
ここで重要なのは、神示を聞いているのは目の前にいる人間だけではない、とされていることである。
「神’々’さまにも聞かす」という言葉まで含めて考えるなら、声に出して読むという行為そのものに意味があることになる。
では、「力ある誠の声」とは何なのだろうか。
神示を「声に出して読む」ということ
文字は目で読むことができる。
しかし、声に出した瞬間、それは自分の内側だけにある言葉ではなくなる。
自分の身体を震わせ、空気を震わせ、その場にいる人の耳へ届いていく。
そして日月神示では、それが人間だけではなく、神’々’にも届いていくものとして語られている。
だからこそ、単なる音読ではなく「力ある誠の声」で読むことが求められているのではないだろうか。
第8帖は、神示を読むという行為を「情報を理解すること」だけではなく、声を通して霊的な場をつくる行為として捉えることのできる一節である。
逐次解説|人にも神’々’にも届く「力ある誠の声」
「この神示皆に読みきかしてくれよ」――複数で読むことで燃え上がる霊的な火
この神示皆に読みきかしてくれよ。
「勤行かい」とツッコミたくなるけど、複数で読み聞くと新たな霊感がやってくることもある。
また、それについてあれこれ話していると、やはり新たな霊感がやってくることがある。
焚火が一本の薪よりも複数の薪のほうが燃えやすいように、一人では気づかなかったものが、誰かの言葉をきっかけとして見えてくることがある。
一人静かに読むことは大事。
しかし、みんなで霊的な火を味わうことも大事なのである。
神示を「皆に読みきかす」というのは、単に内容を伝達するだけではなく、それぞれが受けたものを持ち寄ることで、霊的な火を大きくしていくという意味もあるのではないだろうか。
「一人も臣民おらぬ時でも」――声が自分自身を震わせる
一人も臣民おらぬ時でも、声出して読んでくれよ、
誰も来ない時もあるが、一人での集会にも意味があるよ、ということだろう。
声に出して読むと、言霊の力でこの世に力として作用する。
そして、自分の声で自分の鼓膜や身体を震わせることで、霊感されることもある。
声を出して祈ることも大事で、そういう意味なのだと思う。
声を出すというと肉体的な行為に見える。
しかし、その本質は霊的なことなんだ。
誰かに聞かせるためだけなら、誰もいないところで声に出して読む必要はない。
それでも「声出して読んでくれよ」とあるところに、この言葉の重要な意味がある。
「臣民ばかりに聞かすのでないぞ」――思いがけない巡り合わせが霊的な扉を開く
臣民ばかりに聞かすのでないぞ、
なんだか訳わからぬままに、輪読会(?)に連れて来られた人が金人(きんじん)だったということは、よくあること。
神’は、そういう巡り合わせを演出することが大好きである。
その人や周りの人の霊的なバルブを開ける機会になる。
それまで何も感じていなかった人が、何かをきっかけとして霊感され、人が変わっていく。
その姿を目の当たりにすると感動する。
そして、その光景を見ている人々にも神’の栄光が射しかかる。
誰のために開かれた場なのか、人には最初から分からない。
だからこそ、自分たちの理解だけで人を選別せず、巡り合わせそのものを大切にする必要があるのだろう。
「神’々’さまにも聞かすのざから」――誠の声はコダマとなって返ってくる
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さまにも聞かすのざから、そのつもりで力ある誠の声で読んでくれよ。
ここで、さらに視点が大きく変わる。
神示を聞いているのは、人間だけではないという。
言霊は芯の通った読みで、心の奥でつながっている神’に届いていく。
それはコダマのように、思いにも跳ね返って届いてくる。
だから、ただ文字を音に変えればよいということではない。
「そのつもりで」とある。
誰に向かって語っているのか。
どのような思いで声を出しているのか。
そこまで含めての「力ある誠の声」なのだろう。
心のこもった集まりにする意味が、そこにある。
誠の声がつくる霊的な場
第8帖のこの一節は、神示を声に出して読むことの意味を語っている。
皆で読むことによって、それぞれの霊感が重なり合うことがある。
一人であっても、声に出すことで自分自身の身体を震わせ、言葉をこの世に響かせることができる。
そして、その声を聞いているのは人間だけではないという。
「神’々’さまにも聞かすのざから」
この言葉を文字通り受け止めるなら、神示を読む場は、人間だけで完結した集まりではないことになる。
大切なのは、形式だけの音読ではない。
「力ある誠の声」である。
一人静かに神’と向き合う時間も大切。
人が集まり、互いの霊的な火を燃え上がらせる時間も大切。
そして、その声の向こう側には、人の目には見えない聞き手もいる。
そう考えると、「声に出して読む」という何気ない行為も、まったく違ったものに見えてくるのである。
書籍紹介|原文から『日月神示』を読み進める
日月神示を逐次的に読み解いていくうえでは、解説だけではなく、できるだけ原文そのものに触れることが大切である。
一つの言葉でも、前後の帖とのつながりによって意味の見え方が変わることがある。また、一度読んだときには気づかなかった言葉が、後になって突然つながることもある。
日月神示の原文をまとめた書籍を手元に置いておけば、気になった箇所を前後にたどりながら、自分自身で読み返すことができる。
今回の第8帖についても、ぜひ原文を実際に声に出して読んでみてほしい。
黙読したときとは、また違ったものを感じるかもしれない。


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