日月神示・下つ巻第9帖では、これから起こる戦いについて「神’と○との大戦」と表現している。
しかも、その仕組みは「神’様にもわからん」とされ、下の神々にも知らされていないという。
そして戦いは、何が何だかわからないほどの乱戦となり、双方が「丸潰れ」になるところまで進む。
しかし、そこで終わるのではない。
「九分九厘」という、もはや全滅を避けられないかに見えるところで大神の命によって仕組みが動き、神’の力が現れるのである。
今回は、この「神’と○との大戦」が何を意味しているのかを、ヨハネの黙示録に描かれた終末の戦い、獣・偽預言者・悪神、そしてイエス・キリストの再臨という観点から読み解いていく。
今度の戦は
[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第2巻 下つ巻 第9帖の一部と○との大戦ぞ。
神’様にもわからん仕組が世の元の神がなされているのざから、下の神々様にもわからんぞ。
何が何だか誰もわからんようになって、どちらも丸潰れというところになりた折、大神の命によりてこの方らが神徳出して、
九分九厘という所で、の力がどんなにえらいものかということ知らして、
悪のも改心せなならんように仕組みてあるから、
の国は
の力で世界の親国になるのぞ。
ここで描かれているのは、単なる国家間の戦争ではないと考える。
神’の側と悪神の側、さらに黙示録に描かれる地上の勢力までを巻き込んだ、霊的世界と現実世界の双方にまたがる「大戦」である。
そして重要なのは、神’の側が最初から圧倒的な力で勝利するのではないことである。
むしろ九分九厘まで追い込まれ、誰の目にも「もう駄目だ」と見えるところから、最後の一厘によって世界がひっくり返る。
この構造は、これまで日月神示で繰り返し語られてきた「仕組」の核心にもつながっているのではないだろうか。
神’と○との大戦は、世界の秩序そのものを変える戦いなのか
第9帖で注目すべきなのは、戦いの勝敗だけではない。
戦いの先に「悪の神’も改心」し、「神’の国」が「世界の親国」になると書かれていることである。
つまり大戦そのものが目的なのではなく、その後に新しい世界秩序を成立させるための過程として描かれているのである。
これをキリスト教の終末論と重ねれば、イエス・キリストの再臨によって悪の支配が終わり、福千年へ移行していく過程との共通点が見えてくる。
では、そのとき何が起こるのか。
原文を一文ずつ見ていこう。
逐次解説|神’と○との大戦と九分九厘から始まる大逆転
神’と○との大戦――悪神には「中身」がない
今度の戦は
と○との大戦ぞ。
福千年が再臨によって完成するときに、悪神は封じ込められてしまう。
ここで「○」と表現されているものを、私は悪神と解釈している。
○とは中身がないものを表しているのではないだろうか。
悪神は霊体であって肉体を持たない。
神会でいうところの聖霊の位置になる。
それに対して、天父にあたる位置にいるのが獣、イエス・キリストにあたる位置にいるのが偽預言者となる。
つまり、神の側に天父、イエス・キリスト、聖霊という構造があるのに対して、それを模倣するかのような悪の側の構造が存在するということである。
そして、それを討つべく動く赤熊軍団との一大決戦に挟まれ、神の軍は潰される寸前となる。
したがって、ここでいう「大戦」は単純な二者間の戦いではない。
神の軍、悪神に属する勢力、そして赤熊軍団が入り乱れる、巨大な戦いになっていくと考えるのである。
世の元の神の仕組――イエス・キリストにも知らされていない領域
神’様にもわからん仕組が世の元の神がなされているのざから、下の神々様にもわからんぞ。
天父の計画には、イエス・キリストにも知らされていない部分がある。
イエス自身も、終末の時について、次のように語っている。
その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。
新約聖書 日本聖書協会 口語訳 マルコの福音書13章32節
ましてや、使徒や天使たちにすべてがわかっているはずはない。
そう考えると、「世の元の神」が進めている仕組みを「下の神々様にもわからん」とする日月神示の表現は興味深い。
神の計画のすべてが、あらかじめ天使や預言者に開示されているわけではない。
その最終的な仕組みを知っているのは、世の元から計画を立てている存在だけなのである。
三軍が入り乱れ、世界が滅びる寸前で仕組みが動く
何が何だか誰もわからんようになって、どちらも丸潰れというところになりた折、大神の命によりてこの方らが神徳出して、
戦いが進むにつれて、もはや誰が優勢なのかさえわからなくなる。
三軍とも乱戦と混戦に陥り、世界そのものが滅びる寸前まで追い込まれる。
「どちらも丸潰れ」という表現から考えても、一方が順調に勝ち進んでいくような戦いではない。
神の側も追い詰められるのである。
しかし、そのとき「大神の命」が下る。
ここが大きな転換点になる。
人間の軍事力や作戦によって勝敗が決するのではなく、誰にも知らされていなかった仕組みが、大神の命令によって動き始めるのである。
九分九厘まで追い込まれてから神’の力が示される
九分九厘という所で、
の力がどんなにえらいものかということ知らして、
全滅かというところで、神’の力を示すことでひっくり返す。
これが日月神示で繰り返される「九分九厘」の仕組みなのだと考える。
人間の力で何とかできる余地が残っている段階ではない。
あらゆる手段を使い果たし、もうどうにもならない。
そこまで行って初めて、神’の力がどれほど大きなものなのかが明らかになるのである。
そして、どうしようもない悪は滅ぼされる。
聞こうとしない者に対しては、聞くようにして聞かす体制が整うまで、打ち滅ぼすことになる。
これは単なる報復ではない。
次の世界を成立させるために、悪が再び世界を支配できない状態にまで持っていくということではないだろうか。
悪の神’まで改心し、神’の国が「世界の親国」となる
悪の
も改心せなならんように仕組みてあるから、
の国は
の力で世界の親国になるのぞ。
「すべての膝は屈む」という形で、悪魔に属する者たちも改心するらしい。
ただし、悪神そのものが善なる存在に変化するというより、実際には悪神に動かされる者たちがいなくなり、その力を封じ込められることになるのだと考える。
その結果として、悪神も大人しくならざるを得なくなる。
そして世界は、多様性をある程度保ちながらも、イエス・キリストを中心とした秩序へと移行していく。
すべての国が一つになり、文化や民族の違いまで消滅するという意味ではないだろう。
それぞれの国や民族が存在しながら、その上に共通する神の秩序が置かれるのである。
そのとき日本は、その新しい世界のひな型となる。
「神’の国は神’の力で世界の親国になる」とは、日本が軍事力や経済力によって世界を支配するという意味ではない。
日本に先に示された仕組みがひな型となり、それが世界へ広げられていくということではないだろうか。
九分九厘まで追い込まれること自体が「仕組」の一部である
第9帖前半で描かれている大戦は、神’の側が圧倒的な力で悪を打ち倒すという単純な物語ではない。
むしろ神の軍までが追い詰められ、「どちらも丸潰れ」というところまで行く。
なぜ、そこまで追い込まれる必要があるのか。
それは、人間の力でも、国家の力でも、軍事力でもない「神’の力」を世界に示すためなのではないだろうか。
九分九厘まで人間の力で進み、最後の一厘で神’がひっくり返す。
そして悪の勢力が封じ込められた後に、世界はイエス・キリストを中心とする新しい秩序へ移行していく。
その新しい世界のひな型となるのが日本であり、そこから世界へ仕組みが広がっていく。
そう考えると、第9帖の「大戦」は世界を滅ぼすための戦いではない。
古い世界を終わらせ、次の世界を始めるための最後の大転換として描かれているのである。
日月神示を原文から読みたい方へ
日月神示は、一つひとつの言葉を前後の帖と照らし合わせながら読むことで、その意味が立体的に見えてくる。
「九分九厘」「岩戸開き」「神’の国」「世界の親国」といった言葉も、一つの帖だけで意味を決めるのではなく、神示全体を通して追っていくことが重要である。
このブログでは逐次的に原文を取り上げながら解読しているが、自分自身で原文を読み、前後の文脈を確かめたい方には、日月神示の原文をまとめた書籍を手元に置いておくことをおすすめする。


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