戦争ができる日本とは、
外地を攻めることのできる日本への変貌です。
そこに神の加護はあるのか?
モルモン書のエピソードから探ってみます。
軍隊ともいえる盗賊たちの一団を迎え撃て!
ガデアントン強盗団の首領ギデアンハイが、
ニーファイ人の国の総督ラコーニアスに対し、
土地と所有物を引き渡すよう要求することから始まります。
強盗団とはただのギャングというよりも、
国を覆すほどの力を持ったグループです。
警察レベルではなく軍レベルで対応する必要がありました。
いさかいというよりも戦争です。
戦いの進め方を預言者であるギドギドーナイに、
神の御心を伺うように求めました。
20 そこで,民はギドギドーナイに言った。「主に祈ってください。そして,わたしたちが山や荒れ野に上って行き,強盗たちを攻めて,彼ら自身の土地で滅ぼせるようにしてください。」
21 しかし,ギドギドーナイは彼らに言った。「主は許されない。もしわたしたちが彼らに向かって上って行けば,主はわたしたちを彼らの手に渡されるであろう。だからわたしたちは,自分たちの土地の中央で準備し,わたしたちの全軍を集めよう。彼らに向かって出て行かないで,彼らが向かって来るまで待とう。主が生きておられるように,わたしたちがこのようにすれば,主は彼らをわたしたちの手に渡してくださる。」
末日聖徒イエス・キリスト教会 モルモン書 第三ニーファイ書 3章20-21節
出て行って攻めるのではなく、迎え撃ち守るようにとの託宣を得る
ラコーニアスは、ギドギドーナイを軍の総司令官に任命し、
ニーファイ人をゼラヘムラとバウンティフルの地に集め、強盗団に備えます。
民はギドギドーナイに主に祈り、強盗団を攻撃するよう求めますが、
ギドギドーナイは主の許しを得られず、
自分たちの土地で準備し、
強盗団が来るのを待つことを決定します。
この決定に従い、民は自分たちの持ち物を携え、
敵を防ぐために指定された場所へ集まります。
このエピソードは、ニーファイ人が信仰と統一を通じて、
外敵に対抗する様子を描いています。
このエピソードからわかる原則は?
外敵から自分の命や家族を守るために血を流してでも闘う。
その原則はあります。
ただし神の指示が変わる場合を除き「専守防衛」なのです。
神から約束された地ならなおさらです。
ニーファイ人に与えられたアメリカの地は、
そのようなところなのです。
そして日本の地も同じ原則が適用できる、
神の国なのです。
日本の歴史にこの原則をから見たものを書いていきますね。
元寇でモンゴル軍の受けた被害は何だったのか?
元寇(1274年、1281年)は、
モンゴル帝国の元朝が日本を二度にわたって、
侵攻した歴史的事件です。
モンゴル帝国の第5代皇帝、
フビライは日本に対し朝貢を求めましたが、
日本側がこれを拒否。
これを受けて、フビライは日本征服を決意し、
1274年に初めての侵攻(文永の役)を行いましたが、
暴風雨により撤退。
1281年にはより大規模な軍を送り込みましたが、
再び暴風雨(「神風」)により多くの船が沈没し、
侵攻は失敗に終わりました。
元寇は、日本の武士団の防衛能力と
自然災害が組み合わさった結果として、
記憶されています。
相手はモンゴル軍と中国軍と朝鮮軍の連合でした。
嵐とはただの嵐ではありませんでした。
祭司の祈りを通して、あの神器が動いたのです。
真相は嵐ではなく、モンゴル軍は、
もっと恐ろしいものにやられました。
秀吉の大陸への野望を阻んだものとは?
豊臣秀吉の大陸侵攻、
即ち文禄・慶長の役(1592年-1598年)は、
日本が朝鮮半島を経由して中国を目指した、
軍事行動です。
秀吉は日本統一後、
国内の武士の活力を外に向けるとともに、
自身の権威を国際的に高める目的で侵攻を計画しました。
彼は朝鮮に対し、
日本軍の中国進出への通行を要求しましたが、
朝鮮がこれを拒否したため、
1592年に日本軍は朝鮮半島に侵攻しました。
この戦争は、朝鮮の抵抗、
中国明朝の介入、そして秀吉の死により、
日本軍の撤退で終結しました。
この侵攻は、日本、朝鮮、中国の歴史に大きな影響を与えた重要な出来事です。
外国に攻め出るという悪手を、
神は支持しないという一つの例です。
中国へ進出した結果
これはまあ、近代にあったことですね。
経緯はこんなの
19世紀末から20世紀初頭にかけて、
日本は中国における自国の利益と、
租界の保護を目的として軍隊を派遣しました。
これは、列強国が中国において各自の租界を設置し、
そこでの利権を確保していた時代背景があります。
日露戦争(1904-1905年)の勝利後、
日本は満州地域における影響力を強化し、
その保護を理由に軍隊を派遣しました。
また、1914年の第一次世界大戦中、
日本は連合国側としてドイツの青島租界を攻撃し、
その後、二十一か条の要求を通じて中国に対する、
更なる権益を拡大しようと試みました。
これらの行動は、
日本の帝国主義的拡張政策の一環として、
中国での影響力を確立しようとするものでした。
天皇の考え
昭和天皇は大陸で、
日本国民の命が脅かされる事態になれば、
日本国内に呼び戻そうとしました。
今では普通のことですが、当時としては先進的なことでした。
「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ」を
戦う前に行う覚悟があったのです。
貧しさや困苦も分かち合う精神ですね。
神を信じ神国日本を守る手段として、
神との聖約の範囲に留まるというビジョンが見えてきます。
というよりも、天皇陛下は神国日本には、
護りの結界があることを知っていた?
これからの日本の護りはどうなる?
ディープ・ステートに実効支配されつつある日本です。
日本にある結界の力は為政者と、
国民の状態が左右するとみるべきです。
神の民がいるからこその結界です。
だから問います「今の日本人は神の民なのか?」
「結界は解けようとしているのではないか?」と。
これから日本人の分断が起きます。
佐幕派か勤皇派かを選択する近未来です。
そして日本に留まる者、旅立つ者に分かれるでしょう。
出日本の物語がはじまるのです。
出エジプト記を彷彿とする物語です。
そして、結界はシルクロード行く、
神器とそれを護る者と共に移動するでしょう。
真の日本国がそこにあるから。
そして、結界が無くなれば、
日本国土に護りは失せるのです。
そしてどうなる?
それはまた、別の記事で詳報します。
日本の行く末はモルモン書のストーリーに編み込まれている。
聖約の民にとって、聖典にある歴史そのものが予言となっています!
生命の木は示します。
繰り返される歴史という螺旋!
モルモン書を読んでみよう、読むのは無料ですよ!
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