【日月神示】修羅の世でも心に喜びと平安を保つ方法「春の巻 第1帖 その4」

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祈りばかりでは祈り地獄、神から光戴けるように道つけねばならん。水は低きに流れるぞ。喜びに叶う心、喜びの行あるところ喜び来るのぢゃ。喜びにも正しきと曲れるとあるぞ。無限段階あるのぢゃ。心して迷わんように致しくれよ。

[完訳]日月神示 岡本天明 著 中矢伸一 校訂 ヒカルランド 第27巻 春の巻 第1帖から


みちには「理」となっている訳(やく)もあります。

喜びとは言いかえると「神の御心に叶う」かな。

祝福護りを受けて日々が光の世界へとつながる。

厄介な時代を抜けていく備えとなる。

生きようと、死のうとも。

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目次

祈りの地獄って何?

祈りの本来は神との会話だ。

聞いてもらうだけだと祈りの持つポテンシャルの半分にも満たないので、もったいない。

祈り求めるだけでなく神の声や思いを受け取れる道筋をつけることが重要。

それは瞑想ともいえるが、祈りとは瞑想とは一体ともいえる。

水は低いところへ流れていくように

神は謙遜でへりくだった心を好む。

へりくだる心へと神のみたまが流れ下ってくる。

「もういらない!」という心に流れてくるわけがない。

神の御心にかなう態度の人に神のみたまは降ってくる。

喜びが来る条件

神の御心やビジョンにかなう心と行いは、神の持つ波長とのハーモニーになる。

神の波長と合うなら神からの喜びが流れてくる。

喜びにも光と闇あり

心の向きには陰陽がある。

神と悪魔がいるように。

光に向かうか闇に向かうか。

闇を光と感じる人もいる。

それもまた喜びの形なんだ。

人それぞれ。

喜びには無限の段階がある

神の前に人の多様性は尊重される。

あえて分けるなら「三つの喜び」に分かれる。

喜びと天国の場所は関連してる。

  • 星の栄えの喜び-この世的で刹那な喜び
  • 月の栄えの喜び-穏やかな喜び
  • 日の栄えの喜び-魂を揺さぶる喜び

あなたの喜びがどこにあるかで行き場所が決まる。

受ける喜びも決まる。

まとめ

光と闇が気づかぬうちに入れ替わってるようなことがないようにね。

続きます。

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