キエフ=京都、モスクワ=東京説〜歴史は引っ越してもプライドは置き去り〜

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キーウを京都、モスクワを東京になぞらえて比較したユーモラスなイラスト。着物姿の女性が「元都どすえ」、スーツの男性が「今はこっちやで」と話している。

あなた、どこ出身?

キーウやけど、昔は都どす

……そう言ったら、モスクワの人がちょっとムッとする。
なんだか京都と東京の関係みたいじゃありません?

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京の都だったころのキエフ

今でこそ「ウクライナの首都キーウ」と呼ばれていますが、
千年前は「スラヴ世界のど真ん中」、つまり古代の都・キエフがすべての始まりでした。

9世紀に建国されたキエフ・ルーシは、東スラヴ民族の最初の国家。
ここから正教も文字文化も広まり、「スラヴ文明の源泉」となったのです。

言ってみれば、「うちらが平安京どす」という立場。
だからキーウの人は、ちょっと誇り高い。

「モスクワ? あそこは昔、うちの出先機関みたいなもんやったんやで」と、
まるで京都人のように微笑むのです。

モスクワの“上京物語”

ところが時代は流れ、モンゴルの侵入でキエフは焼け落ちます。
その後、北の森の中で新しく勢力を伸ばしたのがモスクワ。

「今はこっちが都や。経済も軍事も、時代の中心は東京——じゃなくてモスクワやで!」
そんな勢いで、ロシア帝国はどんどん大きくなっていきます。

つまり、モスクワはまさに江戸から明治へ“のし上がった東京”
キエフは「文化と伝統の古都」、モスクワは「力と政治の新都」。
どこか似てますよね。

本家争い、千年口げんか

でも人の心は簡単には引っ越せません。
キーウ(キエフ)は静かに思っているのです。

「あんたら、文化も信仰も、もとはうちからもろたんやで?」

するとモスクワが答えます。

「せやけど今の時代、動かしてるんはこっちやん?」

……これ、どう聞いても京都と東京の会話に聞こえるのは気のせいでしょうか。

どちらも“都”であることに変わりはない

歴史とは不思議なもので、
都は動いても、プライドだけはその場所に残るもの。

キーウとモスクワ。
文化と権力。
伝統と現実。

どちらが正統かを巡るその物語は、
まるで千年続く「本家と分家の口げんか」のようです。

でも、両方が自分の歴史を誇れる——
それってちょっと羨ましいことかもしれません。

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キーウを京都、モスクワを東京になぞらえて比較したユーモラスなイラスト。着物姿の女性が「元都どすえ」、スーツの男性が「今はこっちやで」と話している。

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